第11話 動く扉

「静香ちゃんは夢を見ている間だけここにこられるんだ?」

 そう問いかけてくる彼の声は優しい。わたしが幼女だからだろうか。

「多分。ってことは、毎晩会えるのかもしれないですね」

「だといいね。ここは、誰も姿を見ないから……何だか、変な気分になる」

 そう言った彼は酷く寂し気な顔で、遠くの地平線を見つめた。でもすぐに、何か思い出したようにわたしに視線を戻す。

「でも、随分前に一度だけ誰かを見た。随分前と言っても、ここは時間の経過がよく解らないんだけどね。太陽はずっと上にあるし、夜はこないから」

「誰かを見た?」

 わたしが首を傾げると、彼はそっと頷いた。

「俺がここにきた直後だと思う。誰かが扉を開けて中に入って行ったようにみえたんだ。だから、その誰かを追いかけたけど……」

「逃げられたんですか」

「いや、逃げられたというより」


 そこで唐突に周りの空間にノイズが入ったように、細い光が明滅した。それは一瞬のことであったけれど、その光が消えようとする瞬間に何かがぶつかるような音がする。


「ほら、扉が動くんだよ」

 彼が辺りをぐるりと見回している間、無数にあった扉が消えたり別のところに出現したり、凄まじい魔力のうねりと共に『移動』している。

 さっきまで一番近くにあった木の扉はなくなっていて、少しずれた位置に石の扉が新しく存在している。まるで、最初からそこにあったと言わんばかりに。

「前、俺がその人影を見た時はこの辺りだった。でもすぐに扉の位置が変わったから、どれに入ったのか解らなくなった」

「見たのはそれ一度きりですか?」

「そう一度きりだ」

 彼はそう言って頷いた後、そっと苦笑した。「そして、扉を開けられるのも一度きりのような予感がする。何故なら、その人影も戻ってこなかったから」


 ――なるほど。


 だからこのお兄さんも悩んでいるんだろう。

 どの扉を開けたらいいのか解らず、そしてそれが一度きりのチャンスかもしれないと思ったら熟考するのも理解できる。


 そして急に、彼は「ああ」と声を上げた。

「扉を開けるのが何で怖いんだろう、と考えてたんだけど、そういう小説を読んだんだ。ホラーかファンタジーか忘れたけれど、確かその登場人物は超能力か魔術が使えるんだ。死にそうになった時に超能力で扉を作り出して、敵から逃げようとした。でも、慌てすぎて失敗したんだよ」

「失敗?」

「そう、急いで扉を作ったから、出口となるべき座標を作れなかった。それで、時空の狭間に落ちて、それっきり」

「それっきり?」

「そう。人間の世界に戻ることができず、暗闇に飲まれて終わり」

「わお」


 ――それは怖い。

 考えるとぞくぞくするね。


「確か、そんな終わりを迎えたのは善良な人間だったから、余計に怖いと感じたんだと思う。小説とかなら、普通は何も悪いことをしていない人間にはハッピーエンドが待っていることが多い。でも、現実はそうじゃない場合の方が多い。何も悪いことをしていなくても、最悪な結末が待っていることだってある。そんな小説を……子供の頃に読んだんだ」

