ななーさん Awake of gust

 喰らう。孤影の牢獄に追いやられたわたしは、この廃都市の中心を目指し、その先に至る道のりの最中にあった。

――でも、死んでいない。ここから出たいんだ。

 一人だけついて来る。獣と微睡の焼き印を打たれた子。もう衣服なんかボロボロで、体には酷い火傷の跡が痛ましい。

 わたしは死ねず、逃げて来た他の者はまだ生きている。

 遠くで煙が高く上がっているから、まだ。

 崩れた廃墟は全て黒い石材で出来ているように見える。

 それは焼け焦げた痕のようでもあった。

 建物からは艶のある黒い硝子のようなものが地面を這い、幾何学模様を作って中央に伸びている。

――ここに囲われてしまった。中央まで行ければ出られるかも。

 わたしはそう言ってみるものの、その望みは薄い。

 ここに至る理由は、人形師だけが知っていて、わたしはそのを埋め込まれただけ。この先に何があるのか、どうすればいいのかなんて、知らない。

――お腹空いた。喉も渇いた。

 付いて来た子はわたしも見覚えがある。いつも果物屋の店番をしながら、数少ない本を読んでいたのを覚えている。

――なにも持ってないよ。

 ここには草木もなくて、ただ破壊された建物、何かの儀式をしていた形跡がある半壊したドーム、灰色の砂。

 その砂は人を焼く。わたしはそんなものに奪われることはない。

 けれどこの子は違う。小さな砂の粒が体を駄目にしていく。小さく、焼け焦げた肌は灰色の結晶となっていく。

――でも、これ被ってた方が。

 わたしは上に着ていた大型猫の皮で作られた外套を渡す。

 もうかなり前から使い古していて、茶色く染めていたものが薄汚れて分からない。

――ありがとう。どうして、ぼくのようにならないの?

――なんでだろうね。死ななかったから?

