麗水の海港③
その小さな空間は、ぎすぎすとした沈黙に包まれていた。
エレに置いて行かれた怒りから色白の頬をぷくぅとはちきれんばかりに膨らませ、食らってかかる獣のような眼光を四人に向けている。
「――…………」
時折聞こえてくるグゥゥと唸るような音は、ヤケンが威嚇する時に発していたのとまったく同じのものだった。
そんな子犬を前に、四人は同じような動作で腕を組んで唸った。
「む……ぅ」
場所と時間を指定してきたエレに合わせて冒険者組合の前に訪れた四人の前にいたのは、今の状態と変わらないアレッタの姿だった。
体全体が不機嫌を表現している。
けれど四人が感じるのは、怖い、などの感情ではなく。
「「「「かわいい」」」」
そう、かわいいと感じていた。
なんだこの小動物! そんな気持ちだ。
しかし、アレッタは不機嫌そうに口を山の形にしている。
「えっと……じゃあ、アレッタちゃん。これから、少しの間よろしくね?」
魔法使いは腰を少し曲げ、手を膝について目線を合わせた。
これから冒険に出かけようとするのだ。
いつまでも、機嫌が悪い状態でいられては困る。
可愛いけれども、困るのだ。
「…………ググゥゥウウ」
「あぅ……どうしよ」
困り果て、他三人に助けを求めるような視線を送る。
ヘルプを受け取った女騎士と女戦士は演技めいた声を出しながら。
「いやはや、困った! とてもだ! これは、大困りだ! 神官の器量を見よと言われても、こうも反抗的な態度であったら何もできんぞ? なぁ?」
「そ、そうだぞ。反抗的な態度を取っていたので、腕試しは不可能でしたって報告でもしようか? しこたま怒られるぞ。怒られるのは嫌だろ? エレの兄貴のあのー……死んだ目で」
「あぁ、確かに、アレは怖い」
「怖いってもんじゃない」
「下手したら魔族よりも」
勝手に盛り上がりかけ、おっと――と二人は我を取り戻した。
「でもまぁ、本当に困るのは君だ。我々も暇じゃあないのだよ」
女騎士は金色の瞳に半ば影を差し込ませて、アレッタの方を睨みつけた。
◇◆◇
昨日はエレがいたから話を鵜吞みにしてはいたが、彼女らが暇である訳がない。
クランのエースである彼女らは、多忙も多忙だ。
だが、クランマスターのご友人からの提案だ。
他のクランメンバーに仕事を丸投げして日程を調整しなければならなかった。
だが、蓋を開けてみれば『垢ぬけない少女の御守り』じゃないか。
「…………でも、ワタシはエレ以外に奇跡は使わなイ。……使えなイ。だから、ダメダ」
追加要素として、頑固な少女ときた。
エレ以外にはその心の内を明かそうとしない。
ぷいっと顔を背けたアレッタに女騎士と女戦士が唸った。どうしたらいいものか、と。
「……こういう時、頼りになるのはお前だ。頼んだぞ」
そう言うと、三人はある一人の方へ視線を送る。
「あらあら。わたしぃ?」
はんなりとした様子でその視線を受け取ると、女斥候はアレッタの視線に回り込むようにして。
「アレッタちゃん? わたしらといこか?」
「ヤ!」
「ヤ、かあ。でも、困るのはエレさんとアレッタちゃんやと思うけどなあ?」
女斥候の言葉に興味が湧いたようにアレッタは視線を合わせた。
その反応を見て、後ろの三人は「さすがだ!」と関心をする。
女斥候はパーティー内で場を取り持つ役割を持っている。いわゆる、人の意見を聞きながら、人に意見を通すのが得意なのだ。
そんな彼女は、にんまりとした顔を崩さずに。
「これなぁ? エレさんからアレッタちゃんに向けての試練やと思うんよ。だってなぁ、考えてみ? エレさんってアレッタちゃんが思っとるよりも、強くて、人気がある冒険者で、女性からの人気もたぁくさんあるんよ。
冒険者なのに紳士やし、
見た目もかっこええし、
階級もいっちゃん上で、
斥候の
たまらんわなぁ。
そんな人の横に立って冒険ができるなら、今おる地位を捨ててもええって考えとる冒険者が大勢おるんよ」
あ――と他三人が任せたことを失敗したように表情を凍らす。
もっとこうお姉さん的な立ち位置からの丸め込むような言葉を期待していた。
が、これは笑って諭しているが毒が混じっている。
「いい斥候がおるだけで、その一党の生存率は大幅に跳ね上がる。奇襲される確率が減って、奇襲できる確率が増えるんよ?