「ちょっとしたトラウマですね」

「……そうだね」

 苦笑を漏らす彼に、わたしは明るく微笑みかけた。

「でも、思い出したんですね? 少しだけでも」

「え、ああ、自分の名前は解らないままだけど」

「きっとそのうち、他にも思い出しますよ。わたしだって、少しずつ思い出してますもん」

「静香ちゃんも?」

「はい」

 わたしは拳を握りしめて力強く続けた。「わたしが唐揚げが好きだったとか! 作るのも食べるのも好きだから、ここに台所があったらお兄さんに作ってあげられるのに!」

「そう、唐揚げか」

 くく、という軽い笑い声が響く。「俺が思い出したのは、小説を読むのが好きだったってこと。静香ちゃんと話をしていたら、不思議と頭に浮かんだよ」

「じゃあ、名前を思い出すのも近いかもしれないですね!」


 そうしたら、彼のことを名前で呼べるわけだ。そんなことを考えてしまうと、自然と口元が緩んでしまう。


「全部思い出したら、どうしてここにいるのかも解るのかもしれないね」

 彼がそう言いながら一番近くにある扉を見つめた。「この扉が何なのかとか、いやそれ以前に……どうやって俺は死んだのか、とか」

 その声音に含まれるものに苦悩らしきものが混じると、何て声をかければいいのか解らなくなった。少なくとも、自分が階段から落ちて死んだとは言えない空気だ。いくらなんでも間抜けすぎると思われる。


 それに、そんなに慌てなくても記憶を取り戻すきっかけはどこにでもあるんだ。ただ、扉しかない草原には『きっかけ』すらなかったのかもしれない。だから、わたしがその『きっかけ』になれたら素敵じゃない?


 そこで、また急速に自分の視界が暗くなるのが解って、急いで口を開いた。

「おにーさん! また来ます! そうしたら、たくさんおしゃべりしましょう!」

 そう、こうして色々話をしていれば、今日みたいに何か思い出すこともあるはずだ。

 今だってもっと話をしていたかったのに、どうやら時間切れだ。


 気づいたらまたわたしはソファの上に横になっていて、辺りは薄暗くなっている。楽しい夢の時間は儚いものだ。本当に一瞬で消え失せる。現実と夢の境目は曖昧で、いっそのことそれがなくなってしまえばと思う。会いたい時に彼に会えたらいいのに。


「シルフィア様、お目覚めですか?」

 わたしがソファの上でもぞもぞ身体を動かしていると、急に目の前にマルガリータの骸骨の顔があった。

 悲鳴を上げなかっただけ褒めて欲しい。明るいところならまだしも、薄暗く、その顔に影ができるような時間帯に急に覗き込まれると心臓に悪い。

「び、びっくりした」

 かろうじてそう言ったわたしに、マルガリータは「はい」と白い服らしきものを力強く押し付けてきた。何だろう、これ、とわたしが視線をその服に落としながら開く。

「可愛い夜着を作りました! いつまでもそんなしょぼいマントを着ていちゃ駄目ですよ、駄目駄目!」

「いや、これマルちゃんのマントだけど」

 インドのサリーとか巻きスカートみたいでこれはこれで結構好きだけどね、と自分の格好と広げた夜着とやらを交互に見て低く唸る。


 彼女が用意してくれたのは、いわゆるネグリジェというものだろうか。白いレースふりふりの、可愛い子供が着たら天使かな、と思えるようなやつ。前世でも着たことないはずだ、こんなの。

「ありがとう」

 そう笑いながらも、わたしは内心で『Tシャツとジャージでいいんだけどなあ』とか考えていた。

 ところで、まだわたし、パンツ穿いてません。覚えてるかな、この骸骨嬢は。


 まあ、それはさておきとして。


 わたしが昼寝していた間に、マルガリータは色々頑張ってくれていた。書庫へと続く扉の横に、わたしの寝室が新しく出現している。

 岩壁だったところに唐突にできた広い空間。普通のお屋敷にあるような綺麗な壁紙の貼られた部屋に、天蓋付きのどでかいベッド、お洒落なテーブルと椅子、まだ服は入っていないウォーキングクローゼット。それが昼寝している間に出来上がるって素晴らしいし、この世界の魔法とやらは本当に便利過ぎる。

 でも頑張りすぎたのか、マルガリータは何度も欠伸を繰り返し、ソファの上で早々に寝てしまった。

 ベッドが広いからそっちで寝てくれていいのに、と思ったけれど、後でそれを言ったら「やだ、一緒に寝ようだなんてフェルディナント様だけにおっしゃってくださいよぅ」と身をくねらせながら返されたので、もう二度と提案しないことにした。

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