第12話 戦闘服と侵入者

「なんだか最近、やたらと『スクープ・トゥデイ』に明星さん出てますね」


 百々はオフィスのソファの上で膝を抱えてテレビ画面を見つめながら呟く。

 明星がピンチヒッター的に登板することになった『ジャスト・ナウ』は、結局彼女が引き継いだようだ。

 今日はネットでバズったたこ焼き屋のたこ焼きを頬張りながら、食レポを淡々とこなしている。芸能人の食レポはオーバーリアクションが常だが、明星は的確な言語化能力と素っ気なさが逆に新鮮だとかで、評判も上々だ。


「明星のことはもう終わったことだろ。んなことより、俺を労われ。人面犬がお面被ったワン公だったのを突き止めたの、俺なんだぞ」

「はあ、お疲れさまです、八森さん」


 百々の気のない返事に、八森はぶすくれた様子でアイスキャンディーを齧っている。もうだいぶメタボ気味で健康診断の結果が年々悪化しているようだが、酒好きの甘党という最悪のコンボを改める気はないらしい。


 あれから高瀬のトリラーの裏アカウントのフォロワーを当たったが、怪しい人物には行きついていない。裏アカウントのフォロワーは七人しかおらず、この中の一人が週刊ジャメヴ編集部に写真を売った可能性が高いと百々たちは睨んでいた。

 併せて初めにトリラーに写真や動画を流出させた人物を特定できればと宮野の遺族と連絡を取り発信者情報の開示も請求している。しかし、拡散に協力したアカウントの数が膨大で特定には至っていなかった。


 明星への疑惑はほとんどなくなったというのが百々と累の見解だ。重ねて高瀬に明星とのことを事情聴取したところ、パスワードもそう簡単な数字の配列などではなかったし、よくよく聞けば五分もしないうちに彼女は控室にスマートフォンを取りに戻ったのだという。事前にパスワードを入手していれば画像を盗み出すのは不可能ではないだろうが、少々無理があった。

 とはいえ、明星にも引き続き累が連絡を試みている。

 残念ながら、彼女に接触を拒否される状況が続いていたが。


「誰かさんが明星を無駄に煽るようなことを言わなきゃな」


 累は当てつけるように言ったが、百々も売られた喧嘩を買うようなことはしなかった。

 それについては反省すべきところがあったからだ。

 明星の身辺を徹底的に洗ったが、妙な壺を売っているとか、高額の相談料を騙しとっているとか、言うとおりにしなければ不幸になるとか、そういう類の悪質な霊感商法には一切関わっていなかった。

 加えて、事情を知った八森に先日絞られた。


『霊能力者を謳う芸能人が相手とは言え、俺たちゃ公権力だ。警察に犯罪者扱いされてそれが流布されたら、明星なんざひとたまりもない。俺たちは言葉ひとつで人ひとりの人生をぶっ壊せる。そういう怖ぇ仕事だ。その自覚がねえ奴を置いちゃおけねぇぞ』


 その言葉で目が覚めた。

 百々は弱い立場の人々を食い物にする自称霊能者を赦せない。赦せないが、警察組織に属する以上は力関係は反転する。

 法に基づいてその力を奮わなければ、百々はフィクションさながらの悪徳警察になってしまう。

 あの日、百々をカスと罵った累も言葉こそ足りなかったが、もしかしたら似たようなことを言いたかったのかもしれなかった。


「やっぱり、宮野さんの自宅を調べてみませんか。自殺が明らかだった以上、遺書探しの他はきっと家捜ししてないでしょうし」

「たしかに宮野が巻き込まれていたトラブルの原因も見つかるかもしれねぇな」


 百々の提案に累も乗り気になる。


「おーい、それで何も出なかったらこの事件もそろそろ上がりにしろよ。あとはもう俺たちの管轄外の話なんだからよ」


 八森の勧告に百々は背を向け、累も聞こえない振りでジャケットを引っ掴んだ。


「誰かクナド様探し手伝えよ!」


 八森の裏返った声が、昼下がりのオフィスに木霊した。



 * * *



 『プランタン新宿』の宮野の一室は、遺族の希望で暫くはそのままの状態で留め置かれているとのことだった。

 マンションの管理人から鍵を借り、百々は累とともに宮野の住んでいた五階に向かう。


「ここですね」


 宮野の部屋のドアの前には、いくつもの仏花が供えられていた。管理人によれば、マンション住人によって手向けられたものらしい。あのような報道の数々に惑わされずに彼女を悼んでいる人が思うと、ささくれだった心が慰められるような心地がした。


 累が鍵を差し込もうとしたところで、隣室のドアが開く。品のあるふくよかな中年の女性だった。女性は百々たちを見て、不審そうに目つきを険しくする。


「警視庁の境木です」


 累が警察手帳を示せば、女性は慌てて表情を改めた。


「ごめんなさいね。変な人がまた来たのかと思って」

「変な人?」

「ええ、一週間くらい前だったかしら。帽子を目深にかぶった男の人よ。三十代後半か、四十代くらいの。宮野さんの部屋の前で、この季節に手袋をして扉に手を掛けていてねえ。ちょうど私が買い物から戻ったところで見かけて、声を掛けたら何も言わずに去って行ったの」


