寂しがり屋のゴーレム
畑中みね
人を知る
第1話:人間の街って楽しそう
『ゴーレム』
核を宿した魔物だ。他の魔物とは違って意思がない。“生きている”というよりは“動いている”が正しいだろう。ふらふらとさまよい続け、同族と出会ったならば互いに喰らい合う。
一般的なゴーレムは胸に核を宿し、それを護るように硬い土で覆われている。地域によって性質が異なり、森に生息するゴーレムはほとんどが人型で無機質な瞳を宿すのだ。
だがある日、喰らいすぎた一匹のゴーレムはとある変化をした。小さな
やがて、ゴーレムに勝てる者は居なくなった。元々長く生きた個体であったが、意思を持ってからは段違いに強かったのだ。知性を持たぬ同族は全く相手にならず、ゴーレムは退屈していた。
そんな退屈を紛らわすため、まれに森へ訪れる『人間』という生き物に興味を持った。濃霧が立ち込めるこの森に人が立ち入ることは滅多にない。いたとしても霧にのまれて死んでしまう。だからこそ、敢えて死地に
代わり映えしない、魔物だけの森に飽きていたのかもしれない。普段は近づかない森の外側へ足を運んだのも、本当にただの気まぐれだったのだ。
(あれは……)
木々の隙間から一匹のゴーレムがひょこっと顔を出した。全体的に丸い体を器用に使って覗いている。視線の先にあるのは人間の街だ。人々が忙しなく動き、笑顔と活気が溢れている。その様子をゴーレムはじっと見つめていた。
森から出たことがないゴーレムにとって、そこは未知の世界だ。悠久の時を一匹で過ごしてきたゴーレムは衝撃を受けた。輝くような食べ物に魔法で彩られた街並み。積み上がるように建物が立ち並び、まるで街全体が巨大な城のようだ。見たことがない生き物が街を
(あれが街……あれが人間……)
ゴーレムはいつの間にか羨望の眼差しを向けていた。まるで玩具を与えられた子供のようにキラキラと輝いている。しかし、今はどうすることも出来ないのだ。言葉も常識も分からず、そもそもこの体では真っ先に殺されてしまうだろう。
ならばどうするか。どうすれば、あの楽園に踏み入ることが出来るのか。ゴーレムは考えた。必死に考えた。考えた結果、分からなかった。それ故に、まずは知ることから始めることにした。
(学ばないと)
その日からゆっくりと、しかし着実に、ゴーレムは人間について学び始めた。
○
ゴーレムの生活は一変した。人の暮らしを学び、文化を学び、言語を学んだ。何年かかったのか分からないが、当初と比べれば見違えるほど成長した。しかし、肝心の経験がない。実際に経験しなければ分からないことがあり、遠くから見ているだけでは限界がある。故に、人の街に足を踏み入れなければならなかった。自分の体をより人に近づけるための努力もした。
丸い体を人の体へ、ゴーレムの心から人の心へ。
やがて、人通りの少ない深夜に街へ忍び込み、街を散策するのがいつの間にか楽しみになっていた。ゴーレムは夜目が効くため、夜の街も問題なく歩くことができる。たまに捨てられたゴミの中から興味のあるものを拾って、大事に持って帰ったりもしていた。“夜な夜な街に赤目の化け物が現れる”という噂が立ち始めたのもこの頃だ。警戒していても、少しずつ噂は広まっていった。
それでもゴーレムは楽しかったのだ。昼間は物に化けて人間を観察し、夜は街というものを知る。当然辛いこともあったが、それ以上にわくわくしていた。森に生まれて
街へ忍び込むのが常習化したある日のこと、いつもと趣向を変えて裏道へ入った。そこでゴーレムは街の新たな側面を目の当たりにする。立ち並ぶ家はとても綺麗とは言えず、地面は所々穴が空いて底なしの闇を覗かせていた。まるで別世界のように入り組んだ道は、無作法に積み上がった建物によって月の光すら届かない。
(表は綺麗だったのに、ここは汚いな)
汚い。衛生面はしかり、街そのものが人の欲望を詰め込んだような雰囲気だ。深夜だというのに明かりが漏れている家もある。上へ、下へ、トーカスが誇る巨大スラムの奥へと進んだ。
道端にはゴミが捨てられ、清潔感は微塵も感じられない。流石にゴーレムでもあのゴミに興味は示さなかった。スラムの奥へ、誘われるように進む。
(ん?)
