第15話:勇気と臆病
サルバの騒動から数日、ティアの花屋に訪れる客は少し減っていた。売上が減って悲しいような、ゆっくりできる時間が作れて嬉しいような。
「私はお姉ちゃんとたくさん話すことができて嬉しいよ?」
店の中で座っているミリィがそう言ってくれる。正直なところ、ジルベールの依頼でまとまったお金が入ったこともあって、売上が減ってもあまり問題ではない。そもそもが出費の少ない生活だ。質素倹約なゴーレムここにあり。
しかし、ミリィが店に来てくれるのは嬉しいが、本当に来ても大丈夫なのだろうか。以前に中層部で見かけたミリィは随分と裕福な家庭であるように思われた。護衛を連れているのだから中層部でもトップレベルだろう。そんな家の娘が怪しい花屋に入り浸っている。
(……まずいのでは?)
「ねぇミリィ」
「なーに?」
「ミリィって多分裕福な家だと思うんだけど、こんなとこに来ても大丈夫?」
「多分大丈夫!」
なんとも曖昧な答え。ティアは少し心配になる。
「ここに来てることは言ってるの?」
「言ってないけど知ってると思う。多分どこかで見てるよ」
どこかで見ている。護衛が見守っているということだろうか。たまに感じる視線は彼らのものかもしれない。
「お姉ちゃんは私がいたら邪魔?」
「そんなまさか」
「えへへ、良かったぁ」
ミリィが嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、ティアはミリィの家について聞くか迷った。気にならないといえば嘘になるが、聞いていいのだろうか。ゴーレムのティアには分からない。どこまで聞いていいのか、それとも聞いたら彼女は離れてしまうのか。
人の街に暮らし始めて長くなるが、気遣いというものをティアは分からないのだ。ずっと独りで生きてきたし、森で唯一の話し相手だった猿も別に仲間というわけではなかった。気遣う相手がいなかったティアはどうしたらいいのかが分からない。殺すか殺されるかの単純な世界とは異なる、人の世界の複雑さを痛感する。
「実は昔、私にもお姉ちゃんがいたの。本当のお姉ちゃん。もう居ないんだけどね。だから、もう一度お姉ちゃんが出来たみたいで嬉しいの」
悲しげに話すミリィからは、本心から言っていることが伝わった。かつての姉とティアを重ねているのだろう。それ故に、彼女は自分を姉と呼ぶ。
チクリと何かが脳裏によぎった。得体の知れない既視感がティアを襲う。ミリィの顔を見ていると何故か胸がざわつくようだ。どこかで見た気がする。しかし、どこで見たか思い出せない。既視感の正体は最後まで分からなかった。
結局、ミリィに聞くことは出来なかった。ミリィにとって聞かれたくないことかもしれないなら、聞かない方が無難であろう。そうティアは考えるが、もしかしたら言い訳かもしれない。踏み込むことを恐れたのだろうか。もしそうだったら、自分はまだまだだと思う。
「あ、そうだお姉ちゃん」
「どうしたの?」
ミリィは鞄から二枚のチケットを取り出した。中央にはビザーレの文字が刻まれ、舞台を背景にして鮮やかに彩られている。ビザーレといえば、ミリィと初めて出会った時に勘違いされた劇団の名前だ。
「これってあの時の……」
「うん! ビザーレ劇団のチケットだよ!」
ミリィと初めて出会った時のことを思い出す。ミリィに芸を披露し、喜んでくれたときは本当に嬉しかった。生まれて初めて他者に認められた瞬間である。たとえ相手が小さな女の子であろうとも喜びは変わらない。あの時耳にした劇団にも興味を持ったのだが、バタバタとしているうちに忘れてしまっていたようだ。
「覚えていてくれたんだ。二枚ってことは私のために?」
「うん! 一緒に見に行きたいなーって」
「わぁ……ありがとう、もちろん行くよ」
ミリィが太陽のように笑ったため、思わず彼女の銀髪を撫でた。よく手入れのされた髪はさらさらとしており、とても手触りがいい。ミリィは気持ち良さそうに身を預けた。
可愛い。
その一言に尽きる。ゆったりとした空気が流れた。大通りの喧騒が遠くに感じられる。退屈は嫌いだが、この感じは嫌じゃない。
店の前を歩く人々は微笑みながらその光景を眺めた。まるで姉妹のような
「仲がよろしいのですね」
そんな二人に声をかける者がいた。ティアが顔を向けると、店先に立っていたのは盲目の
「いらっしゃい。花をお求めで?」
「もちろん花を買いに来たのですが、まずは謝罪を」
「謝罪?」
疑問を浮かべるティをよそに、
「ファルス教の
「ファルス教……あ、もしかしてこの前の騒動の謝罪ですか?」
ティアはピンときた。恐らくサルバが起こした騒動についてであろう。信徒が問題を起こしたということで謝罪に来たらしい。なんとも律義なものだとティアは思った。
「気にしないで下さい。被害も無かったですし」
