高位貴族の令息を誑かせと、姉を唆す両親がいるんですが。
みなみまひろ
第1話 入学前夜、男爵家の密談
今夜は、学園入学前夜。
本来なら明日からの新たな生活に胸を高鳴らせ、わくわくどきどきで眠れなーい♪なんて浮かれても許されそうな夜。
ウィルコール男爵家の次女であるリィン・ウィルコールは、眠れない夜を覚悟した。
明日から学園、友だち出来るかしら。ステキな男性との出会いはあるかしら。一瞬目が合っただけで恋におちちゃったらどうしましょ、きゃっ♪
……なんて理由であるはずがない。そんな理由だったら、どれほど良かったか。考えただけで、気持ち悪いけども!
「……マティス、あなた聞いたわね?」
「聞かなかったことにしたら駄目っすか?」
「駄目に決まってるでしょう。出来るんだったら、わたしがそうしたいわよ」
背後に控える侍従のマティスが、顔を引きつらせている。
気持ちは分かる。聞かなかったことにしたい。むしろ、なかったことにしてしまいたい。
「お兄さまのところに行きます」
「あ、聞かなかったことにはしないんすね」
出来るわけないでしょが。したいけども!
くるり、と踵を返したリィンは行き先を変更する。
マティスも大人しく後をついてきた。
どうしよう、どうしよう、どうやって止めよう。
歩きながら、ぐるぐると考え込む。
あれは止めねば。止めなければ。
放置していたら、間違いなく破滅が待っている。
「信じらんない……ほんと、どうしよう……」
「いやぁ、まさかあそこまでアホだとは思いませんでしたね」
「少しは歯に衣を着せなさい」
侍従の遠慮がなさすぎるが、それも仕方ない。
だって、誰が想像するというのか。
明日、国中の貴族子女が集まる学園に入学するという日の夜に、入学する娘に対し、その両親が。
「なるべく高位貴族の令息に近付き、虜にさせなさい」
などと唆しているだなんて!
「どうするのよ、高位貴族なんてもうとっくに婚約者とかいるものでしょう?」
「たまにはいない人もいるでしょうが、まぁ概ねそうですね」
「高位貴族の令息に次々に近付く下位貴族令嬢……そんなの、卒業パーティーで婚約破棄だイジメは許さん!みたいな流れからの、自作自演発覚でざまぁ発動の『そんな、わたしはヒロインなのに!』の挙げ句、男爵家お取り潰し待った無しじゃないの!」
「自分としては、お嬢様の知識がどこから来てるかが気になりますが」
「世の中には数多の恋愛小説があるものなのよ」
リィンは、肩を揺らして息を吐く。
男爵令嬢などの下位貴族や優秀な平民が、高位貴族の男子生徒と恋に落ち、婚約者である令嬢からの嫌がらせにもめげず健気に愛を貫き結ばれるというストーリーは、なかなかに定番ながら不変の人気を誇る王道である。
が、ここ最近ではその派生というか、婚約者のいる男子生徒を誑かした男爵令嬢が、婚約者の高位貴族令嬢に理路整然と論破され、破滅の道を辿るストーリーも数多く生み出されていた。
そしてそれらは、業界では「ざまぁモノ」と呼ばれている。どこの業界かは知らないが。
リィンも、どちらのストーリーも読んだ。
読んでみてすんなり納得出来たのは、男爵令嬢成り上がりモノより、はるかにざまぁモノだった。
そちらの方がリアリティーがある、つまり現実的に有り得るなら、圧倒的にざまぁモノ、ということだ。
「そういえば、今年は第一王子殿下もご入学のお年ですねぇ」
「待って待って待って。舞台整ってるじゃないの」
「てゆか、なんでお嬢様が知らないんですか、第一王子のお年」
「興味ないからに決まってるでしょ」
つん、と顎を反らしたリィンに、マティスは肩をすくめる。
「確か、第一王子殿下とその側近が、大体お嬢様と同じ年ですよ」
侍従としてあるまじき口調と態度だが、今さらである。
そんなことはどうでもよく、リィンは頭を抱えた。
「そうね……王子殿下の誕生に合わせたベビーラッシュ世代だったわ、わたしたち……」
「だから、お嬢様も年子なんでしょう」
言われてみれば、その通り。
リィンには、双子ではないが年子の姉がいる。