ふと、誰かの騒ぎ声が聞こえる。路地裏の奥に小さな明かりが見えた。ゴーレムは見つからないよう音を立てずに近寄った。やがて、見えてきたのは小さな広場だ。雑多にゴミが散らばり、それらを除けるように男達が座り込んでいた。
○
「飲め飲め! 今日は久しぶりの太客だ!」
「酒なんて久しぶりだ! 飲みまくるぞー!!」
十人ぐらいの男達が皆、酒瓶を片手にお祭り騒ぎだ。既に顔が赤い者もおり、闇夜とは真逆の明るさを放っていた。もっとも、彼らの顔は善良な市民とはかけ離れているのだが。誰もが下世話な笑い声を上げている。
「しっかし兄貴、こいつはいったい何なんですかい?」
「ああ? そりゃぁ、
リーダーと思われる男が広場の隅に転がる麻袋に目を向けた。仲間の男が袋を開けて出てきたのは一人の少女だ。どこまでも沈んでしまいそうな黒髪をもつ綺麗な少女である。猿ぐつわを噛まされて喋れることが出来ず、怯えた目を向けていた。
「ファルメール卿の娘なんだがよ、見ての通り黒髪なんだわ。貴族の娘に忌み子の娘は外聞が悪いんだとよ」
「それで俺たちに処理しろってことすか。多額の報酬も納得ですぜ」
「おかげで旨い酒が飲める、貴族様々ってもんよ!」
笑い声が路地に木霊した。そんな見るに耐えない光景を、ゴーレムは闇の中からじっと見ている。人同士で奪い合う。ゴーレムだって同族を食って生きてきたが、それは必要なことだった。しかしこれは違う。私利私欲で争う、言わばもっとも人間らしい姿。
(何故?)
この光景を見たゴーレムが嫌悪感を抱くことはなかった。異なる種族同士の争いに心を痛めることはない。純粋な「何故」という疑問だけが頭の中に残る。
この光景もまた未知。
「やっぱりやめましょうよ……忌み子に手を出しちゃダメですって」
「なんだジャック、びびってんのか?」
ジャックと呼ばれた気弱そうな男がそう苦言した。彼は集団の中で唯一怯えている。ファルメールの忌み子。裏稼業の人間ならば一度は耳にしたことがある名だ。曰く、目を合わせただけで不幸になるという呪われた子。ジャックは絶対に目を合わせないように決めている。
「びびってますよ……むしろ兄貴は怖くないんすか?」
「アッハッハ! 当たり前だ。そんな迷信を信じてるやつなんてここにはいねーよ。あんなもんはお偉いさんの作り話だ」
「そうだぜジャック。いいからお前も飲めって」
男はそう笑い飛ばした。周りの仲間達も気弱な仲間を笑う。ジャックの不安は晴れないまま、彼は酒に手を伸ばした。
○
彼らの
(もう帰ろうか)
そう、心に思った時だった。
ふと、少女とゴーレムの目が合った。合ってしまった。麻袋にずっと入れられていたが故に、目が闇に慣れていたのかもしれない。だからこそ、少女だけは闇に潜む異形の存在に気付いてしまった。
「――!?」
「ああ? 何を今更暴れてんだ。意味ねーんだよ」
「小便でもいきたいんじゃないですか?」
「はは! チビってんのか!」
再び下卑た笑い声が響く。しかし、男達の会話など少女は聞いていなかった。闇に浮かぶ緋色の眼に、歪な形の土くれ。話に聞く、微睡みの森の化け物だ。あの瞳は巷で噂の“赤目”である。
少女はカタカタと震えた。しかし、同時に一縷の望みを抱く。
――目の前の化け物がこいつらを殺してくれれば。
「ん――!!!」
少女は男達が化け物に気付くように暴れた。少女の目はまだ諦めていなかったのだ。男達と化け物が争えば、自分にも逃げるチャンスが訪れる。虐げられてきた人生、このままで終われるはずがないと、少女は力の限り抵抗した。
「なんださっきから!」
「暴れんなって言ってるだろ!」
「んっ!?」
強烈な蹴りが少女の腹に入れられ、小さな身体は簡単に蹴飛ばされてしまう。
「面倒ですし、さっさと殺っちゃいましょうよ」
「酒が不味くなるから後にしたかったが、仕方ねぇ」
よっこいせ、とリーダーの男が立ち上がった。ビクッと少女の肩が震える。それでもなお、少女は諦めずに暗闇を見つめた。瞳に宿るは恐怖だけでない。生まれに対する絶望、後悔、渇望……怒り。負の感情を練り混ぜたような暗い輝きが小さく瞬く。
「殺るか」
「――!!!」
やがて、手入れされてないのであろう粗末な剣が抜き放たれた。
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