虚像と現実
昨日、ベッドに潜り込んだままで「アウトドア×デラックス」をみていた。そんなに覚えているわけじゃないのだが、最近、再熱してしまった三宅健の言葉が印象的なんだよね。
芸能人は「虚像」で「フィクション」ということだ。たしかにそうだよね。私たちはあけまでテレビ画面を通して彼らを見ているわけなのだから、私たちのいる現実世界には存在することのない虚像の世界の住人みたいなものだ。
もちらん、彼らは人間。普通に息をしている人間なんだけど、やはり私たちの理想であこがれの存在でもあったりする。
虚像の世界ではずっと私たちのあこがれの存在としての自分を演じているだろうし、おそらく現実世界の彼らは私たちのみている虚像の世界の彼らとはまったく違う人間なのかもしれない。
それは決して私たちがしることのできないものだし、知ってはならないことなのだろうなあなんて考えてしまった。
もしも、自分の小学校時代の同級生が芸能人になって売れているとする。それを私はテレビでみる。その時点でその人は遠い世界の人間にしか思えなくなるだろう。けれど、ふいに同窓会なんかで再会をはたす。そのときは遠い存在ではなく、ただの同級生だと思えるのだろうか。現実世界に戻ってきたはずなのに、まだ虚像世界の住人のように感じたりするのだろうか。
実際に芸能人の知り合いいないからまったくわからないけどね。ただ、会ったことないけど嫁ぎ先の近所には芸能人になった人がいるらしい。その話をしている人はどうも虚像の世界としてではなく、あくまで現実世界の近所の子として話をしていた。
まあ、「芸能人」も現実世界ではただのひとつの職業にすぎないからね。
「介護」とか「公務員」とか「看護師」だとかかわらないひとつの職業。だけど、やはりそこは異世界のように遠い虚像世界なんだよね。
芸能人でも、芸能人の知り合いがいるわけじゃないから、よく知らんけど(笑)
とかいいながら、「かぐら骨董店の祓い屋は弓を引く」では
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