第49話 神の調味料

「それまで、女を口説くことしか頭にない、頭からっぽ顔だけ男だったっていうのに、人間の言葉を話せるようになってたんだけど……」

 エディットの歯に衣着せぬ言葉はそう続いた。

 どうやらその顔だけ男とやらは、エディットのお弁当に入っていた唐揚げを奪って食べたようだ。でもそれ、好きでもない男にやられたら殴りたくなるような悪行だ。わたしだったら悲鳴を上げて逃げると思う。

 話を聞いたエリクも表情を強張らせているし。


 でも。

 なるほど、エディットの困惑は納得できた。つまり、その男がまともになったのは唐揚げのせいか、疑っているわけだ。


 唐揚げというか、醤油にそんな効能があるなら、大々的に売り出すべきかな……。

 なんてことを考えていたら、エディットはまだ不安の種があると言い出した。その男の婚約者と、その友人たちだ。彼女たちは嫌味を言うためにエディットに近寄ることが多いのだという。

 これもまた、テンプレ行動というか何と言うか。

「唐揚げを食べさせておけばいいんじゃないですかあ? もしかしたら嫌味言うのも忘れて唐揚げの美味しさを語り出すかもしれませんよう」

 と、マルガリータは無責任にそんなことを言う。

「どうやって食べさせるのよ」

 それに応えるエディットは、どうやら半分本気だ。明日もわたしにお弁当を作って欲しいと言い出したから、まあ、一応了承したけれど。

 しかし本当に、どうやって食べさせるつもりなんだろうね?


 そんなことを考えこんでいると、廊下の真ん中で立ち話中のわたしたちに召使の女性が「お風呂の準備ができております」と声をかけてきて我に返る。

 そして、それぞれ自分の部屋に戻ることになった。

 夢など見ない夜が終わり、新しい朝がくる。残念ながら、朝日を見ながらのラジオ体操は省略した。このお屋敷の人に見られたら恥ずかしくて死ねるかもしれないからね。

 エディットが学園に行き、またわたしたちは街の中をエリクと一緒に歩き回る。今日は昨日よりもずっとスローペースで移動した。

 トルデル商会の傘下の店というのは本当に多くて見どころも多く、職種も様々だ。食品、服飾、武器、その他。

 そして、今日は買い物を中心にした。

 やっぱりアレよ、調味料。唐揚げの新しい味付けを試してみなくてはならない。できれば辛い奴がいい。夏場にビールと一緒に食べる感じのやつ。


 そうやって色々な調味料の瓶をエディットのお屋敷に持ち帰り、料理人さんたちにそれぞれのお勧めの使い方を教えてもらっていた時のこと。

「やったわ! 食べさせてやったのよ、無理やり!」

 と、頬を紅潮させたエディットが台所の扉を開けて、わたしたちはそれぞれ「おお」としか言えなかったのだった。


「あ、これも美味しい」

 わたしは料理人の男性と一緒に唐揚げを揚げていて、カリカリ揚げたてジューシーな奴を皿に積んでいく。それを皆で分け合って食べる、という光景が目の前にある。

「これはこのスパイスを使っています」

 料理人さんの説明を間に挟みつつ、わたしたちは椅子に座って唐揚げを食べる。まだ夕方の時間だけど、こんなに食べていても大丈夫だろうかと思ってしまうけれど、唐揚げは別腹である。やっぱり揚げたては最高。

「で、どうやって食べさせたの? っていうか、食べさせたのはその……わたしと同じ名前のご令嬢なのよね?」

 わたしが果実水を飲みながらそう言うと、わたしの目の前の椅子に腰を下ろしているエディットが頷く。

「そう。名前が同じでも、美少女なのが共通であったとしても、性格は全然違うんだよ」

「照れるなあ」


 美少女と言われたところ、確実に拾っていくわたし。反応もします。


「何かね、昨日のお昼、わたしとあの女たらしが会話しているところを誰かに見られていたみたいなのよね。会話っていうか、唐揚げを食べられたところを」

 エディットは唇を尖らせて言った。「どんだけ皆、わたしに興味あるの? 見張られているようで凄く厭なんだけど」

「エディットが可愛いからじゃないの?」

「えー、わたしが? それはないわね。むしろ、女たらしが目立つからかな。全ての元凶はあいつだ」

 うー、と小さく唸った彼女は、わたしと同じように果実水を飲んでお口の中をさっぱりさせた。そして次の唐揚げにかぶり付く。

「まあ、その目撃者が告げ口したみたいでね、わたしは今日もお昼休みに呼び止められたわけよね。何なのもう、皆、お昼休みくらいは休憩させてって感じよ」

 不満たらたらの彼女と、「まあまあ。それで?」と話の先を促すわたし。

 料理人の皆さんは気を遣ってわたしたちから離れ、夕食の準備を始めた。唐揚げをつまみながら。

「シルフィア・シャープ伯爵令嬢様はこう言ったのよ。『やっぱりあなたは油断ならない人ね』って」

 胸を張り、いかにも上から目線、といった表情を作ったエディットは続ける。「『身分の高い男性に取り入るためには、何でもするのかしら? 邪魔な相手を蹴落とすためには手段を選ばないってことかしら。口が上手いっていうのはあなたのことね』」

