第3話 事情聴取

 翌日、百々は累とともに柳成の実家のある菅野にいた。菅野は、本八幡駅から千葉街道を越えた先にある高級住宅街だ。

 アスファルトにできた水溜りに、すっくと背の高い黒松が映り込んでいる。ほんの霧雨だと油断してパンプスを履いてきてしまったが、すでに靴のなかはぐっしょりと濡れて気持ちが悪かった。

 この辺りは古くは永井荷風や幸田露伴などの文化人がやしきを構えていたらしく、立派な門構えの格調高い家々が軒を連ねている。


 その一角に、立川家と表札に記された邸宅はあった。一見厳めしい石垣に囲われた門扉には、瑞々しい橙色に咲き匂う凌霄花のうぜんかずらが絡みつき、彩りを添えている。

 百々は思わず、柳成の写真を取りだしてまじまじと眺めてしまう。


 金髪の髪にごつめのピアス、真っ赤なシャツの青年が、カメラ目線で中指を立てていた。偏見かもしれないが、いかにもヤンキー映画に出てきそうな佇まいだ。彼がまさか、数年前までこんな趣のある日本家屋に暮らしていたとは誰も思わないだろう。


 出迎えてくれたのは、柔和な顔立ちの小柄な女性だった。


「柳成の母の立川早苗でございます。遠くからお越しいただき、ありがとうございます」


 百々は鞄からタオルと予備のフットカバーを取り出し、さっと靴下を履き替えて玄関に上がる。

 案内された広いリビングには、ひょろりと背の高い、百々とそう変わらない歳くらいの男性と、厳めしい顔つきの五十代くらいの男性がいた。市川北署で見せてもらった調書によれば、彼らは柳成の兄と父親だ。


「市議会議員の立川桐吾とうごです。この度は不肖の息子がご迷惑をお掛けしています。午後から仕事があるので、手短にお願いしたい」


 まだ始まってもいないのに桐吾はそう前置きをして、百々と累に席を勧めた。

 パラ対のオフィスのものとは段違いにふかふかのソファに、身体が沈み込む。


 リビングの棚には、家族写真がいくつも飾られていた。

 ほとんどのものには家族四人が写っていたが、右端の二つは桐吾と早苗、それから兄の柊成しゅうせいの三人だけが写っていた。

 その左横に高校生らしき柳成の写真もある。黒髪で細身のフレームの眼鏡を掛けており、どこか内気そうに俯いている。今の姿とは似ても似つかない。


「ご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます」


 珍しい累の気遣いにも、桐吾は鼻を鳴らした。


「あれには、ずっと頭の痛い思いをさせられてきました。今さらそれが一つや二つ増えたところで変わりやしませんよ」

「お父さん」


 息子が行方不明になったとは思えない桐吾の物言いを、躊躇いがちに柊成がたしなめる。

 柊成の胸元には、向日葵と天秤をかたどった金の徽章が輝いていた。彼は弁護士の卵らしい。


「実は、以前にも何度か連絡が取れなくなることはあったんです。でも一週間以上も音信不通なのは初めてで……」


 早苗は口元をハンカチで覆って、声を詰まらせながら言い募る。

 累は静かに頷いて手帳を開いた。


「柳成さんが訪ねてきたのは、六月二十二日の昼前で間違いありませんか?」

「ええ、久々に母のつくる煮込みハンバーグが食べたいと言って」


 苛立っている様子の桐吾と悄然とした早苗の代わりに、柊成がはっきりとした口調で答える。


「そのとき、なにか変わった様子はありませんでしたか。なにかトラブルに巻き込まれていたなんてことなどは」

「特には。ただ、珍しく自分から帰ってきたんです」

「普段は家に帰省することは殆どないと?」

「年末に一度だけ帰ってきました。そのときは母が無理やり、好物の煮込みハンバーグを作るからと宥めすかして」

「町田からはそう遠くない距離です。実家が恋しくなりそうなものですが」


 百々は淡々と聴取を行う累を横目でちらりと見る。

 白々しい。

 実は、市川北署の担当刑事に話を聞いて、柳成と桐吾の家族仲があまりよくなかったらしいことはすでに百々たちの耳に入っている。


「それは……」


 柊成は逡巡したが、父と弟の折り合いが悪かったのでと素直に白状した。

 桐吾の蟀谷がぴくりと震えるが、何も言わない。


「あの日も、父と弟は口論をしていました」

「それはどのような?」

「将来についてです。弟は卒業寸前の一月に大学を中退したんですが、その後就職活動もせず、日雇いの派遣バイトで食いつないでいました。この先どうしていくつもりなのか、私と母が聞いても要領を得なくて。それで父も思わず強い言葉を口にしてしまったんです。よくある家族喧嘩ですよ」