 その子にも、わたしにも、みんなにも名前はなかった。

 小さい集落だったから、みんな名前がなくとも笛や太鼓の音で分かる。

 そうやって生きて来たから、気にならない。

――ひぇぉん、つぅらぅ、タケリタケリ―― 

 変な音がする。

――とても、不安な音だね。

 焼き印の子はしきりに来た道を振り返って、狼煙のように上がる煙を探した。まだ、みんなそこにいるようだから、その痕跡で安心する。

 中央は聳え立つ巨大な三角形とその反対が連なっていて、丁度中ほどに大きな開口を覗かせていた。そこには、これもまた巨大なレンズと全面に張り付いた銀色のものが見える。

 鏡とレンズだろうか。それは太陽を受けるような楕円形状をして、まだ壊れていない。

――炉だ。

――目だ。

 そのどちらも正しい。獣の印はそれが不愉快なものと知っていて、焼き印の子は眩しそうに眼を細める。

 そこには、怒りがある。猛りがある。獣だ。

――ぼく、なんだか変だ。

 その焼き印が何を示しているか、この子は知らない。

 炉、獣がなければ火は灯らない。

 目、鳥がなければ智は届かない。

 その空と大地がわたしたちを締め付ける。それを止めようとして、わたしは追いやられた。

 けれどもどうして、追いやられたのだろう。機能が壊れ行くならその役目は変わるべきだ。加えられたのなら、除かれて然るべきだ。

 そうして人形師がわたしを作った。そこで死が埋め込まれて、縫い合わされ、焼けるような夢をずっと見ていた。

 何かが目に入って、そこに根を張るような音を聴いた。

 黒い建物群は、次第に灰色に変わって、地面に溝が現れる。深いタール状のものが未だにこびり付き、煙を上げている。

 炉にはまだ火が残っている。

 わずかながら光が走って、わたしたちに届く。

 この廃都市はまだ、その機能を失っていない。だからわたしと、焼き印の子がここにいる。

 それも一つの循環と過程に過ぎないから、この渇きも昏さもこいねがい、その灰色の砂がやはり求めて止まないように、システムは完成されていた。

 中心部に行くにつれて建物はなくなっていく。この子の足取りも重くなる。

 地面に走る線は黒と灰色と、煙を上げている。

 灰色の砂は、そこに堆積して炉までの道を隠してしまって、焼き印の子はその素足が焼けてしまうから、躊躇する。

――ここから、行けないよ。

――よく見て、これは全部「灰」だよ。

 灰色の砂漠からやって来たものとは違う。

 ここに在るのは焼け付いた獣と鳥と、それだけだから、あの焼ける砂漠とは違う。

 わたしは一歩踏み出し、炉を燃やしている人物に会うために急ぐ。古き時より、廃都市として、灰色の砂漠で誰も立ち入らなかった場所に、どうして残っているのか。

――ほんとうだ、ただの灰だ。

 言いながら、焼き印の子はそこに倒れこむ。

 もう、限界だったのだ。水も食料もなく、わたしたちは無理に追いやられ、さらにこの都市で生きるすべを見付けないといけない。

 大型猫の外套を着たままだったから、そこに猫が隠れているように見える。

 灰の中を、獲物を狙い、虎視眈々と待つ。

 そんな風にも見える。

 わたしが駆け寄って呼吸と鼓動を確認すれば、小さな寝息を立てている。灰を吸ってしまうのは良くないから、わたしは自身のボロを裂いて、口と鼻に巻いてやる。

――これくらいしかない。

 焼き印に触れると、非常に強い熱を持っているのが分かる。

 獣と微睡。その本質は大地と、縄張りにある。

 彼らがいるから、わたしたちはこの大地に住まうことを許されている。だから、誰か一人は焼き印でその証を残しておかなければならなかった。

 

 わたしが逆三角の炉の中で見つけたのは、半獣の男。

 彼は短槍を持ち、炉の中心。レンズの裏側に隠れた小さな球体に切っ先を当てている。

 半球状になったこの炉に張り巡らされた鏡は全てわたしを映し出す。

 その球体は赤熱して、その上に小さな火を作り、レンズに光を透過させていた。

――これで目を焼き、精製し、鋳造される。この地下の銀色の宮殿が影を待つ。

――あなた、獣狩りね。

 もうほとんど命が無い。だからこそ、長い時の中で朽ちずにこうしている。火は弱く、このままでは炉が稼働することはない。

 この影は目を眩ませ、そうして生成される。

 あの加えられた星、役目を負った存在にわたしを認めさせる時が来る。

――その通り。もう死ぬが、君は人形師のものだろう。

――その通り。もう死んでいるよ。

 そうか、と獣狩りは頷き、その目は濁って何も映さなくなった。

 そして最後に球体にひびが入り、そのまま短槍は球体を真っ二つにする。その赤熱、その力は獣化した彼のこれまでを表している。

 わたしは、この人がかつて獣狩りの女王と呼ばれ、地を這う獣から人の住まう土地を得て、わたしたちのこれまでの基礎を作った女の息子だと確認する。

 怒り狂った獣が何をしたかまでは知らない。

 ただ、女王は国から消え、体に致命的な病を抱え息子と飛び出したと記憶されていた。

 その時に携えていた愛槍は深い青と不可視の緑から成る「獣狩り」用で、途方もない数の獣を屠って来て、全てを貫くとされていた。

 それと同じものを彼は持っている。持っていた。既にここにはなく、割れた球体と大きな炎を上げる炉がレンズに光を送り、その先にあるであろう目を焼く。

 そして、この地下に存在して、鏡の中にだけある銀の宮殿と影のものども。

――死を失い、存在にも失敗して、鋳造されるものども。

 それらはここの炉を通して、この大地、空にある全てのものを模倣すべく、鋳型に押し込まれ鋳造され、そうして鏡からこちら側へ入り込む。

――ただ、加えられただけで、追いやられる。それなら、わたしはその役割をやらなければならない。

 地を這う獣ども、空を牛耳る鳥ども、そこから繋がる宇宙の声。

 これらすべてに反撃をしなければ。反撃の狼煙はもう上げてしまったから、後は追い落すだけ。

 

 そうしてひと息つけば、先ほどまで眠っていた焼き印の子がやってきていた。

――ぼくには、まだ使えないけれど。この槍は証だ。

 そうかもしれない。

 この子もまた、地を這う獣の犠牲となるはずだった。けれども、こうしてここに追いやられた。

 彼らも役目を果たそうとするだけで精一杯なのだろう。

 けれど、この子も槍も、影のものどもも、この巨大なレンズでさえも、用意された過程に従っているような気がして、わたしは気に入らない。

――死を縫い付けられた。それは、人が助かるため。人形師の善意のため。

 この影と、槍とで地を這う獣の血を全て抜き去らねばならない。

 

 狼煙は上がっていた。

 目を眩ませ、地に満ち、あの天を止め、

  この世界の極点を刺す。


 死で満ち足りたこの過程を、あの馬鹿馬鹿しい役目を、

  喰らう。

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