そのいっちゃん上におるエレさんやで?
私はそんな人と冒険ができるって考えただけで、股座が濡れて糸を引いてまうわあ。成功が約束されたも同然やん。
ほんま、そんな人がおったら羨ましくて、妬ましくも思ってまうなぁ」
いや、違う。これは――嫉妬か!
「エレ……は……デモ、ワタシを仲間にしてくれるっテ」
「その、
それにエレさんは仲間を自分から取ったことがないことで有名な人やで。
それに、神官に関してはとっっても厳しいんや。
勇者一党にも神官はおらんかったやろ? そういうこと。
でも、アレッタちゃんは仲間になることが出来る権利を持っとるんよ。他の人が欲しくても手に入れることが出来んかったモンをな?」
これは、女斥候の本心だ。
エレは、今まで勇者一党の先鋒として多大なる貢献をしてきた。
斥候というのは、得てして目立たない職業だ。
目立ってしまったらいけないのだから仕方がない。
だからこそ……というべきか。
女斥候はエレの仕事ぶりを評価している。
勇者一党が誰も欠けずに何年間もの間、旅をし続けれていたのは、一重にエレが斥候として優秀であることを証明しているとも思っている。
そんな人が久しぶりに帰国をしたのだ。
仕事ぶりを見せてもらおうとする冒険者は多かった。
なのに少女を連れてきて、面倒を見てくれと言ってきた。
「アレッタちゃんが駄々こねるんやったらええよ? うちがエレさんの隣を貰おーかなあ」
流し目にぺろりと淡い紅色の舌で親指を舐め、血の気が引いているアレッタをジロと見た。
妖艶に乱れた視線の中には毒牙をもつ蛇のような気配。
そんな視線を浴びされ、アレッタは泣きそうな顔になる。
偶然にも――勇者一党が帰ってきた時に
偶然にも――追放されたエレがいて
偶然にも――アレッタがそこに飛び込んだ
偶然が重なっただけだ。
そうでなくば、エレは本来より取り見取りの位置にいる。
ヴァンドが建てたクランであるなら、いくらエレが勇者一党から追放されたといっても居心地も約束されたも同然だ。
「ダ……ダメ……エレは、ワタシノ……」
「そんなことないよぉ」
「ワタシのなノ!」
「なんでそう思うの?
だってアレッタちゃんは駄々をこねるんでしょ?
エレさんの仲間にならなくてもいいってことだよね、ソレ」
「違ウ! ワタシはエレ以外に奇跡を使わないと決めてるんダ! だから、それは、違ウ……」
「私らに奇跡を使うくらいなら、エレさんの仲間を諦めるって?」
「奇跡は……使えなイ。仲間は諦めなイ」
女斥候の蛇のような気配が強まった。
大口を開け、今にも弱らせに酔わらせた獲物を食べようとするような雰囲気だ。
女斥候の瞳が細くなり、唇はピクリと不快に痙攣する。
「え? なぁに、それ。私らのこと、そんなに嫌い?」
「ワタシは奇跡は……使わなイ」
「だーかーらぁ……わかんないかなぁ? そんな神官をエレさんは仲間にしぃひんって。なぁ? 分かるやろ? 分かってないん?」
「絶対に使わなイ。エレ以外ニハ……」
「そんなんやから、私らんとこに連れてこられたんと違う? アレッタちゃんはエレさんに必要ないんよ」
「…………そんなことナイ」
「エレさんの傷は治らない。そんなん、ちっと調べれば分かる話やん。なのに付きまとうて……迷惑してるんじゃないのかなぁ」
苛立ちが女斥候の言葉をきつくさせていく。
その後方で制止させようとする女魔法使いの手を弾きながら、言葉を続けた。
「なんで、エレさんが神官を毛嫌いしてるか分からんの? エレさんの気持ちになって考えたことある?」
「…………ワタシ、ハ。――でも、奇跡ハ」
「アレッタちゃん」
俯きながら同じことを繰り返すアレッタの視線に、女斥候は膝を折って入り込んで――
「嫌われてるって自覚した方がええで」
――貶すような顔でほほ笑んだ。
「ちょっとはその可愛らしいちっちゃな頭、使おっか」
絡みつく嫌悪感に、アレッタは込み上げてくる苛立ちを――かみ殺した。