それは、同年に誕生した王子殿下に合わせた結果らしい。
「男爵家ごときが、どうこう出来るはずもないのに」
「権力欲だけは御立派ですからねぇ」
王子殿下は無理でも、同年に数多く産まれた貴族の子息と、より確実に縁付くために、と。
娘が二人いれば確率も倍!とばかりに、年子で産まれたのがリィンだった。
「もうほんと、頭痛いわ……」
「何かあったら、確実に巻き込まれますもんね」
「やはり、お兄さまに押し付けましょう、そうしましょう」
兄とて、リィンと同じく、何かあれば連座で巻き込まれるのは確実なのだ。
一刻も早く兄に告げ口……もとい報告をして、何とか対策を考えなければ。
学園の入学式は、もう明日。
せめて何らかの方向性を決めておかなければ、初日から取り返しのつかないことになりかねない。
「お父さま、わたくし王子さまがいいわ!」
「そうねぇ、レリアはこんなに愛らしいのだから、きっと王子さまも虜になるはずよ」
「それもそうだな。王子の婚約者は、確か公爵家の高飛車な令嬢だったはずだ。レリアの天真爛漫な愛くるしさに、王子も惹かれるに違いない」
そんなことを、嬉々として話し合っていた身内が、確かにいたのだから。
それもう、終わってるから!詰んでるから!ざまぁ路線確定だから!
とりあえず兄のところに行こう。
リィンはいろいろ耐えながら、男爵家の邸内を足早に移動するのだった。
***
ウィルコール男爵家は、さほど歴史が長いわけでもなければ、家格が高いわけでもない。
秀でて豊かでもないし、生活に事欠くほど貧しくもない。
要するに、男爵家としては普通だ。普通オブ普通。普通の中の普通。
たとえば、王国内の男爵家を集めて統計を取ってみたなら、恐らくウィルコール男爵家はちょうど平均値になるだろう。それぐらい普通の男爵家なのである。
「……というわけでして」
「……何てことだ」
普通の男爵家の次期当主である、兄・アルベルクもまた、普通の男爵令息であった。
ごく一般的な思考と常識を持つ兄は、夜半に自室を訪ねてきた下の妹を無下にすることなく普通に話を聞き、そして普通の感覚で頭を抱えていた。
これが普通の感覚よね……何故、あの両親だけ普通じゃないのかしら?
男爵家の令嬢が、学園で王族に見初められて幸せを掴む。
それが、物語の中にしか存在出来ない夢であると、この国の貴族なら理解していて当たり前だ。
普通の、一般的な貴族なら。
「もし、学園でレリアが王子殿下に気軽に話しかけでもしたら、どうしたら良いのでしょう?」
「あぁ……まぁ、すぐに手打ちということはないだろうが……」
「許されることではありませんよね?」
「…………だな」
学園には、貴族の子女が皆通う。
時に例外はあるが、その理由は必ず申請しなければならず、重篤な病気であるとか、既に家督を継いで時間が取れないとか、それこそ特例扱いでしか認められない。
そして、特例で認められる事由があっても、実際はなかなか申請する家もない。
重篤な病気であれば、可能な範囲内だけでもと思索し籍だけは置いたりもする。
家督を継がなければならない状況であったなら、学園在学の期間だけでも、代理を立てたりして当主の仕事を減らし時間を作ったりもする。
そこまでして学園に通うのは、学園が貴族たちにとってのプレ社交界にあたるからだ。
学園で学ぶ内容は、貴族としての嗜み程度のレベルから、より専門的な高等教育まで、個人の修学状況に応じて細分化されたクラス分けがなされるが、重要視されるのは、やはりそこで培われる人脈なのだ。
貴族の令息令嬢などは、基本的に学園に通う年齢になるまでは、ごく限られた範囲でしか交流はない。
子どもの間は、たとえ昼間の茶会であろうと社交に参加することはないのだ。
そこには、社交界は大人のもの、という考えもあるが、それ以上に子どもを守るためでもある。
外に出ればそれだけ良からぬことを企む連中に拐かされる危険も増すし、身分差を理解出来ない子どもがトラブルを起こすリスクも高まる。
