第13話 喉にかけられた呪い

「ええと、まずは落ち着いて深呼吸しよう」

 わたしはちょっとだけ慌てつつ、微かに肩を震わせて階段の途中でしゃがみこんでしまった少女に声をかける。

 そう、まだわたしたちは階段の途中。

 この石造りの階段はそれなりに幅は広いから岩壁側に立っていれば安全だけれど、もう片側には手すりというものがなく、一歩間違えれば崖下へ真っ逆さまだ。怯えて周りが見えなくなったら、少女が階段を踏み外すことだってあり得る。

「まあ、びっくりしますよねえ」

 マルガリータが一度立ち上がったものの、欠伸をしながら階段に腰を下ろした。「普通は動きませんよ、骨だけになっちゃったら」

 あははー、と声を上げて頭を掻く骨格標本は、他人事のようにそう言った後でまじまじと少女のことを見つめる。

 少女は顔を覆った手の指の隙間からマルガリータを見て、襲ってこないと判断できるようになったのかそろそろと手を下ろし、首を傾げて見せる。

「お互い、疑問が色々あるみたいだし話を聞きたいけど……」

 わたしもマルガリータの横に腰を下ろすと、横でマルガリータが嬉しそうに身体をくねらせるのが解った。とりあえず、少しだけ横にずれておいた。マルガリータが落ち込んだ。

「喋れないのは問題だよね……。ああ、筆談するっていう手があるか」

 わたしが続けてそう言うと、マルガリータが気を取り直したように少女を見つめ直した。

 警戒したような視線をマルガリータに投げつつも、時折、わたしのことも怪訝そうに見やる少女。そんな彼女を見て、マルガリータは何か気が付いたらしい。小さく「ああ」と言った後、唸り始めてしまった。

「どうしたの?」

「シルフィア様、この子、喋れない呪いをかけられてますよ?」

「は?」

「まだシルフィア様は幼体だから見えないのかもしれませんが、喉の周りに……」


 そこで、ぱしぱし、という音がしてそちらに目をやると、少女がその場にしゃがみこんだまま階段を手で叩いていた。そして、わたしたちの視線が向けられた瞬間にこくこくと何度も頷き、自分の喉と口を押えて見せる。


「呪い……?」

 わたしは少女の喉を見つめるけれど、ただそれだけだ。何の変哲もない、白い肌。

 マルガリータはわたしが幼体だから見えないのかもしれないと言ったけど、大人になれば呪いとやらは視覚化するのか。っていうか、マルガリータはどんな感じに見えているんだろう?

「首の周りに、リボンでも巻かれているみたいに黒い帯があります」

「おおっ、わたしの心が読めるの!?」

 わたしが素直に驚いてそう訊くと、マルガリータは妙に鼻高々といった表情で胸を張る。

「わたしは確かにシルフィア様の守護者でありますけども、それ以前にソウルメイトと呼べるのかもしれません! あなたの考えていることならば何でも」

「で、本当のところは?」

「シルフィア様の表情は考えていることが駄々洩れなだけです」

「そーですか」


 そんな会話をしているわたしたちを見て、少女が少しだけ口をぽかんと開けたまま固まって、その直後に泣きだしそうに顔を歪ませた。

 え、どうしたの、とわたしがおろおろしていると、少女がその場にしゃがみこんだまま深く頭を下げる。その格好は土下座そのもので。

 何とか彼女の頭を上げさせようと、わたしが彼女のところに歩み寄ると、背後からマルガリータの声が飛んできた。


「シルフィア様、見えなくても触れるかもしれませんよ?」

「え?」

 そこでわたしは少女とマルガリータを交互に見やる。マルガリータは少しだけ身体を前に傾け、何もない眼窩で少女を覗き込もうとする。そして、見事に怯えられている。

「うーん、わたしがやってもいいんですけど、その呪いを『引きちぎった』ら、またここに倒れこみます、間違いなく」

「引きちぎる?」


 その後、マルガリータが言うには、わたしやマルガリータの魔力というのはいわゆる『神の力』であるから、人間が使う魔法や魔術といったものの干渉を受けないんだとか。

 普通、この世界の呪いというのは魔術を使って行われる。その際に使用されるのは、術者本人の魔力と何か他の生き物の血や臓物といったもの。これによって作られる呪いは、触れた人間全てに何らかの悪影響を及ぼす。不用意に呪いを解こうとしても、元々の術者より能力が上の人間でなければ解除することはできないそうだ。


