いじめのない時代も学校もない
ちょっと真面目な話します。
テレビをみているとずさんすぎる学校の対応というものがあった。
なぜだ?
なぜ、学校や教育委員会は「いじめ」の事実を隠そうとするのだろうか?
私は虐めのない学校もなければ、いじめのない時代もないと思っている。
どこの学校でも
どんな時代でも
いじめ問題はあるはずだ。
それにどうなふうに学校や親が対応するのかが大切ではないか。
いじめのない学校がいいんじゃない。
いじめ問題に真っ向から立ち向かってくれる学校がよい学校だと思う。いじめにきちんと対応していったか。子供たちの心に寄り添っていったか。
それを評価基準であるべきではないのか。
いじめは0になんてならない。
解決できなくても、必死に解決に導こうとしたことが被害者に伝われば、被害者も生きることを諦めなずにいられると思う。
つうか、
昔の教師のほうがもう少し親身になってくれていた人のほうが多かった気もする。
とりあえず、
私の通っていた学校でもけっこういじめはあったけど、亡くなった人はいなかった。
いじめあったら、
けっこう全員集められて「いじめ教育」してきたような気がする。
そもそも、
いじめ撲滅なんてありえないでしょう。
これこそ地震撲滅しようと思ってもありえないぐらいありえないと思う。
大人の世界でもパワハラとかあるんだからさあ。
もっといいことばないかなあ。
「いじめに立ち向かおう政策」とかかなあ。
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