第12話……エピソード4……廣西府雲南省の反乱
現在の雲南省、瀘西県にある廣西府における出来事
1386年11月上旬土曜日朝7時……
1386年11月上旬土曜日午前10時……廣西府
ガーリブは詳しい事情が不明なので密偵を雲南省全域に送り、調べさせた。密偵の報告によると以下の通りである。
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★明代廣西のヤオ族と土官
雲南省から流れる右江(You)と、ベトナムから流れる左江(Zuo)が合流し、鬱江(Yu)となっている
中国における歴代王朝は、辺境の非漢民族地域に対して、いわゆる「夷を以て夷を制す」といった統治方法を採用した。
とくに西南中国の非漢民族地域に対して実施した方法は、元・明代においては土司制度であった。
明初、広西西部右江流域の非漢民族集居地域では、前代に引き続いて土官
非漢民族の中でも土官
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密偵は更に報告を続けた。
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雲南省ヤオ族退治を任されている土官
叔父
関係者は
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事情をよく聞くと
どちらの部隊も昆明で対峙している。
ガーリブは昆明に急行し、
ガーリブ「広政府の命令で参上した。
ガーリブはそれだけ告げて立ち去った。
ガーリブは得意の分散攻撃を夜陰に紛れて実行した。
1386年11月中旬水曜日午前2時……昆明の
暗殺部隊90名は弓矢で護衛の兵士を全て倒し、屋敷内に忍び込んだ。ガーリブは無言で
妻
1386年11月中旬水曜日午後5時……昆明の
ガーリブは
今回はここまでにいたしましょう。
次回をお楽しみに。
エピソード4の資料
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★ヤオ族
ヤオ族「ヤオぞく、瑶族〈ようぞく〉」は中国湖南省から雲南省、東南アジア北部の主に山地に広く住む少数民族である。
分布・言語
ヤオ族はユーミエン(IuMien)もしくはミエン(Mien)、キン・ムン(Kinmun)を民族自称するが、中国では瑶族、タイとラオスではヤオ(Yao)、ベトナムではザオ(Dao/瑶)と呼ばれている。
中国のヤオ族は、ミャオ・ヤオ語族のヤオ語群に属するミエン語、ミャオ語群に属するプヌ語、タイ・カダイ語族に属するラッキャ語、漢語を話す同一のアイデンティティを持つ諸集団であり、半数以上の人口はミエン語話者である。
中国では、ヤオ族は武陵蛮・五渓蛮と称された古代湖南の山地住民の子孫であるという説が有力である。ヤオ族の言語の多様性から、ヤオ族が南嶺山脈を南下する過程で他の民族を吸収し現在の分布に至ったと考えられ、シェ族と系統的に近いと見られている。
東南アジアのヤオ族は主に中国との国境地帯に居住している。日常はミエン語を話すが、儀礼の場では特殊な語彙を持つミエン歌謡語や、雲南漢語、広東語が使われる。
ヤオ族は主に山地で自給作物と換金作物を栽培する焼畑農業を生業とし、地味が衰えるごとに移住を繰り返してきた。ヤオ族では慣習法として一夫多妻も認められていた。
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★チワン族
広西チワン族自治区竜州県の板池“美人村”のチワン族
チワン族「壮族」(チワンぞく、チワン語:Bouxcuengh,旧表記Bouчcueŋь,ポウシューン)は、主に中国南部やベトナム北部に住居する原住民族である。中国では広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部などの山間部に約1,854万人「2010年の第6回全国人口調査統計による」が住み、中国最大の少数民族となっている。言語はタイ・カダイ語族に属するチワン語を話す。壮族(そうぞく)、チョワン族、チュアン族と言う日本語表現もある。
