2-72.恩返しはいつか
義毅はすでに、のぞみの事件のことがクラス中に知れ回っていることを察していた。のぞみが何か相談をしたいことも理解できる。だが、事件の性質を考えると、今ここで話すべきことではないだろうとも思った。
「罰ゲームの後にしてくれるか?」
「分かりました」
「ちょうどいい、お前も一緒に走るか?着替えは不要だぜ」
魔獣のコスプレをしなくていいなら、これはただのアクションスキル強化訓練と言ってもいい。一度、義毅を見失えば、次に見つけ出すのは難しいかもしれないと思ったのぞみは、あっさり頷いた。
「分かりました」
「ノリが良いな。よし、メンバーも揃ったことだし、行くか!」
義毅を筆頭に、A組の十数名がヘストロンフェを後にする。
「いいか、お前ら。俺のペースにしっかり合わせろよ!」
コスプレであることを差し引けば、義毅のコースはキャンパスを訓練施設としたアクションスキルの鍛錬と同じかと思われた。だが、実際に走り出したのは、セキュリティーの低い施設や自然物のコースではなく、高低差の激しい場所ばかりだった。
彼らは義毅の後を追い、ハイニオスの施設と施設を繋ぐ、渡し橋を飛び越えた。ロットカーナルでは近未来のビルジャングルをかいくぐり、アイラメディスではキャンパスに展開された『
セントフェラスト全域を逆時計回りに、それぞれのキャンパスを走りながら彼らは、人々とすれ違い、森の守護獣にその姿を目撃される。
警護監視しているエルヴィたち『
途中で、のぞみは京弥に声をかけられた。
「神崎!」
「黒須さん?」
「姉貴から聞いたぜ。中間テスト最終日に命を狙われるって。しかも、お前だけでなく、他に四人の心苗も巻き込まれるっていうじゃねぇか。その話、マジなのか?」
「はい」
後ろから追いかけてきた悠之助ものぞみに話しかける。
「神崎さん、大変ッスね。自分たちも協力させてくれッス」
「勝手に俺の意志を決めるなよ」
悠之助は京弥に、からかい半分の口調で返した。
「黒須さんは手助けしないんスか?」
「……姉貴が介入するってんなら、俺も乗るぜ」
「あの……。少しでも力になれるなら、私も協力したいです……」
のぞみの5メートルほど後ろを走っている初音の声に、悠之助は驚く。
「初音ちゃんもやるっスか?」
「……正直、怖いですけど。でも、皆と一緒なら、リスクは最小限に抑えられると思って……」
「……君はまだ、誰かを助けられるほどの力を備えていない。事件は予想以上に危険かもしれない。無茶をして手出しすると、リスクを増やすだけになる」
四人の先頭にいた真人(さなと)の言葉を聞いて、「島谷さん……」と初音は張りつめた表情になった。
「たしかに初音が参戦すると、余計な仕事が増えるかもしれねぇな」
京弥はさらにストレートに、初音の実力では敵に及ばない可能性を示唆した。
「君はテストに専念すれば十分じゃないか?今日の分も含めて挽回するチャンスがあるだろう。この事件にA組の多人数が介入することになったとして、君が協力しなかったことを責める者はいない」
無愛想な物言いではあったが、そこに初音を責める気持ちがないことは伝わった。初音は自分の現実を受け入れ、協力を断念するべきだと思いつつも、まだ判断がつかないでいる。
「でも、のぞみちゃんには何度も恩があるんです。見過ごすことはできません……」
さっきのテストでも、自分のせいで死傷者が拡大する恐れがあったことは自覚している。それでも初音は、ルビスのダンジョン課題の時に、危険を冒してでも助けに来てくれたのぞみのことを、今も忘れられないでいる。
そして今、のぞみの命が危険だとわかっている状況下で、力になりたいという気持ちを捨てることは、初音には難しかった。魔獣コスプレの列に従って跳び進みながら、初音の目にちらちらと星が揺れている。
「その気持ちは決して悪いものじゃない。だが、今はまだその恩を預かったままでいた方がいい。未熟なまま、感情任せに事件に首を突っこめば、君だけでなく、周囲の者の無駄死にまで引き起こす。君がすべきことは、今すぐに恩を返すことではなく、一人前に戦える強さを身に付けることじゃないか?」
「分かりました……」
初音は皆の意見を聞き入れることにしたものの、見るからに項垂れ、目をしょぼつかせていた。
「初音ちゃん、ありがとう。気持ちは十分に受け取りました。でも、私のために無理に戦って、万一、命を失うことにでもなれば、私が辛いです」
実力不足のもどかしさは、のぞみには痛いほど分かった。だが、予言を現実のものとするリスクはなるべく抑えたい。死傷者を増やさないためには、少なくとも戦闘力に余裕がない人の介入は避けたかった。
「のぞみちゃん……」
のぞみに危険が迫っているというのに、何もできない。初音は無念さで胸が苦しくなった。
「俺たちが初音の分まで戦ってくるから、任せてくれ」
初音にそう言った真人に、京弥が問いかける。
「お前は介入するのか?」
「事件が目の前で起きるなら、俺は剣を振るうだけだ」
真人はそれ以上、返事をしなかった。走るペースを上げ、前方を走る人々のところまで跳び進む。これ以上、話すつもりはないという意思表示らしい。
「もっとはっきり言えないのかよ、この陰気王め」
協力するのかしないのか、曖昧な真人の答えに、京弥は不愉快げに呟いた。
罰ゲームを受ける心苗たちの間では、しばらく、のぞみの事件に関わる話題が続いた。
そのなかで、2年A組の心苗たちは思い思いの考えがあるものの、大まかに二つの派閥に分かれることが分かった。一つは事件を防ぐため、全力で協力したい者たち。もう一つは、テストに専念するため、協力はしないという者たちだ。
一時間後、魔獣コスプレでのセントフェラスト一周の罰ゲームが終わり、心苗たちが解散した。
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