第3話 初めてのボス戦

 レイストのダンジョン。

 その前には多くの冒険者の姿があった。

 これからダンジョンへと向かう者もいれば、無事帰還した者もいるのだろう。


 基本的に冒険者は活動拠点を決め、そこを中心にダンジョン攻略を行うことが多い。

 そうする一番の理由は、やはりダンジョンへの慣れだ。

 ダンジョンの地形は場所によって異なる。

 ダンジョン内に出現する魔物や、トラップの類も千差万別だ。

 そのため、どうしても新しいダンジョンへと挑む際は、慎重にならざるをえない。

 ダンジョンの資源を生活の糧としている冒険者たちにとっては、効率という面において、やはり慣れ親しんだダンジョンを攻略する方が、稼ぎがいい。


 もちろん、冒険者の目標も様々なので、多くのダンジョンを踏破することを目標としている冒険者もいれば、俺のように自分に合ったダンジョンを探して拠点を変える冒険者もいる。

 新興ダンジョンであるレイストに来ているということは、ここにいる冒険者たちは、ダンジョン踏破をしにきた猛者か、あるいは俺の同類ということだろう。


 同僚であり、ライバルでもある彼らをそれとなく観察しながら、俺はダンジョンへと足を進めた。


 ダンジョンの入り口は、街北部の荒野にぽっかりと空いている、すり鉢状の大穴の底にあった。

 元々レイストにこのような大穴はなく、ある日突然現れたものらしい。


 段状に地面を削り、木の板を各段に敷いただけの簡易的な階段を下って、大穴の底へとたどり着く。

 そこには見上げるような大きさの岩があった。

 感覚的には岩というよりも、山と形容した方がしっくりくるだろうか。

 それほどの大きさだ。

 その岩には人が数人並んで歩けるほどの裂け目があり、そこから中へと進んでいく。

 岩の中にはドーム状の空間が広がっており、その中央に腰の高さほどの白磁の台座が一つ鎮座していた。


「これが転移碑か」


 ダンジョンのトラップの一つに、転移というものがある。

 ダンジョン内にある転移の魔法陣を知らずのうちに踏んでしまうと、同じ階層内のどこかにランダムで転移させられてしまうという、非常に悪質なトラップだ。

 転移先に魔物の群れがいたり、あるいは転移によって仲間と分断されてしまったりすると、いつものダンジョンが、途端にその凶暴性を露わにするというわけだ。


 そんな転移であるが、ここレイストのダンジョンでは少々特別な使われ方をしているらしい。

 なんでもこの転移碑に触れて念じると、自身が攻略した階層の次の階層までであれば、任意の階層に転移できるというのだ。

 例えば、第五階層のボスを攻略した冒険者であれば、第一階層から第六階層のボス部屋の前に自由に転移できるというわけである。

 帰りはボス部屋の前と奥にある転移碑のどちらかに触れることで、入口へと戻ることができる。


 そしてどうやらレイストのダンジョンでは、無数の同一階層が存在しているらしい。

 つまり、前の冒険者と同じ階層に転移しても、転移先でその冒険者と遭遇することはないということだ。

 そのためパーティーで同じボス部屋へと転移するには、転移する際に同時に台座に触れ、同じ転移先を念じる必要がある。

 当然ながら、パーティーメンバーと同時に転移する場合でも、自身で踏破していない階層へは転移できない。


 無数の同一階層の存在はメリットでもあり、またデメリットでもある。

 メリットとして、ボス部屋攻略の順番待ちをする必要がないという点がある。

 ボス部屋が連続するというレイストのダンジョンの特性上、迷宮部の攻略で冒険者が分散するということがないので、無数の同一階層が存在しないと、ボス部屋の前に長蛇の列ができてしまうのは考えるまでもない。


