第9話 シルバー・ブレット
病院での検査の結果、累の頭部に幸い異常は見当たらなかった。
累は医師に絶対安静を言い渡されて、今日は家に缶詰めになっている。
「それで、鳥居が見たクナド様一味に、本当に集団失踪者の学生がいたんだな」
「はい」
百々はパラ対のオフィスで八森と昨日の早穂田大学での出来事を整理していた。
もう少しすると、首都学生集団失踪事件捜査本部の刑事が直々に百々に事情聴取に来るらしい。
昨日、弦間を襲撃したクナド様のうち、仮面が外れて面が割れた人物は、集団失踪者の学生のひとりだった。
ここから考えられうるクナド様事件の絡繰りはこうだ。
一、クナド様を騙っている人物は複数人のグループで、集団失踪者がその構成員。
二、流布されたクナド様の都市伝説は、昨日の襲撃のために用意された舞台装置。百々たちのような邪魔が入った際に逃走をスムーズに行うために、関係のない学生たちを利用した。
三、ライムによる自動AIを通さないクナド様のやりとりや寄せられた恨みつらみへの対処は、失踪学生たちが手分けをして行っていた。
つまり、一連の出来事はすべて繋がっていたと考えられる。
「それと、鳥居が調べてくれっつってた集団失踪者の経歴を洗ったが、音楽をやってた奴は他にいない。その上遠野吟ひとりだ。上遠野は元々大学を欠席しがちな奴で放置されていたようだが、調べたらこの数カ月大学に通っていない。おまけに自宅ももぬけの殻だ。さらには、奴は高校生のときからつい最近まで、弦間英の会社でバイトをしていたらしい。怨恨を疑うにはまあ、十分な情報だわな」
「これまでネット上でのデマの拡散に留まっていたクナド様が、今回は強硬手段に打って出た。弦間さん襲撃が本命だとすると、上遠野さんは失踪学生を取りまとめるリーダー格である可能性も高いと考えられます」
「まあ、そうなるな。今、鑑識が上遠野の自宅アパートから採取した指紋と凶器の指紋の照合をしてる。ここまでくると、捕まるのは時間の問題だな。俺たちの手柄にはならんそうだが」
デスクで書類仕事をしながら鼻を鳴らした八森の言葉に、百々は渋々頷く。
集団失踪事件はメディアにも取り上げられ、その行方を日本中が注視している。
正式な捜査本部もすでに立ち上がっているのに、パラ対のような警察内部で異端視されている弱小チームの手に捜査権が委ねられるはずもなかった。
手柄の所在については八森と累は困るだろうが、百々としては懐は痛まない。だが、事件の真相とその裏で糸を引いているかもしれない人物に辿りつけなくなりそうなことは、大打撃だった。
「弦間さんは、誰かに恨まれるなんて身に覚えがないと言っているんですよね」
「上遠野はただのアルバイトで、良好な関係を築いていたと自分は考えている、の一点張りだそうだ」
百々は眉を顰め、来客ソファ用にしつらえられたテーブルの上の湯呑みに手を伸ばす。湯気の棚引く熱々のお茶はきっちり時間を計って淹れたにもかかわらず、なんだかいつもよりも単調な味がした。百々は早々に湯呑みを置いて、頬杖をつく。
累のいないそこは、なんだかやけに広く感じられた。
「鳥居」
呼び声に顔を上げれば、無精ひげをたくわえた八森が背後から百々を見下ろしていた。
「境木がぶっ倒れたのは、お前のせいじゃないよ」
淡雪めいて、言葉が降ってくる。
表情には出していなかったつもりなのに、十年来の付き合いになる八森にはお見通しだったらしい。
昨日、累が襲撃犯のひとりを確保したとき。
あのとき百々も残った襲撃犯を確保するか、凶器に気づいていれば、累はあんなふうに傷つくことはなかったかもしれない。
百々はオカルト全般の知識を買われてコンサルタントとしてパラ対に招き入れられた身で、逮捕術は学んでいない。だが、警察官の相棒になるなら、その技術は学んでおくべきだった。
累から流れ落ちる血の赤が、今も目に焼きついて離れない。
「まあ、あえて言うなら俺の監督責任だ。お前はなんでもかんでも自罰的だから、言っておく」
「……近々、せめて護身術くらいは学びます」
「はは、勉強熱心でなによりだ。俺もちょっと公私混同して過保護にしていたところがある。梨花より遅くできた、梨花よりでっかい娘みたいでなあ」
八森はしみじみ言って、昔よくそうしてくれたように百々の頭をぽんぽんと叩く。
くすぐったさに百々は身じろぎをして、笑いながら首を竦めた。
それから八森を仰向いて、百々は思いがけないその眼差しの温度に息を呑む。
「でも、それももう――終わりにしなきゃならん」
人情味溢れるいつもの声とはちがう、乾いた声だった。
「八森さん……?」
八森が口を開きかけたところで、スマートフォンが着信音を奏でる。
百々はなお八森の凍て土じみた眼差しを見上げていたが、彼はふっと目元を和ませるとテーブルの上を指差した。
「ほら、相棒だ」
その言葉に目を見開いて、百々はスマートフォンを取り上げた。
「境木さん?」
一も二もなく電話に出れば、どこか安堵したように小さく息を吐きだす音が聴こえた。
『……大丈夫か?』
「それはこっちの台詞です。怪我人は今日一日くらいは寝ててください」
『問題ねぇよ』
「昨日で境木さんの自己認識能力の欠如をよくよく理解しました。あなたのそういう言葉は信用の対象外です」
『まためんどくせえ言い回しを』
累のかさついた笑いが鼓膜を揺らして、水みたいに膚に馴染んでいく。
『なあ、今どこ?』
