第41話 貴族には向いていない

「お嬢様、ご迷惑ですよ」

 どうしたらいいのか解らず硬直しているわたしたちを見て、慌てたのは使用人の少年だ。整った顔立ちだけれど、もうすでに眉間に皺が刻まれていて、いかにも苦労人になる将来しか見えない。かわいそうに。

「あなたが騒いでる方が迷惑でしょう? いいから帰って!」

 何とか少年の手を振り払い、手首をさすりながら恨めし気に言う少女。それを気まずそうに見つめた後、少年がそっとため息をこぼす。


「あの、こちらも暇じゃないんで」

 わたしが荷台の上からそう言いながら、傍らに並んでいるアコーディオンを手で指し示す。「これを売り払ってこようと思ってて。早くしないと日が暮れちゃうというか……」


 そう。

 事実、ここで足止めされている間に空の色が少しだけ赤みを帯びてきている。こうなったら陽が落ちるのは早いのだ。

「じゃあ、手伝うわ!」

 黒髪少女は目をキラキラさせながら両手を胸の前で組んだ。「わたし、役に立てると思うわよ? だってわたしは」

「お嬢様!」

「うちの父、この辺りじゃ有名な、ちょっと大きな商会を持っているから! 売りたいものがあったら何でも言って!」

「……そうやってお屋敷の力を借りようとする時点で、家出して独り立ちとか無理があるんですがねえ……」

 彼女の背後で少年が呟く。

「うるさいわよ!」

 それに噛みつくような少女の口調だけれど、あまり迫力はないし。


 ……うん、漫才かな?

 わたしは思わずヴェロニカと顔を見合わせて言葉を失ってしまったけれど、御者台からマルガリータがとんでもないことを口にした。

「買い取ってくれるなら嬉しいし、宿の手配とかしてもらえるならありがたいですねえ。わたし、ずっとここに座ってたから疲れたし、そろそろ休みたいですう」

「ちょっとマルちゃん?」

「だったら任せて! むしろ、うちに来て!」

「お嬢様!?」


 ――うん、やっぱり漫才じみてきたぞ?


 そして彼らは改めて自己紹介をしてくれたのだけれど。

 黒髪少女はエディット・トルデル、茶髪少年はエリクと名乗った。どちらも十五歳。

 エディットは男爵家の一人娘らしいけれど、生まれながらにして貴族というわけではない。

 彼女の父親が商会の責任者として働いていたのだが、最初は小さな商会だったため、少しでも売り上げを出すために無節操に手を広げた。どうやら彼は元々商才があったようでかなり稼ぐようになり、どんどん規模を大きくなっていく。

 その流れで、とんでもない金額の税金を領主様に収めていたら、いつの間にか一代限りの爵位をもらったという。


 エディットは商会の手伝いを幼い頃からしていて、完全に意識は平民寄り。商会の娘という立場もあったせいか、気が強くて明るい性格に育ったようだ。

 そのため、貴族としてのふるまいを求められたりするのが凄く苦痛なんだとか。

「だって、ドレスを着たりしておしとやかに礼をするなんて、足が攣るわよ」

 と、ぶつぶつ言いながら不満をこぼしてくれた。

「それでも、今は爵位持ちなのですから」

 それを、苦い顔をしながら諫めるエリク少年。

 彼はそんなエディットの幼馴染で、幼い頃から商会の雑用をして稼いでいたようだった。

 幼馴染ということもあり、二人は仕事を通じて色々言い合える気の置けない友人になっていたらしいが、その関係はエディットが貴族になってしまって明確に変わった。

 雇い主とその部下。

 最初のうちは、エリク少年は自分が平民であることを気にして距離を置こうとしたが、エディットに泣きつかれて逃げられなかったらしい。

「わたしが貴族の一員になんて、なれると思う? 無理だから! 助けてよ、わたしたち親友でしょ!?」

 というやり取りの後、気が付いたらエリク少年は商会の仕事だけじゃなく、エディットのお屋敷で彼女の身の回りの世話をする使用人になっていた。

「……騙し討ちみたいなものです」

 目を細めてそう言った彼だが、本気で嫌がっている様子はない。

 まあ、見ていれば何となく彼らの関係は察しがつく。

 喧嘩をするほど仲がいい。うん、つまりはそういうことだ。


 そして、我々も自己紹介。

 マルガリータが最初に名乗り、わたしの名前も『シルフィア様』と言った。竜神の名前を言ってしまっていいのかとちょっとだけ慌てたわたしだったけれど、二人は全く何の疑いも抱かなかったみたいだ。

「ああ、竜神様のお名前にあやかって名づけをする人、多いものね」

 エディットはすぐに頷いたけれど、その表情が少しだけ曇ったのも見逃さないわたしである。

 人間観察はこれでも得意なのだ。表情を読む、これ重要。

「もしかして、エディット……ええと、様付けの方がいいかな、エディット様の知り合いにもわたしと同じ名前の人がいたり?」

 そう訊いてみると、エディットは情けなく目尻を下げた。

「様付けされるほど偉くないし。エディットでいいわよ。同い年くらいでしょ?」

「うーん、そうかな?」

 いや、見た目は多分、エディットよりわたしの方が幼いぞ?

