新月の殺人鬼

矢庭竜

新月の殺人鬼

 高校からの帰り道、僕はその人に出会った。春の早い時期、午後7時半頃のことだ。一人で夜道を歩くことはまるで怖くなかった。僕はクラスでいちばん背の高い男子学生で、しかもラクロスのスティックの長い奴を肩に担いでいたのだ。恐れ知らずな誰かが襲ってきたって返り討ちにできるだろうと思っていた。だからテレビのニュースの連続殺人鬼シリアルキラーのことなんて、月に一度、新月の下で、必ず一人を殺している「新月の殺人鬼」のことなんて、全然思い出しもしなかった。その晩は、西の空に新月が見えていたのだけど。


 アパートの近くの通りに差し掛かったとき、街灯の下に人影を見つけた。暗色のダウンジャケットに暗色のニット帽。両手をポケットに突っ込んで、光柱の中に立っていた。こんな遅い時間に、一人きりで突っ立っているなんて。少し変だなと思ったけど、僕は話しかけることなく通り過ぎようとした。二人の影が重なったとき、その人がポケットから手を引き抜くのが見えた。包丁が握られていた。包丁に反射した青白い光を見てようやく、僕はある新聞記事を思い出した。こんな見出しの――『新月の殺人鬼、現代のジャック・ザ・リッパー』。次の瞬間、僕はその人に言っていた。「あの、見て、今夜は新月じゃないですよ」


 その人は驚きに目を見開いた。その人が西の空を見上げているスキに、僕は逃げ出してアパートに辿り着いた。母は僕の青ざめた顔を見て何があったのか尋ねたけど、僕は何も言わなかった。現実だと信じられなかったのだ。起きながらにして見る悪夢のようだった。僕は両親と夕食を食べ、十五分間風呂に入り、受験勉強をして、十二時頃ベッドに入った。全部がいつも通りだった、頭の中の光景を除いては。僕は何度も何度もその光景を思い出していた。食卓で、バスタブで、勉強机で、ベッドの中で。街灯下の光柱の中の人影。暗色のダウンジャケットに暗色のニット帽。街灯を反射する青白い包丁。そして西の空を見上げる真剣なまなざし。眠りに落ちるその瞬間、僕は自分がラクロスのスティックを通りに放り出してきたことに気がついた。


 翌朝、部屋の窓から数台のパトカーがとある方向へ走って行くのが見えた。学校へ行くと、噂好きのクラスメイトが二三のことを教えてくれ、僕は殺人鬼が僕の代わりに他の男の子を殺したらしいと知った。


 ラクロスのスティックは落とし物として学校の事務室に届けられた。届けてくれた人は、事務員いわく、暗色のダウンジャケットに暗色のニット帽を身につけていた。

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