名称
三国時代の俚人や僚「獠」人が祖先ではないかとされる。宋代以来、主に撞、僮、獞などと呼ばれ、中華人民共和国成立後は僮族に統一されたが、僮には「わらべ」、「しもべ」などの差別的な意味があるため、1965年に壮族(Zhuàngzú)と改称された。日本では漢字のままで「壮族(そうぞく)」ということもあるが、一般的には漢字を使わず、「壮」の中国語読みの「チュワン」から「チワン族」と呼ぶ。自称に近い音でいえば「シューン族」となる。
歴史
嶺南地区「ほぼ現在の広東・広西」の原住民族として長い歴史を有する。数万年前の頃から、チワン族の祖先たちはすでに中国の南方で生活していた。周代(春秋戦国)の頃は百越と呼ばれる諸民族の一派で、駱越、西甌などの国家を築いた。
漢代に南越国の支配下に入り中華文明の一部となったが、隋代までは、部落制社会が続いた。
唐代に封建制度社会に移行し、明代には少数民族首長の世襲支配を認める土司制度が行われた。
勇猛なチワン族の兵士は「俍兵」(「狼兵」)と呼ばれ、瓦氏夫人に率いられた田州俍兵が倭寇鎮圧に動員されたこともある。
清代になって改土帰流が行われ、直接支配地域になった。漢民族との接触の歴史が長く、経済活動の必要性から、漢語も広く浸透した。
宗教
正一派の道教を信じ、冠婚葬祭の儀礼もこれに乗っ取って道士が行うことが多い。家の中にある神棚には、先祖を中心に奉り、合わせて左右にかまど神と子供の成育を見守る聖母娘娘などが奉られる。近代にキリスト教の布教も行われたが、浸透しなかった。葬儀は道教式が多く、北部では土葬、南部では土葬した後、数年後に金塔と呼ばれる骨壺に遺骨を納め直す複葬が多い。埋葬場所は風水によって決める。
芸能
広西で出土した銅鼓
チワン族の伝統文化としては青銅製の太鼓「銅鼓」(ニェーン、nyenz)も知られている。イ族、ミャオ族などの周辺民族にも広がったドンソン文化を代表するもので、中国南部の雲南省からベトナムなどの東南アジアにかけて出土も多く、音がよく響き、宗教的な意味を持つ楽器として使われた他、古代の権力と財産の象徴でもあった。
銅鼓には精巧な鋳造で民族の姿を描いたものもあり、部落制など、古代社会の様子を示す資料にもなっており、これを叩いてリズムを取る民族音楽も伝えられている。
チワン族はまた古来より歌舞を好み、歌姫として劉三姐が著名で、映画の題材にもなっている。チワン族は民謡を歌うことで有名なのである。歌詞は美しく、押韻するように作られる。民謡の中には歴史を語る古い歌もあれば、生産技術を教える生産の歌や、および酒の歌、恋の歌もある。主に苦しい歌で、たとえば作男の歌婦人の苦しい歌などである。
チワン族は踊りも得意で、悠久の歴史を持つ銅鼓の踊りは、リズムが明るく、ステップも力強い。
農閑期や祝日、冠婚葬祭の時、各地で一問一答形式で歌う歌垣を行う。彼らはこの日を「歌の市」と呼んでいる。歌垣の風習やチワン語による歌劇の壮劇が伝わる。
靖西市と徳保県にはシン・ヤーハイと呼ばれる伝統的な操り人形劇がある。
工芸
雲南省のチワン族の伝統的服飾
工芸品としては五色の糸で美しく刺繍を施した壮錦が有名で、図案が精巧で美しい、現在も生産されている。
チワン族は手織布の生地を使って多種多様なデザインの服を作る。藍染めなどの染色技術も伝統的に持っており、女性は普段青みがかった黒のズボンをはく、ズボンのすそは少し広げ、頭を綾織のタオルのようなもので包み、腰には精致なデザインのエプロンを結んでいる。
多くの若者は前ボタン式の上着を着て、腰に紐を結んでいる。服飾は男女とも黒色を正式の礼装とする。
建築
チワン族は山や水の近くに居住することを好む。伝統的に「干欄」(ranzgyan)と呼ばれる高床式の木造家屋に住む習慣があった。
多くは長方形の床に切妻か入母屋の丸瓦屋根が乗る。住宅の上層には人が居住し、下層でブタなどの家畜を飼う。
近年は平屋の住居が一般的になっているが、どちらも左右対称に近い配置を持ち、中心線の奥まった位置に神棚が置かれる。