「そう言って頂けると助かります」
リーベは安心したように微笑んだ。客が減ったのだから被害が無いわけではないが、それに関して特に責める気は無かった。過ぎたことを気にしたって仕方がない。魔物ならば前を向くべし。
「それにしても耳が早いですね」
「クォーツさんという
「クォーツさん……そっか、あなたがお花の相手でしたか」
クォーツが花を渡している相手はリーベだったようだ。彼ならば騒動の現場にいたし、リーベがそれについて知っていたのも納得できる。きっと花を片手にリーベの元へ向かったのだろう。そして鼻を伸ばした彼に騒動について聞いたのだ。ティアはその光景が容易に想像できた。
「クォーツさんからはよく花を頂いています。お店についてもお聞きしまして、以前から気になっていたのですよ」
「ぜひ見ていって下さい。他の店には無い花が揃ってますよ」
リーベは屈んで花を眺めた。閉じられた両眼からは感情を読み取れないが、どこか懐かしんでいるように思われる。彼女も花が好きなのだろうか。
「やはり良い香りですね。まるで故郷を思い出すかのようです」
同じファルス教の信徒なのに、こうも違うものなのか。それともサルバが例外だったのか。彼女の姿を見ていると、ティアはそう思わずにいられなかった。魔に属する自分とはまるで正反対である。
「リーベさん、一つ聞いても?」
「はい、何でしょうか」
「神託とは何ですか?」
ティアは気になっていたことを尋ねた。サルバが言っていた神託についてだ。妄言か、はたまた神の奇跡か。それとも自分を排除しようとする第三者か。
「欲を制し、祈りを捧げ、主神の御言葉を説いた先にファルス様から神託が降りる、と言われております」
「いえ、もっと核心的な部分を……要するに、サルバという男が言った神託について」
「そうですね……」
リーベはじっとティアを見つめた。無言で、何か悩むようにティアの顔を注視する。閉ざされた瞳は何を見ているのか。二人の視線が交差した。
「お姉ちゃん」
「うん?」
それまで静かだったミリィが口を開いた。修道女が現れてから珍しく口数が減っていたようだ。
「私そろそろ帰らないと……」
「そっか、もうそんな時間か」
「うん、また来るね」
バイバイと手を振るミリィ。店はティアとリーベの二人きりになった。
「ごめんなさい、邪魔をしてしまったかしら。怖がらせていたら申し訳ありません」
「人見知りしない子だし、大丈夫だと思いますよ」
そう言うとリーベはホッとした。
「結論から言うと、サルバという男に神託が降りることはあり得ません」
リーベの言葉は続く。
「神託を授かることができるのは聖女様のみです。一介の信徒に神託が降りるはずがありません」
「でも、神託を受けた聖女が街の信徒――つまりサルバに伝えたと言うのは?」
「それもないでしょう。神託の内容が信徒に知らされることはないのだから」
彼女は首を振った。
「つまり、サルバの言う神託は全て虚言ということですか」
「そういうことになります。一体何が彼を掻き立てたのか私には分かりませんが。誰かに嘘を吹き込まれたのかも知れませんね。それに、こんな素敵な花屋が無くなってしまったら、私はショックで寝込んでしまいますよ」
リーベは冗談ぽく笑った。そもそも、一介の花屋に潰されるほどファルス教は小さな教団ではない。内容からして可笑しいのだ。話は終わり。彼女は一輪の
「長くなりましたね。この花貰えますか?」
「はーい、ありがとうございます」
そのまま持ち帰るようで、両手で大事そうに抱えている。お金を受けとると彼女は店を出た。
「ファルス教団は貴方に危害を加えるつもりはありません。彼にはこちらで何かしらの処罰を与えるのでご安心下さい」
そう言い残して去っていった。結局、サルバが何をしたかったのかは謎のままであったが、逆に収穫もあった。ファルス教の本意ではなくサルバ個人の行動ならば、教会を責めても意味がないだろう。取り敢えずクォーツからの連絡を待とう、とティアは思った。
「あの人がクォーツさんの想い人か……綺麗な人だったな」
どこまでも清廉としており、一本芯の通った人物であった。ティアが初めて会うタイプの人間だ。マリエッタとはまた違った性質の優しさを持っているように思われる。また彼女と話してみたい。もっと色々な話を聞きたい。好奇心という欲求が心の内から溢れだした。彼女が持つ知識、更には彼女自身に興味を持った。
(常連客になったらいいな)
ティアは情報収集を怠っていない。怠っていないのだが、どうしても偏りと限界があるのだ。個人で集められる量はそれほど多く無く、伝手が多いわけでもない。だからこそ、彼女の話は面白かった。
花屋には今日も珍しい花が咲き、様々な人を魅了する。
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