「まあ、我々は人間じゃないですからね。無理やり引きちぎっても大丈夫ですよ? ただ、今のわたしは階段を駆け下りるほどの力もないか弱い乙女なんですけど」

 と、悲しそうに言うマルガリータ。

 か弱い乙女、というところは突っ込み待ちなんだろうかと思ったが、とりあえず目を細めて見つめるだけにしておいた。

「じゃあ、わたしがやってみる」

 そう言って、わたしはマルガリータに教えられるままに少女の喉に手を伸ばす。マルガリータが「もう少し下です」とか教えてくれるから、その通りに白い首筋に指先を走らせる。

 昔テレビで、アイドルが中身の見えない箱に手を入れて、何が入っているか当てるやつがあったと思う。あの不安を伴うドキドキ感の後に、わたしの指先が何かに触れた。


 ざらついた感覚。

 厭な感じ。


 少し触れただけでそう思う。

 恐る恐る指先でそれをまさぐると、確かに帯のように何かが少女の首に巻き付いているのが解る。


「引きちぎって大丈夫ですよ」

 マルガリータのその言葉に、わたしは「えいやっ」と掴んで無理やり引きちぎる。ばきん、という何かが砕けるような音と共に、唐突にそれは視覚化した。


 わたしの手の中に、黒いリボンのようなものがあった。その表面にはびっしりと何かの記号があって――わたしの脳は、それがこの世界の文字であることを理解していた。文字といっても、魔術に使われる特殊なやつだ。


「あ……」

 少女が驚いたように自分の喉元に手をやって、小さく声を上げた。鈴を転がしたような声というのはこういうことを言うんだろうか。とても涼やかな、心地いい声。

「声が……出ます。ありがとうございます、ありがとうございます」

 泣きそうな顔でまたその場に土下座しようとする少女を、わたしは慌ててとめる。

「気にしないで。他に何か変なところない? わたしもよく解ってないからさ……」

 手に持ったままのリボンをどうしたらいいのか悩みつつ、わたしは少女に笑いかける。

「はい、もうすっかり大丈夫です! さっきまでは、もうここで死ぬのかと思うほどだったのに、体調もすっかりよくなってしまいましたし」

 やっぱりその場に座ったままの少女は、顔を上げたものの礼儀正しい表情を崩そうとはしなかった。そして、思い切ったようにわたしに問いかけてくる。


「シルフィア様というお名前は……こちらに祀られている白竜神様のお名前です。だからその名前にあやかって、この世界では子供にシルフィア様のお名前をつける人間が多いのですが――あなた様はやっぱり、本当に本物の……その」

「えー、ああ、そうみたい」

 わたしは苦笑して頷く。「わたしが白竜神、こっちの骨格標本がわたしの守護者らしいよ?」

「守護者様! さっきもそうおっしゃってましたが、やっぱり!」

「やっぱり?」

「復活なさってくださったのですね? ありがとうございます!」


 いや、うーん。

 わたしもどうして白竜神としてここにいるのか知らないし、わたしの記憶は日本人の意識が強いんだけれども。そんなにありがたがられるような存在なのかもまだ自覚ないし。


「わたしの名前はヴェロニカと申します」

 少女は少しだけ居住まいを正し、背筋を伸ばして言った。「あなた様の復活のため、生贄としてこちらに送られた人間です」

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