神の去った世界で

@johnny2021

序章

序章


 吊り下げられたランタンに灯る炎がユラユラと揺れている。


 饐えた魚油の臭いが充満する薄暗い室内には、古ぼけたベッドと幾つかの雑具が置かれている以外には何も無い。




 そんな殺風景な小部屋の小さなベッドには黒髪の少年が横になっていた。


 ランタンのみならず室内全体が大きく揺れているにも関わらず、少年は悠然と眠りこけている。


 揺れる炎の明かりに照らし出されるその寝顔は、幼さを残しながらも整った顔立ちをしており、異性を引きつけるには十分な美貌を誇っている。


 だが、身に纏っているのは優雅さの欠片も見出せない厚手の旅人用の服であった。所々が破れており薄汚れている状態から見ても、この眠りこけている少年が旅路の途中である事が伺える。




 一体どれ程の時間が過ぎたのか。


 やがて、床板を踏みしめる重々しい足音が近づいてくると小部屋に唯一取り付けられた扉がゆっくりと開き、日に焼けた厳めしい顔つきの男が入って来た。


 男は眠りこける少年に近づくとその肩を揺すり声を掛ける。


「おい、もうそろそろ着くぞ。降りる準備をしておけ。」


 少年の眉間に皺が寄る。がすぐに目を開き了解した旨を男に伝えた。




 男が出て行くのを確認すると、少年はベッドから身を起こし立ち上がる。


 眠っていた時には無防備に見せていた幼さは形を潜め、鋭い眼光が印象深い戦士の貌が表に出る。


 やや長身の体躯はスラリと伸びた四肢のお陰で細身の印象を与えるが、腕や脚は分厚い筋肉に覆われており強靱な肉体の持ち主である事は疑いようも無い。




 少年は使い込まれた愛用の長剣を左腰に下げると、投擲用のナイフが3本と常備用のダガーが差さっている予備ベルトを腰に巻き付け金留め具に短弓を引っ掛ける。


 防寒用のマントを羽織り荷物と矢筒を背負うと、もう1つ大きな袋を反対の肩に背負い、小部屋を出た。




 扉を開けて、狭い階段を上ると突き刺すような光が少年の眼を灼く。


 真っ白な視界から徐々に眼が慣れて来ると、少年の双眼に幾艘もの漁船が浮かぶ港と広大な碧に埋め尽くされた海が広がった。


 強烈な潮の薫りが鼻腔を擽る。




「ようやく戻ってきたか」


 少年は呟くと、先ほど自分を起こしに来てくれた小さな漁船の船長へと振り返り、謝礼を渡したい旨を伝えた。


 船長は片手を挙げて応じると慣れた手つきで船を操り着岸させる。




 下船すると少年は船長に銀貨6枚を渡した。


「1枚多いようだが?」


 船長は受け取った銀貨を見て1枚返そうすると少年は笑顔で船長の手を押し止める。


「いいんだ。こちらが無理を言って乗せて貰ったんだから。それで一杯飲ってくれ」


 船長は少し逡巡している素振りを見せたが、やがてニヤリと笑うと銀貨をポケットに押し込んだ。


「シオンと言ったか?・・・若いのに気が利くな。戻りの用があればまた声を掛けてくれ。あんたなら大歓迎だ。」


「ああ、宜しく頼むよ」


 シオンは頷く。


 と、思い出したように漁船に戻る船長に声を掛けた。


「ああ・・そうだ、セルディナに帰りたいんだが良い方法はあるかな?」




 船長はシオンに振り返るとシオンの進む先を横切る街道を右手で差した。


「この先に大陸公路まで運んでくれる定期馬車が出ているからそれに乗るといい。公路まで出たら、後は宿場町の定期馬車に乗り継いで4~5日だな。」


「ありがとう」


 少年は今度こそ船長に別れを告げると、街道目指して歩き始める。






 世界地図を見たとき地図の北西に1つの大陸を発見出来る。




 カーネリア大陸。




 この大陸は、大陸の東部を占める最大の王国カーネリア王国を筆頭に北部のセルディナ公国、西部のマルセル小国家群に分かれて人々が生活をしており、この3カ所を横切るように大陸公路マーナユールが通っている。