 柊成は取り繕うように言う。

 累はそれに頷いてみせたが、訝るように首を傾けてペン先でトントンと手帳の端を叩いた。


「柳成さんは一泊して帰るつもりだったにもかかわらず、夕方になってやっぱり帰ると言いだしたそうですね。よくある家族喧嘩にしては、少々行き過ぎな行動に思えますが」

「あんた、私のせいで息子が行方不明になったと言いたいのかね?」


 桐吾の目に剣呑な光が宿る。


「あらゆる可能性を疑ってかからなければならない職業なので」


 累は申し訳ありません、と微塵も申し訳ないなどとは思っていなさそうな態度で謝罪する。


「弟も、カッとなりやすいところがあるんです。前にも家を飛び出したことはありました。でも、そのときはけろりとした様子で次の日には電話に出て。だから今回、まさかこんなことになるなんて」


 そう言って、柊成は項垂れる。


「皆さんが聞いたのは、不知八幡森に行くということだけですか?」


 瞬時に、室内がひっそりと静まり返る。

 指の先から凍てついていくような、つめたい緊張が張りつめた。


「隠し神に攫われてきてやろうか」


 一石を投じたのは、早苗の声だった。


「あの子が家を出ていく前に言った最後の言葉です。夫が、出来損ないがと吐き捨てたので」

「お前は黙っとれ!」


 桐吾が吠える。早苗はその小さな身体を震わせたが、冷えたまなざしで桐吾を一瞥した。


 隠し神に攫われてきてやろうか。


 そう言って姿を消した次男。事件や事故に巻き込まれた可能性もあるが、故意に姿を消した――もっと悪ければ自ら死を選んだのではという想像に駆られても不思議はない。


「ではつまり、不知八幡森に行くとは明言していなかった?」


 家族喧嘩などどこ吹く風で、累が尋ねる。


「ええ、でもこの辺に住んでいる人間にとって攫う神様といったら、八幡の藪知らず一択です。それに柳成とは小さい頃、何度も不知八幡森に遊びに行ったので」


 柊成が冷静に応じる。

 この家から不知八幡森までは徒歩で約二十分。たしかに、柳成の言う「神様」が不知八幡森を指している可能性は高い。


「神隠し、なんてことはあるんでしょうか。その、あなた方はそういったことの専門家だと伺ったので」


 柊成の声には、むしろ神隠しであってほしいというような響きがある。彼も、本気で神隠しを信じているわけではないだろう。

 だが、柳成が失踪してもう一週間が経つ。

 弟が死んだかもしれないなどという想像をするよりは、ここではないどこかで生きていると思えた方が楽なのだろう。

 人知の介入できない神隠しは、神様の行ったことだから仕方がない、きっとここよりももっといい場所で神様に取られた子は生きていると、そう遺された者を納得させるための優しい嘘でもあった。


「私が実際に神隠し現象を確認した事例はありません」


 百々はつとめて、淡々とした声で言った。


「ですが、あらゆる方面から柳成さんの失踪について捜査をさせていただきます。あとひとつだけ。柳成さんはクナド様伝説についてなにか話していましたか?」

「クナド様?」


 不審そうに、立川一家が目を見合わせる。


「いいえ、弟は一切、そのようなことは言っておりませんでした。それがなにか?」

「いえ、失礼をいたしました。柳成さんの失踪に関係があればと思ったのですが」

「今日のところはこれで。またご連絡させていただきます」


 累がお茶を濁すように言って、立ち上がって一礼する。

 百々もそれに倣って、立川家を後にした。

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