神棚のある庁堂では祝典や社交活動を行い、両端の部屋に人が住む。神棚の後ろに後庁と呼ばれる部屋があることも多く、家長などが住む。生活は暖炉の周りが中心となり、毎日三度の食事はここでとる。
近年、農村では、肥だめから発生するメタンガスを燃料として、台所での調理に使うシステムが広がっている。
食文化
食文化としては米食中心であるが、一年を通じて野菜がとれる環境にあり、白菜、瓜類、豆類などの野菜を多く食べる。
農家は自宅でブタ、ニワトリ、ガチョウなどを飼育して食用とし、一部には犬食文化やヤギの料理もあるが、草食で農耕に必要な水牛や馬は一般に食べない風習をもつ。
行事食に糯米は欠かせず、旧暦3月3日の「三月三」の祭の時に客のもてなしに食べる「五色飯」「ハウナンハーサク、haeuxnaengjhajsaek」は、炊く前の糯米に赤フジバカマ、黄飯花、楓葉、紫藤などの植物の汁をそれぞれ浸たして赤、黄、黒、紫に着色したもので、白飯と合わせて五色にする。
春節と端午の節句には、どの家も「駝背粽」「猫背のちまき、faengx」を作る。
作り方は、質のいい糯米を水に浸した後、洗った棕櫚の一種rongdaijの葉で包む。
包む時に中にリョクトウ餡や小豆餡または、味付けした豚肉を入れて両端を平たく丸め、真中を隆起させ、猫背のようにする。
大きいものは1キログラムほどの大きさになり、小さいものでも500グラムはあるので、長い時間煮なければならない。
祭りの時のプレゼントとして重宝される。
ほかに、端午の節句の細長いちまき「羊角粽」「faengxgaeuyiengz」や草木灰の灰汁を加えて作るあくまきもある。
他に特徴的なものでは、臼と杵で餅(ceiz)を搗いたり、刺身に似た「魚生」を食べたり、檳榔の実を噛む習慣がある。
春節、三月三、重陽節のハレの料理としては、内臓を取ってショウガを入れた鶏を丸ごと煮る白斬鶏が一般的であり、婚礼では広東省の漢族やベトナム人同様に小豚の丸焼きも用意される。
習俗
結婚の儀礼は漢族のものに似るが、嫁入りの際にも親族による歌の掛け合いが行われる習慣がある。また、1980年代ごろまで、結婚しても子どもが授かるまで嫁と夫が数年間別居を続ける「不落夫家」(ふらくふか)の習慣があった。
民族性
伝統的に来客を好み、見知らぬ客でも厚くもてなす。同じ民族間ではよく団結し、時に山塞を構える。農業には勤勉だが、商業を嫌う傾向がある。タイ系民族一般に見られる特徴だが、女性がよく働き、農作業も行う。男性は勇猛でよく戦う。
祭日
チワン族の伝統的「三月三」舞踊
主な祭日、年中行事に旧暦1月1日から15日までの春節(シン、cieng)、2月2日の土地公祭(豊作祈願)、3月3日「三月三」、5月5日の端午節、7月14日、15日の中元節(盂蘭盆会)、8月2日の土地公祭(豊作祝い)、8月15日の中秋節、9月9日の重陽節があり。春節、三月三、重陽節が重視される。
歌節
旧暦の3月3日「三月三」「サームニッサーム、Samnyiedsam」は、墓参の後、多くの人々が着飾って歌を歌い上げる祭典、「歌節」(かせつ)が行なわれる祝日となる。
元々、歌垣と呼ばれる男・女間で即興の歌を歌い、愛情を伝え合うという風習もあり、チワン族の居住する地域を「歌の海」と表現されることもある。チワン族の「三月三」は観光資源として注目され、民族舞踊や「歌合戦」などを披露するイベントも行われている。ただし農村部や山間部では、昔ながらの歌交換の風習が残っている。
その他
チワン族の祭に隴端節「チワン語で畑のあぜへいくという意味」がある。伝説によるとこの祭日はもう70年の歴史をもち、もともとは民族の英雄の儂智高が1052年4月、宋王朝に反対して兵をあげることを記念した。今隴端の町はすでに富寧県のあたりのチワン族、ヤオ族、漢族、イ族の各民族が物質を交流したり。共同に祝ったりする伝統的な祭である。
百色市にはチワン族独自の相撲の祭がある。
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