第五話・終

咲はひよりが家庭教師に来てくれる日を楽しみにするようになった


習い事や塾で疲れた咲を熊のぬいぐるみが

出迎えた、勉強の手が進まなくなるとひより

が言っていたようになんとなくぬいぐるみを

眺めてみるとやる気が回復したような気がした


夏のある日


「今日は神社でお祭りがあるのよ~知ってた?」


ひよりは部屋に入るなり嬉しそうに言った


「知りませんでした」


うんうんと頷いてからひよりは咲の手を取った


「一緒に行きましょ~」


「え、でも先生、勉強しないと・・・」


「いいからいいから~室外学習ってことで、ね?」


ひよりに手を引かれるままに部屋を出て居間を通りがかるとテレビを見ていた母親が咲を鋭い目で睨みつけた


「こんな所で何してるの?勉強しなさい」


ひよりがいる手前か口調は抑えているが怒気が含まれた言葉に咲は委縮してしまう


「ご、ごめんなさい」縮こまって小さな声で

謝る咲の手をひよりはぎゅっと強く握り咲の代わりに母親に応える


「今日は図書館で勉強してもらおうと思いまして~、気分転換も大事なんですよ~。あ、お母様の付けてる口紅っていつも付けてるのとは違う最近流行ってるやつですよね、気分転換ですか~?」


「あら、よく気付いたわね。デパートで勧められたから試しに使ってみてるんだけど」


「よく似合ってますよ~」


「ありがとう。咲、図書館でもいいけど、ちゃんと勉強しなさいよ」


咲は「はい」と俯いたまま返事をし、ひよりはにこやかに

「行ってまいります~」と挨拶をすると手を繋いで神社へと向かった


・・・・・


屋台が立ち並んでいる様子や、たくさんの人の姿に咲は目を丸くした


初めて見る空間はまるで異世界にでも迷い込んだかのように感じられた


「行きましょ~」とひよりは悠然と立つ鳥居をくぐろうと手を引くが咲の足取りは重かった


「先生。やっぱり、勉強しないと・・・」


踵を返して帰ろうとする咲の手をひよりはぐいっと引っ張り小刻みに震えている咲の身体を抱き寄せた


「私が教えなきゃいけない事の一環なんだから、これも立派なお勉強よ」


「お祭りが、ですか?」


「そうよ。大丈夫、大丈夫だから私に任せて。お勉強の事を今は忘れて、一緒にお祭りを楽しみましょう、ね?」


「・・・はい」


ひよりは咲の身体から手を離すとにっこりと微笑んだ


「今日は私がなんでも買ってあげるからね~」


再び咲の手を握ると、人の波の中へと歩き出した


「何か食べたい物とかある~?」


片手を胸に当てて、小動物のように人々や店の様子を窺っている咲にひよりは声をかけた


「・・・先生の好きな物がいいです」


「それじゃ、クレープとかりんご飴とかたこ焼きとかぁ、あとかき氷は外せないわね~。あ、金魚掬いあるよ~」


そう言ってひよりは前方にある屋台を指刺した


「咲ちゃん金魚掬いはやった事ある?」


「いえ、本物を見たのは初めてです」


「うんうん、それなら先生がお手本見せてあげちゃう~」


ひよりは店主にお金を渡し三本のポイを受け取るとどの金魚にしようかと狙いを定めた


いつになく真剣な表情のひよりを咲は見守っていたが、勢いよく水の抵抗にさらされたポイは瞬く間に穴だらけになっていった


「む~。次は咲ちゃんね」


「私は、あれがやってみたいです」


咲は近くにあったスーパーボール掬いの前にひよりの手を引っ張っていった


子供たちに混ざり、咲は慎重に水槽の壁を利用しながら二つの中に猫の形をした小さなフィギュアの入った透明なスーパーボールを掬った


「先生、一つ持っていてください」


「わ~かわいい、ありがと~」


ひよりは嬉しそうに受け取ると表情は相変わらず変化のない咲に抱き着いた


ボールをくれたことも嬉しかったが、咲が自主的に手を引っ張ってくれた事がひよりにとっては何よりも嬉しかった


二人でたこ焼きを半分こして食べながら祭りの雰囲気を楽しんだ


・・・・・・


「あ、良かった~ベンチ空いてる~」


少し休もうとかき氷を片手に本殿近くのベンチに腰を掛けた


屋台が並んでいた場所とは違い照明は少なく、代わりに祭り用の提灯が静かに境内を照らしている


「先生、今日はありがとうございました」


「良いお勉強になったかしらね~」


「勉強、なんでしょうか」


「お勉強よ~今の咲ちゃんにとってはとくにね~。かき氷は美味しい?」


「はい、冷たくて美味しいです」


「あはは、今度かき氷専門店にも連れてってあげたいな~」


そう言ってひよりは咲からもらったスーパーボールを提灯の静かな光で照らした


「これ可愛いね~咲ちゃん猫が好きなの?」


「好きというわけではないですが、今日の記念になるような物が欲しくて」


「嬉しいなぁ、大事にするわね~。どう?お祭り楽しかった?」


「先生が笑顔で楽しんでる姿を見れたのが嬉しいです、いつも笑いかけてくれて、でも私はそれに応える事が出来なくて・・・」


うんうんと頷いて聞いているひよりに向かって咲はぎこちない笑顔を作って見せた。

とても笑顔とは言えないような、頬が引きつった咲の笑顔は、花火のように一瞬で消えていった


「すみません、うまく笑えなくて」


そう言いながら軽く俯いていると、隣からすすり泣く声が聞こえてきた


「ぅ、うん。いい、のよ咲ぢゃん。大丈夫、だからぁ」


ひよりは鼻をすすり肩を揺らしながら涙を流していた


泣いている意味は分からなかったが、ひよりの頬に流れる涙を咲はハンカチでそっと拭う


「ごめんね~、そろそろ帰らないといけないわね」


ようやく涙の収まったひよりはベンチから立ち上がると咲の手を取った


「何かあったら言ってね~。

ずっと一人で頑張ってきた咲ちゃんの添え木に、私がなるから」

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