「パラ対のオフィスです」
『ひとり?』
「八森さんと一緒です。また八森さんに用事ですか?」
『いや……』
累は歯切れ悪く言ってから、気を取りなおしたように本題に入った。
『クナド事件、捜査本部に持っていかれそうなんだろ』
「ええまあ、仕方ありません。私もこの後、捜一の怖い刑事さんから聴取ですよ。ただ……動機が気になって」
『うん?』
「上遠野さんは、おそらくクナド様に自分の思いを託した。防塞、悪霊への対抗、魔除け――そういう意味を込めたとすれば、上遠野さんにとって弦間さんは禍なんです」
それも、おそらくちょっとやそっとの禍ではない。
上遠野の人生を根幹から揺るがすほどのなにかが、ふたりの間に起こったのだ。
幽霊とも妖怪ともカミともつかない異形に身を窶さねば対抗できないと思いつめさせるほどの、なにかが。
『俺も鳥居の昨日の言葉について考えた』
「私の……昨日の言葉?」
『幽霊だの、妖怪だの』
「……馬鹿にしてたじゃないですか」
『馬鹿にはしてない。鳥居だってたいがいもう分かってんだろ』
揶揄う調子ではなく、事実を確かめ合うような妙にこそばゆい響きだった。
累からは百々の顔など見えていないのに、思わず仏頂面になってしまう。
『あのライムのクナドスタンプの曲、俺たちは上遠野が弦間からパクったと思ってたが、実は逆なんじゃないのか』
「……つまり、『遠い日の戀歌』のほうが盗作ということですか」
『佐藤の話じゃ、あの曲が発表される一年前に上遠野の父親が入院している。金が必要だったはずだ。上遠野は盗作被害を訴えようとしたが、逆に金をちらつかせられ、取り込まれた。高校からずっと弦間の会社に在籍していたことを考えると、ゴーストライターを務めていたなんてことも考えられる』
ゴーストライター。
つまり、近年弦間英名義で発表されていた楽曲は、実は上遠野が作曲していた、ということだ。
弦間は、二十年ほど前にブレイクして以降はぱっとせず、つい数年前までは細々と音楽活動を続けていたが、六年前の『遠い日の戀歌』の大ヒットを契機にふたたび日本の音楽シーンの最前線に返り咲いた。作風もだいぶ変わったなどと言われていたが、もしその功績が彼のものではなかったとしたら、話は随分変わってくる。
『鳥居の言ってた、幽霊ってワードから連想してみた』
「……それは、活用していただいてどうもありがとうございます」
百々がもごもご言えば、累はなんだそれ、とくつくつ笑った。
『まあ全部当てずっぽうだが、あれだけ弦間に拘っているのを考えると、当たらずとも遠からず、なんじゃねぇのか』
百々はええ、と頷く。
上遠野が単に楽曲を盗まれたのであれば、話はこれほど複雑化していないはずだ。著作者名偽装を世間に公表して、罪に問えばいい。
しかしそのような正規の手順が踏めなかったのは、上遠野がいったんはゴーストライターになる契約を受け容れてその対価を得ていたからではないかと考えられる。
八森の調書によれば、上遠野には小さな弟もおり、母親はパートやアルバイトを複数掛け持ちしていた。住宅支援も打ち切られ、病気の父親を抱えて東京で生活していくには、弦間の言いなりになるほか道はなかったのではないだろうか。
ただ、問題の『遠い日の戀歌』はゴーストライターになってから上遠野が弦間の分身として作った曲ではなく、真実盗作だったから上遠野名義の原曲があった。
それゆえに、クナド様ライムスタンプの楽曲は『遠い日の戀歌』に酷似しているけれども細部が異なっていたと考えれば、説明がつく。
さらに八森によれば、他の集団失踪者たちも、それぞれの理由で生活に困窮する者が見受けられたという。
上遠野はそのような社会に不満を持つ若者を募って、自分たちを禍を退けるカミに見立て、意趣返しがしたかったのではないだろうか。
『どんな事情があれ、罪は罪だ。だがこのまま、弦間がいかにも清廉潔白な善人面をしているってのも腹が立つな』
通話口の向こうから、ぱき、と指を鳴らす音が聴こえた。それにしても、なんだか家で安静にしているにしては先ほどからノイズが大きい気がするが、累の家は壁が薄いのだろうか。
百々も朝の情報番組で生出演している弦間の姿をテレビ画面のなかに見とめて、複雑な思いを飲み下す。
ネット上には、早くも天才音楽家・弦間を襲撃したクナド様を非難する投稿が殺到していた。
それからいくつかのやりとりをして、累はなぜか百々に身辺に気をつけるよう言葉を重ね、電話を切った。
間もなく、オフィスにかっちりとしたスーツを着込んだ物々しい雰囲気の刑事が到着する。腰を浮かした百々は、ぴこぴこ、と響いた通知音に目を落として硬直した。
ライムの画面上、クナド様とのトーク画面にいくつかのメッセージと一枚の写真データが送られている。
“Dear my silver bullet,”
“Come find me soon.”
“I miss you. ”
“your fate”
写真は百々の知らない、けれどそれでいて何度も夢に見た場所を写しとっている。
百々がまだ一度も足を運べていない、町田南霊園の雨に濡れた、鳥居家の文字の刻まれた墓碑。首を吊って死んだ母の眠る葬地。
学生を構成員とした、クナド様ではありえない。その裏で糸を引く、モリミヤジンから百々に向けたメッセージだった。
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