第4話 四つ辻の暗闘
おれたちは立ち並ぶ町屋の陰に隠れて待ち伏せをはじめた。軒下から見る夜の京は、月明かりが降るばかりで静かだった。道には猫の子一匹姿を現さない。
板野新二郎の身の上になにが起こったのか。芹沢は語らない。おれにも分からない。ただ、板野が現れても斬りたくはなかった。
――ずっとこのまま、なにも現れなければ……。
しかし、向こうの辻に人影が現れた。ひとつ、ふたつ、みっつ。なかのひとつ、ひょろりと長い影法師は見間違いようがない、板野新二郎だった。ここには来ないでほしかった。
「板野だな」
芹沢からことさら念を押されるまでもない。おれはうなずく代わりに先頭に立って道へ飛び出した。すでに抜刀している。斬りたくはない。しかし、斬らねばおれが芹沢たちに斬られる。おれは裏切り者の一味と思われているのだ。
「先生、ここはわしが――」
すらりと刀を抜いたのは、小さな影法師。暗闇から現れたおれたち「みぶろ」を恐れるふうもない。不敵な男だった。無言のまま、おれは斬りつけた。
ガキッ!
火花が散った。一瞬浮かび上がる男の顔。
血走った目、歯をむいた大きな口。殺意をむき出しにした表情は、まだ若かった。
――岡田か。
――土佐の岡田以蔵。
手を出さず傍観していた「みぶろ」たちがざわめいた。土佐の岡田以蔵といえば、京の町を震撼させた「天誅」騒ぎで名を馳せ、「人斬り以蔵」として知られた男だ。この岡田以蔵が「先生」と呼ぶからには、板野新二郎の傍らに立つ三番目の男、やつの師であり同志でもある武市半平太に違いない。
芹沢が刀を抜いた。板野新二郎だけでなく、「敵」がほんとうに武市半平太と認めたからだ。残る隊士も皆、抜刀し、月の光にいくつもの刀身がきらめいた。
しかし、岡田以蔵はひるまなかった。それどころか、むやみやたらと刀を振り回すのだ。それは刀法などと呼べるものではなかったが、恐ろしく早く、驚くべき力強さを備えていた。おれは岡田を持て余しはじめていた。
隊士たちが襲い掛かるのを、板野と武市は逃げようともせず迎え撃った。逆にするどく踏み込んで斬りこんでくる勢いにひるむのは「みぶろ」たちの方だった。
ひとり斬られ、またひとりが斬られた。寸毫の迷いもなく繰り出される洗練させれたふたつの太刀筋。板野と武市が刀をひらめかせるたび、「みぶろ」がひとりずつ地に這いつくばってゆく。その見事さ、美しさは、まるで舞台役者の舞を見せられているかのようだった。
隊士がつぎつぎと倒されていく様子を見せつけられ、憤怒と屈辱に身体を震わせていた壬生浪士組局長・芹沢鴨は、わけのわからぬ唸り声を発しながら、ふたりの間に割って入るかのように飛び込んでいった。明らかに剣の技量は、板野と武市の方が上、芹沢の勇気は蛮勇といってよかったが、もともと狂気と蛮勇にすがって局長にまで成り上がった男だ。芹沢に他の選択肢はなかった。
おれはといえば、岡田を相手に苦戦していた。猿のように跳ね回る足さばきに、剣は空を切ってばかり。隙をついて何度も岡田の剣先がおれの身体をかすめていった。じっとりと肌が濡れて感じられるのは、汗ばかりではなかった。
――強い。
板野と武市のあいだに飛び込んだ芹沢は、一個の小さな竜巻だった。敵味方構わず斬りつけて、付けいる隙を与えなかった。その勢いは若い隊士が怖気付くほどだった。
しかし、荒れ狂う竜巻も、ときが来れば風がやみ消滅する。息切れした芹沢の剣は、その回転速度を緩め、やがて停止した。地面についた刀の先端は折れ、芹沢は板野と武市の前に膝をついた。
――負けた。
おれは、目の端にひざま芹沢を見てとっさにそう思った。十名ちかくの「みぶろ」が束になってかかっても、たった三人の男たちに敵わなかった。
武市半平太。
岡田以蔵。
そして
板野新二郎。
芹沢とおれたちは、結果的に土佐の武市半平太という男を見くびっていた。まんまとやつによって「天誅」にかけられようとしていた。殺されるんだ――おれは観念した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます