第9話 憧れのキッチン

「ねー、ところでこれって水道とかガスとか電気とかどうなってるの?」

 わたしは真新しいピッカピカのキッチンの前に立ち、蛇口を捻ろうにも手が届かない、というショッキングな現実と向かい合いながらマルガリータに問いかける。

 すると、マルガリータは心得たもので、わたしが台所に立てるよう踏み台を魔法で作り出してくれた。気が利くぅ。

 踏み台の上に上がって、やっと届いた蛇口をひねり水を出す。

 ああ、憧れの『高級』システムキッチン。そう、高級というのが大切である。機能性だけじゃなくデザイン性も兼ね揃えたキッチンというのは見ているだけで幸せになれる。

 以前わたしが使っていたのは二口コンロだったから、三口コンロというのも憧れだった。それに、日本人には絶対必要だと思う魚焼きグリル付き。まずは鮭の塩焼きかな。サンマ焼こう、サンマ。


 それに大型の食洗器もついているし、収納スペースだってたっぷり。

 この大きなシステムキッチンだけを見ていれば、料理教室だって開けると感じるくらい立派なものだ。開かないけど。


「もちろん、魔力でできているんですから稼働するための動力も魔力です」

 わたしがシステムキッチンに頬ずりしそうになっていると、マルガリータがくすくす笑いながら言った。「水は湧き水から繋いでありますし、電気代とか気にせず使い放題です。っていうか、電気代とかガス代とか、シルフィア様の昔の世界って面倒なんですねえ」

「そうだよー。水道代だって馬鹿にならないから、一滴一滴が貴重なの」

 わたしは蛇口を閉めた後、食器棚を開けて低く唸る。

 もちろん、中身は空っぽだ。

 食器だってこだわりたいけど――。

「ねえ、マルちゃん」

「はい」

「マルちゃんがこのシステムキッチンを作ったように、わたしも魔力で食器とか作り出したいんだけど」


 前世では高くて買えなかった、お洒落な高級ブランドの食器。

 それに、鍋とかフライパンも。料理道具だってこだわって揃えたい。

 それが、この世界ではお金を払わずに手に入る! お金を払わずに手に入る!(ここ重要)


「えー? シルフィア様のお使いになる食器とかでしたら、わたしが全力で作りますのに! だってわたし、シルフィア様の守護者として――」

「教えてください」

 ここで今の可愛らしい風貌を生かして、小首を傾げてからの『おねだりポーズ』である。両手を胸の前で組み、無邪気な微笑みを口元に称えて上目遣いで――。

「解りました! 全部お教えしましょう!」

 即落ちのマルガリータである。

 チョロい。


 というわけで、マルガリータの魔法の授業が始まった。

 書庫から出してきたこの世界の魔法書を教科書として、わたしは自分の魔力の使い方を学ぶことになる。

 その結果、わたしは結論を出す。


 チョロい。

 この世界、というか、この肉体が持っているポテンシャルが素晴らしい。

 今のわたしは白竜神としては生まれたばかりだから、魔力が少ない。とはいえ、この世界に住んでいる人間から比べたら雲泥の差。人間の持つ魔力の量をコップ一杯の水だとしたら、わたしの魔力は超巨大ダムに匹敵するんだとか。しかし、ダムに溜まっている水は少ないから大切に溜めていかないといけないらしいけれど、それでも枯渇することはないらしい。

 ブラボー。


 そして、わたしの目の前にはわたしが初めて作り出した食器が並んでいる。

 まずは何にでも使えそうな丸い平皿、サラダボウル、ごはん茶碗に汁椀にちょうどいい感じのやつも。カレー皿にグラタン皿、このくらいあればなんとかなるだろ、というくらいに。