 聞けば聞くほど、あからさまに怪しい。


「警察に通報は」

「いえ。ほら、宮野さんって沢山ファンの方がいらしたでしょ。もしかしたら、人目を忍んでお別れを言いに来たファンや関係者の方かもしれないと思って」


 女性の気持ちは分からないでもないが、もし玄関のオートロックを破って来ていたのだとしたら、立派な不法侵入だ。

 それからいくつかの雑談をして、女性は隣室に戻っていった。


「三、四十代の男性……さっぱりですね」

「後で防カメの映像当たるぞ。なんであれ、宮野の死後、彼女の周辺を嗅ぎ回っている奴がいる。臭うな」


 累は片方の手袋の端っこを口に咥えながら、眼光を鋭くする。

 先に入った累に続いて、百々も宮野の自宅に上がり込んだ。部外者が入ってこないよう、念のため施錠をする。

 実況見分調書の通り、部屋は綺麗に片付いていた。2LDKのメゾネットタイプの部屋で、全体が柔らかい色合いのナチュラルなテイストの家具でまとめられている。

 宮野自身の写真集なども綺麗にキャビネットに収まっていたが、机の上には『週刊ジャメヴ』が転がっていた。乱雑に扱われたのか、破れて折れや傷ができている。


「問題の記事ですね」

「……んなもん、燃やせばよかったのにな」

「すべての人があなたみたいに単純明快じゃないんですよ」


 百々はそう言いながら、部屋の中を物色する。


「でも、宮野さんに関するスキャンダル記事を扱ったものはこの一冊だけですね。他にも沢山記事は出ていたのに」


 宮野にとって忌まわしい数々の報道の中で、何故この一冊だけを手元に残しておいたのだろうか。


「サイコメトリーでも使えたらな」


 冗談めかして、累が意味ありげに週刊誌の表紙をなぞる。


「そんな存在の真偽すら危ういものに頼ってないで、足で捜査してください、足で」


 百々の小言に累は肩を竦めた。


 二階の書斎のデスクには、ノートパソコンが置いてあった。パソコンの中身は遺書が残されていないか、実況見分に当たった刑事があらかた調べ尽くしたあとだ。

 ノートや手帳の類も同様に念入りに検められたあとなので、探すのならばそれ以外を探すのが効率がいいだろう。

 とはいえ、なにを探せばいいかも分からないのに他人の家を虱潰しに見て回るというのは、なかなか骨が折れる。


「妙だな」


 なにを思ったのか、隣で突然床に頬をつけて累が呟く。


「部屋が綺麗すぎる」

「宮野さんが亡くなる前に掃除したんじゃないですか」

「その後も、遺族が何度か出入りしている。今日のことの許可を取ったときにも、掃除もしてないのにと謙遜していた。髪の毛一本くらい落ちていたっていいはずだ」


 たしかに言われてみれば、宮野の部屋は埃も髪の毛も落ちていなかった。


「誰かが来て、家捜しをして、その痕跡を消すために掃除をした?」

「その可能性は高い。なにせ、住居侵入容疑の奴がいる。問題はこそこそ隠れてなにを探しにきたか」


 寒くもないのに、ひやりと悪寒が走った。


「宮野さんの写真をばら撒いた人物を突き止める証拠、とか?」

「最も疑わしいのはその線だな」

「もう持ち去られたあとの可能性もありますが、そのなにかを捜すしかないですね」


 ひとまずは手分けをして宮野の部屋を物色することにする。

 累が一階に降りて行ったので、百々は二階だ。書斎兼客室と寝室の二部屋のうち、寝室から先に手をつける。百々なら、大事なものは寝室に隠すと思ったからだ。

 寝室のダストボックスには、錠剤の包装がいくつも山になっていた。見覚えのある製品名が書いてある。ベンゾジアゼピン系の抗不安薬。百々も何度か処方されたことがあるので知っていた。


 背後にある備えつけのクローゼットを開く。清純派アイドル路線の服のなかにいくつかテイストの異なるものが混じっていた。インポートブランドの、ぱきっとした色遣いのシンプルな服たちだ。上品だが揺るがぬ意志を感じさせる。

 映画『誰が駒鳥を殺したの?』の予告で見せた強い眼差しの女には、きっと似つかわしい装いだった。

 ショップタグのついたものもあったので、おそらくこれらの服は他の服よりも新しいはずだった。


 百々も装うことは嫌いではない。

 研究や調査に没頭すると洋服のことはどうでもよくなってしまうときもあるが、服は自己表現のひとつの手段だと思っている。戦闘服を纏うのは、決まって自分を奮い立たせたいときだ。或いは、変わりたいと強く願いを込めるとき。


 等間隔で並べられた服のなかから一着、ハイブランドのスーツを見つけだして、百々はそれをクローゼットの取っ手に引っ掛けた。

 おもむろに胸ポケットに手を伸ばして目を瞠る。硬い。ポケットの中に手を入れれば、小さなUSBが入っていた。


 隣の書斎のノートパソコンを立ち上げ、USBをポートに差し込む。フォルダの中身をひとつひとつクリックしていくにつれ、血の気が引き、やがて百々は口元を手で覆った。


 かちゃかちゃと静寂を破る音がしたのは、それから間もなくだった。

 二階からではない。階下で音が響いている。それも、屋内ではなく、外から。鍵を開ける音だ。管理人だろうか。

 しかし、通常の開錠音に比べて、随分と長く音が聞こえていた。やがて、ドアがゆっくりと開く。


 隣室の女性の証言を踏まえて考えられうる事態は、誰かが部屋に侵入してきたということだ。

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