 大陸公路は大陸内のみならず他大陸の商人達も多用しており、人・金・物資・情報・文化が常に行き来する、大陸経済の根幹である。


 そのような重要な公路故にこのマーナユールは、大陸公路の守護者たるカーネリア王国の号令のもと、各国の協定で公路に関する取り決めが行われている。


 公路内での犯罪は厳禁でありこれを破れば通常よりも遙かに厳しい処罰が行われる。また、各国の権益である関税もその率は明確にされており、利用者が不当に税を搾取されない様に配慮されている。


 その他にも軍事行動の禁止や定期的な公路周辺の魔物討伐などが各国で定められていた。






 小さな港町を出たシオンが公路専用の定期キャラバンの馬車に乗ったのは、船長と別れてから3日後の事であった。


 如何に安全な公路とは言え馬車1台で走ったりはしない。複数の馬車が寄り集まり10台ほどのキャラバンを構成し、それに用心棒がついて始めて出発となる。




 均され舗装された公路を快適に走る馬車の中で、シオンは外の景色を見やる。


 広大な草原とその奥に見える森林。時折、森林から漏れる光は湖の水面に反射する陽光だろうか。そしてその遙か北には大陸最高の連峰である高地アインと低地アインの聳えたつ姿が見える。


 大陸も北部に近いこの辺りの地域は肌寒さを感じる時間帯もあり相乗りしている人々の服装も厚手の物が目立ってくる。




「兄さんは1人旅かい?」


 外の景色を眺めていたシオンに、向かいの行商風の男が声を掛けてきた。口髭を蓄えた頑健そうな体つきの男は笑いかけながらシオンを見ている。


 シオンも笑顔を返し頷いた。


「ええ、1月ほど依頼解決の為の旅に出ていました。今はセルディナに帰る途中です。」


「ああそうかい。・・・これでも食うかい?」


 男はそう言って、革袋から干し芋のような物を取り出しシオンに差し出した。


「ナル芋の根っこを干したモンだ。芋のなり損ないだな。筋張って飲み込めたもんじゃ無いが噛むと甘いよ」


 自分でも噛んでみせる男を見習ってシオンも受け取った干物を口に咥えてみる。


 ・・・なるほど甘い。


「甘い物を口にしたのは久しぶりです。」


 シオンは微笑み口の端に干物を咥えながら男に礼を述べる。




 男はニコニコと頷くと「俺はダリンだ」と名乗り、興味深そうにシオンに尋ねてきた。


「兄さん、さっき依頼解決の旅って言ってたが、ひょっとして冒険者なのかい?」


今度はシオンが頷き言葉を返す。


「ええ。他大陸の国に届け物をしに行ってました。」


「はー・・・大変だな。随分と若そうに見えるが。」


 ダリンは行商人だけあって情報に貪欲だった。


 シオンはダリンの質問に聞かれるがままに答えていき、それを聞いていた他の相乗りの人達も会話に加わってくる。


 馬車の時間を世間話で費やせるのは幸運だった。




 セルディナまで後3日。良い退屈凌ぎができそうだった。




 ・・・などと考えるものでは無かった。


 セルディナまで後1日というところで、前方の馬車が騒がしくなる。


「何かあったのかな」


 この2日ほどで仲良くなった相乗りの少女のルーシーが不安そうにキャラバンの前方を見やる。


と、護衛役の用心棒が前方から掛けてきた。


「すまない。コボルトの群れに囲まれ掛けている。応戦してはいるがこちらにまで危険が及ぶかも知れない。幌を下ろして静かにしていてくれ。」


 そう言うとさらに後ろの馬車へと掛けていく。




『こんな所でコボルトの群れに出会すなんてな』


 シオンは護衛役の不運に同情しながら、そっと辺りを見渡す。・・・確かに遠くの草むらが不自然に揺れている箇所がある。


『・・・これは囲まれるな・・・』


 シオンは予測を立てると腰を屈めて馬車内を移動する。




「どこに行くの?」


 ルーシーはシオンの腕を取って不安そうに訪ねてくる。シオンはルーシーの手に自分の手を重ねて微笑んでみせる。


「護衛役を手伝ってくる。こういう事態は初めてじゃ無いから対応も出来る。ここでみんなと待っていて」