 作るのに失敗したり、食器の柄に飽きて不要になったとしても、原材料が魔力だからいつだって解体吸収できるという地球に優しい仕様である。ここは地球ではないらしいけど。

 にやにやしつつ、作り出したばかりの食器を食器棚に入れていく。これも幸せである。

 後は、コーヒーカップとかティーポットとか――。


 と、そこまで考えてわたしは動きをとめた。


「ところで、食材とかはどこで手に入るの?」

 わたしは洞窟内を見回してそう訊いてみる。食材を入れておく冷蔵庫も欲しいし、オーブンレンジだって必要だ。あとからあとから欲しいものが頭の中に思い浮かぶ。

「食材とか調味料は、わたしが作り出せますよ?」

 相変わらずマルガリータはあっけらかんとした口調で応えてくれる。

「それも魔力で?」

「はい、そうです!」

 彼女は無駄にそこでガッツポーズを決めた後、きょろきょろと辺りを見回してソファの上に放り出したままだった料理本に目をとめる。それを手に取って中を確認すると、次々に見覚えのある野菜やら鶏肉やら豚肉やらを出現させた。

 マジか!

 そんなに簡単に作れるのか!

 この世界のスローライフって凄い!


 そんな感動を覚えたのも、実際に簡単な料理を作ってみてから鎮静化する。


 試しにまずは鶏肉を簡単に焼いたものを食べてみたのだけれど――何だろうね、このコレジャナイ感。

 美味しいステーキを食べたい、と思っていざ食べたら形成肉だった、わたしが望んでいた肉はこれじゃないと落胆した時の記憶が蘇る。うん、これはその時と似ている。

 魔力で作り出した鶏肉も、野菜も何だか味が薄い。食べたのは間違いないのに、満足感がない。

「やっぱり、食材は本物を手に入れないと駄目かなあ」

 とわたしが肩を落とすと、マルガリータも頭を掻きながら困ったように笑った。

「確かにそうかもしれませんねえ。考えてみれば、自分から生み出した魔力をただ取り戻すために食べてる感じになりますから。大地から生まれた野菜から得られる魔力はもっと強大に感じるでしょうし、味だっていいかもしれないです」

「ううー」


 駄目じゃん。

 どうせ食べるなら美味しいものがいい。


 そうため息をつきながら、ふと思い出すのは夢のことだ。

 美味しい料理を作って、いつか彼に食べてもらう……なんてのは、まさに夢物語なんだろうけど。

 でも、彼といつか現実の世界で会えるってことを期待してしまうのは仕方ない、よね?

 だってここ、ファンタジー世界だもの。何だって許されるかもしれないし。


 まあ、あれがわたしが作り出した夢であり、彼が実在しないという可能性は大いにあるのだけれど。


 こんな夢を見たんだけど、とマルガリータに話してみようかとわたしが口を開きかけた時のことだ。


「この神殿内の設備が整ったら、そのうち外に出てみませんか? 遠いですけど村がありますし、そこで食材も調達できるはずです」

「え、本当?」

「はい」

 彼女はそこで、口元を手で覆いながら嬉しそうに笑う。「美味しい料理を作りたいっていうシルフィア様の気持ち、解りますよう! わたしもシルフィア様の手料理をご相伴させていただく幸せを味わいたいですけど、それ以上に、ですね!」

「ん?」

「解ってます、解ってますってば! シルフィア様の運命の相手、ですよ!」

「は?」

「北の竜の神殿で生まれたばかりのフェルディナント様! いつか、フェルディナント様に手料理を振る舞うことができたらいいですよね! ああ、素敵!」

「えっ、えっ?」

 わたしが困惑した声を上げていても、マルガリータは自分の世界に入ってしまったようでこちらの様子には気づいていない。身体をくねくねと揺らしながら、天を見上げてドラマチックな声を上げる。

「美味しい料理でフェルディナント様の心もいちころってやつです! 胃袋をつかむってやつです! 頑張りましょう、シルフィア様! わたしもお手伝いしますから!」

「あはは……」

 わたしは引きつった笑い声を上げつつ、駄目だこりゃ、と考えていた。

 マルガリータの頭の中は物理的に空っぽだというのに、ピンク色の何かが詰まっているに違いない。ここでわたしが夢の中で会った男性が気になってるんだけど、なんて言ったとしても絶対に馬鹿にされて終わりだ。もしくは、フェルなんとかさんの素晴らしさを語られて終わりだ。


 ……あーあ、誰か相談できる人はいないだろうか。

 わたしはそっと肩を落とした。

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