 一方デメリットとして、助けが来ることは決してないということだ。

 同時に転移碑に触れて転移しなければ同一階層に入れない以上、ワーズのダンジョンでアレクがガリスに助けられたようなことは起こりえない。

 一度ダンジョンへと入ったらボスを倒すか、ボスの目を掻い潜って転移碑で転移するしか生き残るすべはない。


 俺はさっそく転移碑に触れると、第一階層へ転移するよう念じてみた。

 すると、転移碑から漏れ出した淡い光が俺を包み込みこんだ。

 温かさがあったりするわけではない。

 ただただ視界を覆う光にのまれ、そして視界が晴れたときには大扉の前にいた。

 大扉にはホブゴブリンであろう、醜悪な魔物の姿が描かれている。


「第一階層のボスはホブゴブリンだったか。それじゃあ、俺の力がどこまで通用するか、さっそく試してみようじゃねぇか!」


 両開きの大扉の前に立つと、ぐっと押し開ける。

 大扉はギギッ、と鈍い音を響かせたものの、見た目ほどの抵抗感もなく、ゆっくりと部屋の中を晒した。


 部屋の広さは、ワーズの冒険者ギルドにある訓練場くらいだろうか。

 天井は十分に高く、左右の壁に備え付けられた松明の灯りが、薄暗い部屋の中を照らし出している。


 その部屋の奥。

 そこには、こちらを向いてたたずむ一つの影があった。

 深い緑の肌に、醜悪な相貌。

 そして魔物特有のどす黒い魂。

 体躯は俺と同じくらいだろうか。

 通常のゴブリンが人間の子供と同じくらいの大きさであることを考えると、やはり大きい。

 だらりと垂らされた手には、錆びた一振りの直剣が握られている。


『ギギャァーーー』


 耳を覆いたくなるような、不快な奇声を上げた醜悪な魔物、ホブゴブリンは剣を振り上げながら俺へと突進してきた。


「シッ!」


 油断なく待ち構えていた俺は、振り下ろされた一撃を己の剣で受け流すと、隙だらけの胴を一閃する。

 その一撃は、通常のゴブリンであれば、難なく葬りさることができるほどの鋭いものだった。

 だが、剣を握る手に感じた予想以上の痺れに、俺はホブゴブリンとの距離をとった。


「やっぱボスってやつは、なかなか硬ぇな」


 ホブゴブリンの腹には、確かに俺がつけた傷が刻まれている。

 だが、再び襲い掛かってきたホブゴブリンを見てわかるように、それは致命傷には程遠いものだった。


「やってやろうじゃねぇか。オラッ、どんどんかかってこいや!」


 俺は剣を構えると、ホブゴブリンに吼えた。


 それからの俺の闘いは、威勢とは裏腹に、極めて愚直なものだった。

 ホブゴブリンの攻撃を捌いては、できた隙に一撃を入れ、そして距離を置く。

 決して無理な攻めはしない。


 ソロでボスに挑んでいる以上、助けが入ることはありえない。

 もし、ホブゴブリンの一撃をくらってしまえば、それはすなわち俺の死へと直結してしまうかもしれない。


 俺は腕のいい冒険者ではなかった。

 それでも五年という歳月の中で培ってきた、ダンジョンで生き残るための技術は、確かに俺を支えていた。


 受け流し、斬り払い、離脱する。

 ワンパターンな闘い方ではあるが、ホブゴブリンにそれを抜け出すだけの知能はない。

 そんな闘いを一刻ほど繰り返したころだろうか。

 もう幾度目になるかもわからない俺の一撃を受けたホブゴブリンは、これまでとは異なり、ばたりとその場に崩れ落ちると、無数の光の粒となって霧散した。


「やった、か」


 俺は光の粒が消え去り、地面にホブゴブリンの魔石が転がっているのを確認すると、ゆっくりと構えを解いた。


 俺は無傷だった。

 その姿だけを見れば、圧勝だったと思うだろう。

 だが、俺自身は、とてもそんな風には思うことができなかった。


 ギリギリだった。

 敵の斬撃が当たるかもしれない恐怖。

 一度攻撃を捌きそこなったが最後、崩れ落ちていたのは俺だったかもしれない。

 綱渡りのような状態での戦闘は、精神に大きな負荷をかけていた。


「ふう……」


 重い息をつくと、魔石を回収し、部屋の中央に現れた宝箱に向かった。


 ボス部屋では、ボスを倒すと宝箱が現れる。

 その中身は、敗れ去った過去の冒険者の遺品であるとか、あるいはダンジョンが生み出した宝だとか様々な憶測が飛び交っているが、実際のところどうなのかはわからない。

 ただ確かなことは、宝箱からは金になるものや役に立つものが見つかる、ということだ。


 俺はゆっくりとその蓋を開けた。


「……鉄の短剣だけか」


 宝箱の中身は、深い階層ほどより価値のあるものが発見されるらしい。

 第一階層の宝箱なら、こんなものだろう。


 それにただの短剣ではあるが、できはなかなか良さそうであり、ホブゴブリンの魔石と合わせて売ればそれなりの金額になりそうだ。

 ワーズでの稼ぎを思えば上々だろう。


「……天恵を使う余裕はなかったな。まあ、わかっていたことだが」


 結局レイストもワーズと同じか。

 ふとそんな考えが頭をよぎる。


「……帰って、しこたま飲むか」


 俺は入ってきた側と正反対の位置にあるもう一つの大扉を開けると、そこに鎮座していた転移碑で地上へと帰還した。

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