だから、貴族子女にとって、いちばん初めに触れる外界が学園であり、本格的に社交界へ足を踏み入れるためのプレステージになる。
「学園内のマナーは、厳しいからなぁ……」
「えぇ、そう聞いてます。だから、入学までにきちんとマナーを習得しなさいと、ミセス・ウラリーから言われましたもの」
社交界への第一歩であるから、当然学園内でも社交界でのマナーは遵守される。
家庭教師のミセス・ウラリーは、きりりと眼鏡の縁を持ち上げて直しながら、常々言っていた。
「良いですか、お嬢様。学園でマナーを知らぬということは、武器も持たずに戦場に行くようなものなのです」
と。
「レリアは、その話は……」
「あの子がまともに授業受けてると思います?」
「……だよなぁ」
勉強嫌いの、レッスン嫌い。
頭を使うのも身体を動かすのも嫌いで、キラキラ綺麗なものと、甘いお菓子が好き。
それが姉のレリアだが、幼い頃からその調子で許されてきたせいで、今もそれでいいと、たぶん彼女は思っている。
「とりあえず、レリアが誰をターゲットにするか見極めないとだけど……」
「王子さまがいいわ! と言ってましたが」
「だああぁっ! 何で最上級に真っ先に行くかな!?」
「わたしに言われましても」
兄アルベルクが、両手で頭を抱えた。気持ちは分かる。さっきのリィンもそうだった。
「殿下に、男爵家から声をかけるとか……」
「不敬罪になりますかね?」
「よほど侮辱しなければならないだろうけど、評判は家ごと地に落ちる」
「それは……困りますよね」
「困るよ! そんな家、継ぎたくないよ!?」
学園でのマナー不足は、すなわち恥。
そして、必要なマナーを教育出来ない貴族家もまた恥、となる。
つまり、レリアが何かをやらかしたら、ウィルコール男爵家自体に問題あり、と見なされる可能性もあるのだ。
いずれ家督を継がなければならないアルベルクにとって、それは勘弁願いたい事態だろう。
ウィルコール男爵令嬢として、いずれどこかに嫁がなければならないリィンも同様だが。
「何とかして、レリアを病気にさせるとか……」
「当人が大人しくしてくれればいいですけれど」
「じゃあ、自室に閉じ込めるとか」
「お兄さま、落ち着いてくださいまし。それは監禁です。それに、お父さまやお母さまが黙って見過ごすとは思えません」
「じゃあじゃあ、今すぐ家督を譲ってもらって……!」
「どうやって?」
レリアを学園に通わせたら、間違いなく何かをやらかすだろう。
何せ、父がそうしろと言い、母が同意してるのだから、マナーの欠片も知らない彼女が、恙無く学園生活を送るはずがない。
かと言って、現時点での男爵は父であり、次期当主でしかないアルベルクには、レリアを学園に通わせないための方法も決定権もない。
「それでしたら……」
兄妹揃って更に頭を抱えそうになったところを救ったのは、それまで部屋の隅にじっと控えていた、侍従のマティスだった。
「第一王子殿下のご婚約者であらせられる、ル・ナン公爵令嬢に、あらかじめお嬢様からご相談してみれば如何です?」
「…………それだぁっ!!」
「え、それなんですの?」
第一王子の婚約者は、ジョゼット・ル・ナン。
王国内でも筆頭貴族に叙される、由緒正しきル・ナン公爵家の次女である。
「恥を晒すのは仕方ない。先んじて、ジョゼット様に話を打ち明け、レリアの行動は我がウィルコール男爵家とは関係……ないとは言えないが、少なくとも僕やリィンは無関係だと理解してもらえばいい!」
天啓を得たり、と言わんばかりにアルベルクが拳を握る。
「え、でも、第一王子殿下に話しかけるのもマナー違反ですけれど、それはル・ナン公爵令嬢にもそうですよね?」
「そ……っ、それは、リィンが何かこう」
「何かこう」
「何かこう、いい感じに!」
「すっごいぼんやりしてる!!」
えええぇぇぇ?
兄に告げ口……もとい報告し、後は何とかして任せた!とするつもりだったリィンだったが、投げたボールがそのまま手元に戻ってきたようだった。
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