 ヴェロニカは同い年くらいに見える風貌だけど。

 エディットは言いにくそうに口をもごもごさせた後、乱暴に頭を掻きながら続けた。

「ちょっとね、知り合いになりたくなかった相手がシルフィアっていう名前なの。シルフィア・シャープって言ってね」

「電化製品でも売ってそうな名前ね」

「え?」

「ううん、こっちの話」

「う、うん? とにかくね、そのシャープっていうのがこの街でも一番くらいの権力の持ち主って言うか……伯爵家なんだけど」

「うん」

「ちょっとね……色々あるのよ。それこそ、泥沼状態になるような、とんでもない事情が」


 ――なるほど?

 つまり、彼女が家出をしたくなるような何かがあるってことなんだろうか?


 ちなみにこの会話は、荷馬車の荷台の中で行われている。

 エディットとエリクも荷馬車に乗っていて、エディットは膝を抱えて座り込んでいるし、エリクはそんな彼女から少し離れた場所で背筋を伸ばした格好で座っている。

 たまに荷馬車の揺れを通じて、エディットがエリクの方へにじり寄っていっているようにも思えるけれど、エリクも揺れに合わせて遠ざかっているからその一定の距離は近づかない。


「でね」

 エディットは思いつめたような眼差しで自分の膝を見つめ、ぎゅっと両腕で抱え込んで呟くように言った。「わたし、やっぱり貴族には向いてないなって思って。元々、店に立って売り子でもしている方が性に合ってるのよ。ドレスの裾を引いてダンスだ何だって言われたって、絶対無理。だから、どうしても……外に出たかったのよね」

「うーん……」

 わたしも彼女と同じように膝を抱えて唸って見せる。

 そして、こう言ってしまうのだ。

「でも、家出して解決するようなことなの? ご両親は何て言ってる?」

「うー」

 エディットが膝に額をぐりぐりと押し当てた。「父さん……お父様は何も言わない。ただ、問題はお母様で。お母様だって元々は平民なのに、何であんなに……貴族っていう立場に固執するんかなあ。何かもう、疲れちゃったのよ。とにかく逃げたい。もう厭」


 その辺りで、エリクが何か言いたそうに眉根を寄せ、口を開けたり閉じたりしているのが解った。でも、膝と友達になってしまったエディットには彼のその様子は見えないわけで。


「あの家に味方なんていないのよ」

 そう小さく続けた言葉に、エリクが顔色を白くさせて固まってしまったから、うん、これは色々厄介そうだぞ、と改めて思ったのだった。


 そうやっているうちに、彼らに教えてもらった道を進んで荷馬車は大きなお屋敷の前にとまる。その街にある他のお屋敷と比べても、一回りくらいは大きいと思えるくらいの三階建ての建物。綺麗に手入れされた植木が生い茂る広い庭、ぐるりと囲む高い塀。

 いかにもお貴族様の家。


「ほえー」

 と、わたしが間抜けな声を上げている間に、閉ざされていた門が慌ただしく開けられ、中からエリクと同じようなかっちりとした服装の男性が飛び出してくる。年齢は三十代後半といった感じだろうか、彼は安堵した様子でエディットとエリクを見た。

「お帰りなさいませ、お嬢様! 奥様がお嬢様のことをずっとお探しで……!」

「お母様が……」

 唇を噛んで顔を顰めたエディットだったけれど、すぐに軽く頭を振って微笑んで見せる。「それより、お客様がいるの。わたしにとってはとっても大切なお客様だし、今夜は泊っていってもらうつもりなの。だから急いで部屋を用意してちょうだい」


 そこでやっとその男性は我々を認識したらしい。

 え? と一瞬だけ困惑したものの、すぐに表情を引き締めて頷いて見せる。さすがプロ、何か疑問があっても礼儀正しい笑みはすぐに浮かぶらしい。わたしたちに軽く頭を下げ、すぐに玄関へと案内しようとしてくれた。

 荷馬車をとめておく厩舎もあるらしく、てきぱきとした動きを見せてくれたのだけれど。


「エディット!」

 そこに、お屋敷の玄関から鋭い声が飛んできて、辺りは唐突な緊張に包まれたのだった。

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