「…………」
不燃な怒りが体を縮めていき、アレッタは視界に映る女斥候を今にも泣きそうな瞳で見た。
「……エレは優しイ」
「知ってるよ」
「ワタシを助けてくれタ……」
「そうなんや」
「だから、でも、ワタシ……」
「奇跡使わんのやろ? 話が進んでないで」
「…………でも、ダメなんダ」
異様なまでの執着に、女斥候の首がカクンと落ちてきた。感情の枷が外れたような動きだった。
その一方で女騎士は珍しく、考え込んでいた。
なぜ、そこまでしてエレ以外に奇跡を使いたくないのか。
「だからさぁ――」
「――もしや……それは、本当なのか?」
女騎士が顎に手をやりながら呟いた。
「本当ってぇのは?」
「いや、冗談かと思っていた……というより、その場しのぎの戯言のようなものだと思っていたのだが……」
ぶつぶつと呟く女騎士の脳裏に、珍しくぴかーんと走るものがキタ。
「そうか!」
叫んだ。
「そうかもしれない!!」
アレッタから女斥候を引きはがした。
「そうに違いないな! これは!」
アレッタの前に女騎士は出て行き、俯いていた少女の視界にも入るように腰を屈めて。
「アレッタ君は神に対して
その言葉に、アレッタは驚き――こくと頷いた。
◆◇◆
珍しく女騎士が女騎士らしいことを言ったことに驚きをしつつ、女戦士が肘でこつんと突く。
どういうことだ、説明しろ、というものだ。
神妙な顔になり、何から話せばいいのかと思案するが、端的に伝えようと言葉を選び。
「神の奇跡を使う。
そのために神官は皆、神に誓いを立てるのだ。
私は『己の信念を曲げず、決して折れることのない人々を護る盾となる』と誓いを立てた。
そうして聖騎士になり、今こうしてここに立っている。それで、アレッタ君はおそらく……」
「あぁ。なるほど。エレの兄貴だけに限定をして、奇跡を使うとかって誓いを立てたのか」
女戦士の鋭い眼光に、アレッタはびくつきながら言葉を返さなかった。
が、無言の返事は肯定と取る。
「誓いを背くとどうなる? 天罰でも下るのか?」
「そんな現金なことはされん。ただ繋がりが薄くなり、いずれかは奇跡が使えなくなる。アレッタ君の場合は、エレ殿以外に奇跡を使うと、そうなるという訳だ」
はぁ、と他三人から関心にも似たため息が出る。
女騎士とて、こんなことは初めて聞いた。
特定個人のために奇跡を使うことを許すなど、どの神が認めたのかと犯人捜しすら始めた。
善なる神は多けれど、名の通った所で行くならば……
愛育と豊穣の神――【ウーベルタス】
勝利と正義の神――【レクトゥスウィア】
一途と流転の神――【シュペルレー】
憤怒と黎明の神――【アルバズロア】――……
「戦争と知識の神――【ヴルツティナ】……」
女騎士が名前をこぼすと、アレッタは小さな声で反応を示した。
それを肯定だと捉え、頷くと女騎士はヘルムを被り、その空いた脇の間でアレッタを抱きかかえた。
「オ!?」
「はっはっは! ならば、私どもに奇跡を使う訳にもいかんな!!」
アレッタが暴れようとも脇と腕でしっかりと固定をし、そのまま街路を右左と見て、行き先を決めたように三人を振り返った。
事情が分かったならば、それに準じて計画を変えるまでだ。
「では行くぞ! 私についてこい!」
「行くって、どこに。奇跡を使えないんでしょ? そんな神官の実力を測るだなんて」
「実力の測り方など、簡単さ」
本来ならば、どこぞの魔物が巣食う洞穴にでも行き進み、適当な傷を負って清めてもらおうとも思っていたが……それが出来ぬ状態で実力を図るとなると。
(確か、神官以外の
女騎士はそれが何の職業かまでは覚えてはいないが、戦闘職でも補助職でもなんでもいい。
実力は、実践でもっとも押して知れる。
「神殿へと行くぞ! 私にいい考えがある!」
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