 そして彼女は、その伯爵令嬢の言葉の後に、二人のご友人というか取り巻きというか、金魚のフンというかそういうタイプの人が続けて慇懃無礼な言葉を次々と投げつけてきたと言った。

 いかにも典型的な虐めの図である。


「かなり険悪な様子だけど、そこからどうやって唐揚げを食べさせることになったの?」

 わたしが続けて訊くと、エディットはふふん、と笑って見せる。

「わたし、根本的なところが商売人だから得意なのよね。相手を煙に巻くの」

「ほほう?」

「相手を煽てて、自分を卑下して、話をそらしていつの間にか醤油を売り込んでたわ」

「さすが商売人」

「貴族の間に醤油が流行れば、飛ぶように売れるようになるでしょ? わたし、新しい調味料を売り出すために色々な人に食べてもらっているって彼女に言ったわ。健康にいい調味料だし、お肌にも(多分)いいし、本当は男性より女性に食べてもらいたかったけど、昨日は近くに試食してくれる人がいなくて……って落ち込んだふりをしてみせてね」

「さすが演技派」

「昨日の場合は、通りすがりの女たらし……いえ、子爵令息様に試してもらって反応を見たんですうって言って、そこで彼女たちに改めてお願いしたの。何とか食べて味の感想をお聞かせ願えないでしょうか、って。わたしの一世一代の演技、可憐な表情で目をぱちぱちさせながら言って見せたわよ! 終わった後に凄く自己嫌悪で落ち込んだけど!」

「よくそれで食べてもらえたねえ」

 わたしは素直に驚いて、彼女の顔を見つめ直した。相手は性格悪そうな雰囲気なのに。

「まあ、ほとんど無理やりだったよ」

 そこで、エディットも気まずそうに笑って肩を竦める。「わたしの営業話術を駆使して、逃げ道を塞いで、相手を煽ててお弁当箱を押し付けたんだ。ちょうどお昼時間で、誰もまだ食事を取っていなかったからね。向こうも香ばしい香りに負けたんでしょ」

「そ、そっか……」

「でもね、やっぱり変化があったのよ。それぞれ唐揚げを食べてくれたんだけど、彼女たち、その後から少しだけわたしに優しくなって、それまでとは違って色々話を聞いてくれるようになったんだ」


 ――おお。

 わたしが思わず感嘆の息を吐くと、エディットはその表情を引き締めて続けた。


「ねえ、あなたたちは一体何者なの? あの醤油って何? お母様もそうだけど、こんなに性格が……というか、話を聞いてくれるようになるなんてびっくりなのよ」

「え?」

 わたしは何て応えるべきか悩んだ。

 でも、わたしが口を開く前にマルガリータが胸を張って椅子から立ち上がり、こう言った。

「だってあれは神の調味料ですから!」

「え?」

 エディットだけじゃなく、わたしもヴェロニカも困惑した声を上げた。

「白竜神様が認めた、神の調味料! 神聖な魔力の宿る調味料です!」

「ええ?」

「ちょっと」


 放っておいたら何かヤバいことまで発言しそうなマルガリータを大人しくさせるために、わたしは慌てて口を挟んだ。

 ええと。

 何ていうべきだろうか。


 神の調味料、か。


「……ええと、神殿にお供えした調味料というか」

 わたしの視線が上空を彷徨う。それは嘘をつく時の癖に似ている、と自分で自覚しながらも思いついたことをそのまま口にした。

「お供えじゃなくて……その、魔力を分けてもらったって感じ? 実はこの街に来る前に、竜の神殿に寄ってきたんだよね。で、醤油の入った瓶を神殿の前に置いておいて、魔力が宿った奴を持ってきたというか」


 何だか胡散臭いことを言っている。わたしがエディットだったら絶対に信用しないだろう。


 だが。


「そうなんだ! やっぱり、白竜神様が復活したっていう噂は本当だったんだね!」

 エディットが目をキラキラさせて言うものだから、わたしは少し不安になってしまった。


 大丈夫か、商売人。

 騙されやすいんじゃないのか、商売人。

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