そうして少女の手をゆっくりと引き離す。


「気を付けてな。」


 ダリンの言葉に頷くとシオンは音も立てずに馬車の外に出る。丁度そこに先ほどの護衛が戻ってきた。




 シオンが声を掛けると、護衛は驚いて立ち止まる。


「何をしている。馬車に戻れ。」


「手を貸そう。こういう事態は初めてじゃ無い。役に立てると思う。」


 男は迷った様相を見せたがシオンの風貌を見直すと頷いた。


「本当は良くないが・・・頼む」


 シオンは頷く。




「俺の名前はシオンだ」


「エルドだ」


「状況は?」


「前方にコボルトの集団がいる。30匹ほどだ。その他にキャラバンの後ろに回り込もうとしている群れを見つけたんだが見失った。こちらも手練れが9人で対応しているから正面衝突なら問題無い数だが、囲まれると厄介だ。そちらを何とかしたいんだ。」


「判った。その群れはこちらでも確認した。草むらに隠れてゆっくりと移動しているようだ。」


そう言うと、シオンは遠くで揺れる草むらを指差す。


 エルドは感嘆の声をあげる。


「そこまで把握しているのか。」


「俺はあの群れの先頭に奇襲を掛けて前方に押しやるから、後は頼む。」


「1人で大丈夫か?」


「問題無い。あの手合いはこれで簡単に混乱する」


 シオンはそう言うと、短弓を取り出して見せる。


「後は頃合いを見計らって、各馬車から松明を辺りの草むらに投げ込んで貰って大騒ぎさせてくれ。それで奴らは退散していくと思う。」


 エルドは頷くとまた各馬車に向かい走っていく。




 そのやり取りを馬車から聞いていたルーシーが心配気な表情で


「頑張って」


 と小さく言葉を掛けてくる。


 シオンは笑って頷くと彼自身も草むらに身を隠していく。




 そして短弓を引き絞ると動く草むらに狙いを定めて矢を打ち込んだ。


「!!!」


 声にならない悲鳴が上がり草むらの揺れが治まる。


 シオンは立て続けにその他の揺れる草むらにも矢を打ち込んでいくと、今度は短い悲鳴が次々と挙がり堪らずに草むらから飛び出した数匹のコボルト達が前方に走って逃げていく。瞬間、シオンは長剣を引き抜いて自らも草むらから飛び出しコボルト達を追い立てていく。




 同時に各馬車から松明が投げ込まれ、乗客達が大声で騒ぎ始める。


 前方で護衛達を襲撃していたコボルト達からすると思わぬ反撃だったに違いない。護衛達の反撃だけで無く、各馬車からも一斉に盛大な威嚇が始まったのだから。


 コボルト達は大混乱を起こし、護衛達に次々と打ち倒されていった。


 シオンに追い立てられていたコボルト達はその光景を見ると走る方向を変え、這々の体で平原の奥の森に向かって逃げていく。




 戦闘はあっさりと終結した。




「助かったよ。あの僅かな時間で索敵・作戦立案・実行までしてしまう手並みは大したものだった。」


 エルドは破顔してシオンの手を握る。


「いや、作戦という程の物でも無い。それに30匹もの大群を受け止め続けたあんた達の戦力があってこその勝利だ」


 シオンは照れ笑いを浮かべながら本音を伝える。


 護衛10人からの協力に対する礼を受けるとシオンは馬車に戻った。




 シオンが馬車に戻ると、馬車内は歓呼の叫びで満たされた。全員、シオンの活躍を見ていたようだった。


 口々にシオンの働きを称える言葉が降り注ぎ、シオンは苦笑しながらそれに返す。


 ダリンが興奮してシオンの肩を叩く。


「名ばかりの冒険者が多い中、あんたは本当に強いな。大したもんだ。ナル芋を全部やろう」


 そう言って革袋をシオンに押し渡す。


 ルーシーは双眸を輝かせて


「すごくかっこ良かった。」


 と言うと頬をほんのりと桃色に染め上げた。




 兎に角も大騒ぎであった。やがて安全の確認が取れるとキャラバンは再び前進を始める。




 もうすぐセルディナに着く。


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