異端と信仰告白
以下があやのからのメールであった。
"このゲームってプレイヤーごとにIDが振られていて、まあそういうのってシステムとしてはよくあるんだけど(どうやって調べてるとかは訊かないでw)
あのjohn_doeってプレイヤー、それが無いの! ハッキリ言って異常じゃない!?
だったらNPCかもって思うよね? でもNPCはその固有の記号みたいなIDがやっぱり振られてるから、それが全くないなんて考えられない!
なんかエクスクラメーションマークの使い過ぎだけど、わたし相当混乱してる。
wikiのチームにも当ってみたけどあいつ見たのウチらだけなんだよね……自己解決できるといいんだけどw
それより今晩は逢えるかな? 良かったらわたしのマイハウスか何かに21時集合で。まるちゃんも呼んであるからw
それまでに調べられるだけ調べておくね。"
平素、彼女 (どうせ彼だろうが)はハッカー紛いのこともしているようだが、今度こそは有り難かった。
あのjohn_doeはPCでもNPCでもないだと……!? そんな莫迦な! では一体「何」だというのだ。
『お前は誰だ!?』
『知っているのだろう? いまさら訊いて如何とする』
確かに私はあの男と言葉を交わした。
『死ぬがいい、吾が肋骨よ』
そうとも言った。まるであいつと私――jane_doeは対になっていると言わんばかりの謂いではないか。まあ「そういう」ことであるのか……?
そのときに何か別のことを考えていた気がしたが、今は何故か忘却に沈んだままだった。どうせたいしたことではない。
それよりも今は『破壊の破壊』を観た衝撃と、イブン・ルシュドの「宇宙の形態だけが時間内に創造されたことを暗示するが、その存在そのものについては永遠である」という宇宙観に捉われていた。
――この考えは彼らの聖典に記載されている解釈どころか、あらゆる一神教に於いてでさえも異端とされるだろう。
だとすれば彼は哲学の研究 (アリストテレスの注解)ではなくこの思想によって、追放された……? だが12世紀のことだ、今となっては知る由もない。
そして彼の異名で思い出したが、あの盲目のアルゼンチンの男は「アヴェロエスの探求」の題名でイブン・ルシュドと彼の「破壊の破壊」を描いていたのであった。
それにしても『破壊の破壊』はまるで昔の映画の「呪いのビデオ」を見た気分だった、あの映画に出ていた娼婦役の女は誰かに似ていた。
女教皇――
莫迦な? あの去勢コンプレックスに満ちた「信仰告白」に対し、椅子に座るべき彼女が同義であるとなど……
これだから女は嫌いなのだ。私の心のあらゆる間隙を突いては破滅させようとする。アイカだってそうだった。
それに対して絵だけは、私の絵だけは違っていたのである、聖も俗も切り分けられるものだからだ。
しかし私が今朝コーヒー屋で描いた「彼女」はどうだ? まるで己の嫌悪の対象を一身に背負う等身大の象徴ではないか。汚らわしい。
飲んでいたコーヒーの魔力が切れたのか、寝てないことが堪えたのか私は簡易的な個室の鍵を閉めると、心地よい暖房と微かに聞こえるジャズの音色を糧に眠りへと落ちていった。
覚醒すると腕時計は20時を指していた。
夢すら見ず眠ってしまったか……『人間椅子』店内はそこそこ混みあってきていた。常連連中なのだろうか、喧騒が耳に刺さる。
どうせ私はここで一泊する予定だったので、受付で翌朝までの延長料金を支払うと、ついでに軽食を注文した。実は空腹に耐えかねていたのだ。
「ここの店での推奨ゲームにβテスト中だがD.D.T onlineは含まれている?」
私は食事の注文の際に訊いたのだが答えは些か意外なものだった――
「D.D.T onlineなら新規に遊ぶことも可能ですよ、PCのスペックも対応しております」
なるほど『人間椅子』はD.D.T onlineを推奨しているわけである、これは好都合だ。
しかしあのゲームはまだクローズドβ版の筈、この店、babbagejapanの系列なのではないであろうか? そんな疑念も湧いてきたのであるが……
だがわたしはそれよりも重要なことを思い出して話題を変えた。
「シャワーをお借りしたい、また髭剃りは付いてくるかね?」
「シャワーは500円、別料金になります。髭剃りは付属しますよ」
わたしは入浴して髭を剃り(実は無精髭が伸びてひどい容貌であった)さっぱりして、シャワー室を出ると元の服を着て、冷たいコーラを取ってから元の個室に戻ってきた。
時計は20時50分を指していた。席には冷めた軽食のピザが手つかずで残っていた。
念のためブラウザメールにバックアップを取っておいた、ログインIDとパスワードでD.D.T onlineのサーバーにログインする。
そうだ、私はjane_doeだ!
この冬は終わらない。
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