第6話
呪いから解放された夫は職務に復帰し、私は人目につかないよう屋敷に引きこもる事にした。
私が提案したこととはいえ、妻に呪いを移したなどと知れれば快く思わない人たちもいるだろう。
詳しい事は伏せて、妻の私が夫の呪いを解いたが、無理をしたせいで体調を崩し床に伏しているということにして軍部には報告した。
どうやって呪いを解いたのか聞かせてほしいとの申し込みがあったのだが、思いつく限りいくつも同時に色々試していたので、複合的に作用したか偶然のたまものだと報告したら、それ以上訊かれることはなかった。
職務に戻れた夫は、文字通り生き返ったように生き生きとして毎日仕事に通っていた。
私は毎朝窓からそっと夫を見送る。黒の軍服に身を包み、胸を張って歩く夫の姿はもう気鬱に囚われていた頃の面影はない。
戦争は終わったが、やるべきことが山積みで夫の職務復帰はとても喜ばれたらしい。
王制が斃された隣国は我が国の統治下に入ることが決定したので、軍部は仕事が山積みで、レイも復帰早々それに駆り出されているため、仕事に忙殺されていた。
最初は毎日帰ってきた夫も、復職して日が経つにつれ二日、三日と帰れない日が増えてきた。けれど帰ってこられた日は必ず私の元に来て、私がしていたように体を拭いて薬を塗ってくれた。
薬は気休め程度にしかならないが、彼の手で塗ってもらえると不思議と痛みが引いていくようだった。
「いつもありがとう。仕事はどう?とても忙しそうだけれど身体は大丈夫?」
「……ああ、最初はずいぶん体力が落ちていたが、身体はもうすっかり元通りだ。あまり帰ってこられなくてすまないな。君も、具合はどうだ?なにか不自由していないか?」
「大丈夫よ。痛みも思ったより辛くないわ。レイも無理しないでね」
薬を塗ってくれる夫を見上げると、彼の綺麗な瞳に赤黒いコブだらけの私の顔が映っていた。
私が微笑むと、夫は私から目を逸らし『すまないがまだ仕事が残っているんだ』と言って部屋から出て行った。
二日、三日、四日、五日、と夫が家を空ける日が長くなっていった。
仕事はそれほど忙しいのだろうか。睡眠はちゃんととれているのだろうか。食事はしているのだろうかと心配になる。時折、何かを取りに帰ってきている時もあるようだが、急いで戻らねばならないようで私の部屋に寄ることもなく屋敷を出て行く姿が窓から見える事が何度もあった。
私は外に出るわけにいかないので、食事や着替え、リネンなどは使用人にドアの前まで持ってきてもらっている。夫にお願いしなくても自分で体も拭けるしそれほど不自由はないが、たった独り部屋でただ時間が過ぎていくのを待つのはやはり辛かった。
……時々でいいから夫と話がしたい。
今どんな職務についているのかも聞きたい。いや、そんな仕事の事でなくとも今日は何を食べたとかでもいい。ただ彼の声が聞ければ満足なのだ。やっと復帰できた仕事の邪魔をしたくはないけれど、ほんの少しだけでも会いたい。
そう思って暗くなった窓の外をぼんやり眺めていると、屋敷の前に馬車が停まるのが見えた。
馬車から夫が降りてくるのが見え、私は部屋で待ちきれずショールを頭からかぶり顔を隠しながら玄関へと急ぐ。
家令だけは私の現状を知っているが、何も知らない他の使用人達はこの姿を見たら卒倒してしまうだろう。人に会わないよう気を付けながら廊下を進む。
「レイ、おかえりなさい!窓からあなたの姿が見えて……」
書斎へ向かおうとしている夫に声をかける。夫は私が部屋から出てここにいることに酷く驚いたようで突然声を荒げた。
「何故部屋から出たんだ!人に見られたらどうする?!こんな姿を知られたら言いわけがきかないだろう!早く部屋へ戻るんだ!」
「ごっ、ごめんなさ……あの、ショールで隠してあるし、誰にも会わないよう気を付けたから……」
私の言いわけを最後まで言わせず夫は追い立てるように私を部屋へと連れて行った。夫を怒らせてしまったと私は怖くなってオロオロと夫の顔色を窺う。
部屋に入ると少し冷静になった夫が私に『悪い』と小さな声で謝ってくれた。
「大きな声を出してすまなかった。だが君の姿が使用人に見られて、噂にでもなってしまったら俺も君も困ったことになってしまうと思って……でもずっと部屋に籠りきりではやはり辛いよな」
「ごめんなさい……最近あなたが忙しそうで全然お話出来なかったから、どうしているかと心配になって。もう勝手に部屋から出たりしないわ。困らせるつもりじゃなかったの」
夫は椅子に腰かけながら、何かを考えるように額に手を当てていた。そして迷う素振りをみせながらも私にこう提案してきた。
「なあ、ハンナ。この王都に近い屋敷では君を庭に出してやることも難しい。窮屈な思いをいつまでもさせているのは心苦しいんだ。だから……しばらく療養で湖水地方の別荘で過ごしてみてはどうだ?あそこなら人目を心配することもないし、美しい湖の景色を楽しむことも出来る。
それに、仕事でしばらく王都を離れることになるかもしれない。
俺が長く家を留守にしている間、ずっと部屋に独りで籠っているのも辛いだろう?」
別荘での療養を提案されたが、私は返事ができずにいた。
湖水地方の別荘は森に囲まれていて人里から遠く離れた場所にある。
そこならば確かに今ほど人目を気にしないで暮らせるかもしれない。
ただ、王都からも遠く離れているため、そこに行ってしまえばますます夫と会うのは難しくなるだろう。
行きたくない、と口から出かかるが、断れば夫を困らせてしまうかもしれない。そう思うと何も言えなくなってしまった。
答えられない私を説得するように夫が言葉を重ねて言う。
「……仕事が落ち着いたらすぐ、迎えに行くから。そこに居てくれたほうが安心なんだ。頼む」
夫にそこまで言われて、もう私は断ることが出来なかった。
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