第29話 side:レイモンド19
繰り返し言うその言葉の意味は、妻が亡くなったのだから、自分を本妻にしてほしいと遠回しに伝えてきているようで、にぶい俺がその発言を聞き流していると、ついに『お腹の子のためにも本当の妻になりたい』とはっきり告げられて驚いてしまった。
確かに妻の座は空いたが、すでに愛人契約を結んだ相手を本妻にすることはできない。
子を産んだ愛人に夫の寵愛が移り本妻がないがしろにされる場合を想定して、愛人契約を結んだ相手とは婚姻できないとそういう取り決めがなされているのだ。
そのことは契約書にも書かれているとやんわり説明するが、それでも引き下がらず、『お腹の子には母親が必要です』などと言い出し、本妻になれなくてもよいから、子の母を名乗らせてほしいと懇願してきた。
確かに母は必要だが……と思うが、それこそ妻をあんな形で亡くしたのに、愛人を妻の座に据えているかと周囲から非難されるだろう。
「今は妻を亡くしたばかりで、そんなことを考えられない。そんな話はやめてくれ」
でも……とさらに言い募るイザベラにうんざりしてきたので、無理やり話を終わらせた。
書斎にひとりになると、どっと疲れが襲ってくる。
家令がいなくなってしまったので、領地運営や納税の手続きの全てを俺がやらなくてはならないが、余りの仕事量に机に向かうだけで気が重くなる。今は軍部の仕事を休んでいるからなんとか時間が取れるが、今後これを自分だけで処理できるとは到底思えない。
「ハンナ……」
分かりやすくまとめられた書類は、几帳面なハンナらしい仕事ぶりで、おそらく他の誰が引き継いでも困らないように作られている。ところどころ、注意すべき点などが書き込まれていて、ハンナの気遣いを感じられ、胸が苦しくなった。
今更こんなことに気付いても遅すぎるのだが、妻はいつも俺が困らないよう、快適にすごせるよう常に気遣ってくれる人だった。
静まり返った書斎で、一人ため息をつく。
ハンナの死を知ってから、まだ半月も経っていないというのに、その死を悼む暇もなく雑務に追い立てられていて、気が休まる暇がない。ストレスのせいか、背中にできた発疹がますますひどくなっていて嫌になる。
チリチリと痛みを伴うようになったその発疹が鬱陶しく、机に向かっていても集中できない。熱いシャワーで洗い流せば少しはすっきりする気がしたので、仕事は一旦切り上げてシャワー室へ向かった。
熱い湯を浴びると少し気分もさっぱりしたので、タオルで髪を拭きながら背中を鏡越しに見る。すると小さかった発疹は症状が悪化しているようで、だんだんと大きくなっていた。
「――――レイモンド様、さっきはごめんなさい。あ、お着替え中でしたのね、ごめんなさい」
上半身裸の状態で鏡に向かっていたところに、イザベラが扉を開けて入ってきた。さきほどは感情的になってしまって……と反省の言葉を口にした。
「あ、ああ。俺も少し言い過ぎた。もういいんだ。それより、手が届かないところに薬を塗ってもらえるか?この軟膏を――――」
「えっ、なにこれ以前よりひどくなってるじゃないですか。これ何か悪い病気なんじゃないですか?私、妊婦なんで、うつると困るので、誰か使用人にお願いしてもらえますか?」
イザベラは俺の背中を見て顔をしかめ、薬を受け取ろうともしないで早々に部屋を出て行ってしまった。
まさか拒否されるとは思っていなかった俺は茫然と彼女が出て行った扉を見つめるしかできなかった。
ハンナだったら……あんなことを言わないだろうに……。
呪いに侵された俺の姿にひるむことなく、醜い瘤に毎日薬を塗って清潔な包帯に取り換えてくれていた。ハンナは一度だって俺に嫌悪の目を向けたりしなかった。
ハンナだったらきっと、ためらいなくこの背中に触れて薬を塗り、それでも治らないのなら薬を替えてみようと提案して、良い医師を探そうと一緒に考えてくれるだろうな、とぼんやり思った。
だがよく考えてみれば、イザベラのような反応が当然なのかもしれない。
ハンナが当たり前のようにしてくれていたことは、他の者からみると普通ではなかったのかもしれないと、ここへきてようやく気付いた。
どうしてハンナは呪いを厭わなかったのだろう。隣国の出身だから、呪いに耐性があったからだろうか。
戦友も、上官も、医師も、看護師も、誰も彼も、呪いによって醜くなった俺を直視できず、嫌悪と恐怖で近づくことすら嫌がっていた。
そう、ハンナだけが、変わらず俺に接し、醜く膨れ上がった俺の体を抱きしめて生きていることを喜んでくれた。
それなのに、俺は……一体彼女に何をした?何を言った?
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