第48話



 翌日、仕事に行くのが憂鬱でしょうがなかった。


 レーラに続き、あの両親、そしてジェイさんと軍憲兵までもが昨日一日でこの小さな村に現れたのだ。きっと物見高いご老人がたが私に事情を聞こうと役場で待ち構えているに違いない。

 また質問攻めにされるのかと思うと憂鬱だった。


 それに、この北の地方では家長制度が根強く、どちらかというと父の『子は親に従うもの』という考えを持っている人が多そうで、ともすれば私が非難される可能性もある。適当に受け流せばいいだけなのだが、精神的にすごく消耗しているので、昨日の今日でそれは辛い。

 ジローさんは『休んじまえ~』と何度も言ってきたが、昨日仕事も放りっぱなしできてしまったし、村長にも迷惑を掛けた。今日までずる休みをするわけにいかない。


 重い足取りで役場前に着くと、意外なことにそこにはいつも通り村長がちょこんといつもの机に座っているだけだった。


「おはようございます……?あの……昨日はお騒がせしてすみませんでした。今日は、誰もいらしてないんですか?私てっきり……」


「あぁ、ディアちゃんおはようさん。野次馬しに来るなって昨日みんなにはくぎ刺しておいたからねえ。昨日大変だったんだろ?休んでもよかったのによう。以前話してくれたディアちゃんの両親が来たんだろ?あの後憲兵さんまで来たから何事かと思ったんだけど、憲兵さんはわざわざ役場に事情を説明しに来てくれたんだよ。じいさんたちは興味津々だったけど、事情は話せないし訊ねてもいけないって言って黙らせてくれたんだよ。ああ、それでコレ、ディアちゃんにって手紙置いていったよ」


 糊付けされていない封筒には、憲兵さんから昨日の件で『補足として』と前置きが書かれた手紙が入っていた。


 “あなたの両親はすでに横領や詐欺で複数の裁判が控えています。全ての裁判が結審するまでにも一年以上かかりますし、おそらく有罪は確定でしょうから、再びそちらに赴くことはないでしょうからご安心を”


 あのあと、わざわざ村役場にまたよってこの手紙を託してくれたのか。なんて親切な人なんだろう。追記として、彼の名前と軍警察での所属と宛先が書いてあって、『裁判の進捗が知りたければこちらへ』とあった。


 見ず知らずの人なのに、扉の外で私と両親のやり取りを聞いて大体の事情を察してこのような手紙を残してくれたようだった。


(でも、場合によっては、私も町に召喚されるかもしれない……)



 手紙を見つめながら思索に耽っていると、不意に肩を叩かれて慌てて顔を上げた。すると、すぐそばにクラトさんが困り顔で立っていた。


「ごめん、何度か声を掛けたんだけど気付かないみたいだったから。昨日は大変だったようだね。力になれなくて申し訳なかった」


「いえ、こちらこそ、昨日は荷下ろしの邪魔になってしまってごめんなさい。あれ?今日ラウは一緒じゃないんですか?」


「あー……アイツから昨日のあらましを聞いたんだけどね……なんか相当落ち込んでいるみたいで、今日は使い物にならないから置いてきた」


「ああ……まぁ……」


 レーラとの軽い火遊びのつもりが、私の父の思惑に乗せられていただけなんて、いろんな意味で自尊心が傷つけられたのだろう。まあ事の発端がラウで自業自得なのだからとことん落ち込めばいい。

 とはいえクラトさんに迷惑をかけるのはどうかと思う……。

 そんな気持ちが顔に出ていたのか、クラトさんはちょっとためらいがちにこう言った。


「ラウ、自分が騙されていたからとかじゃなくて、自己嫌悪で落ち込んでいるみたいだ。なんにも見えていない馬鹿だったって、昨日帰ってきてから相当落ち込んでいた。ディアさんにも申し訳ないことしていたって言ってたよ。さすがに会わせる顔がないから、町に帰る決心をしたみたいだよ。

 昨日ラウに、『ディアに謝りたいけど、むしろ迷惑ですかね?』て相談されてな。その場では、そうだなって言ったんだけど、一応ディアさんに聞いてみようと思ったんだ。

 どうする?別に許す許さないじゃなくて、アイツに謝罪の機会をやるか、ちょっと考えてみてくれないか?」


 ラウが帰る気になったと聞いてちょっと驚いた。

 私を連れ帰らないと家に入れてもらえないと言っていたが、それでも帰る決心をしたのは昨日の話がそれほど衝撃だったのか。それにしてもクラトさんはこの冬でかなりラウと打ち解けたのだなと、彼がラウのことを話す様子で思った。


「そうですね、昨日はラウの言葉に助けられたこともあったので……帰るのなら最後に会いますよ。それにしても、そんな風に世話を焼くなんて、クラトさんはずいぶんラウと仲良くなったんですね」


「まあなあ、どうしようもない奴だけど、俺からみたらまだガキだしね。俺も昔は兄貴に色々助けてもらった記憶があるからなあ。アイツが反省するなら、更生できるよう導くのが年長者の役目かと思ってな」


「クラトさん、お兄さんいたんですね。ラウには、帰る時には見送るから出立日を教えてとお伝えください」


「そうか、伝えておく。なんだかディアさんはずいぶんとスッキリしたみたいに見えるな。あんなに嫌がっていたラウのことも普通に話しているし、昨日でかなり心境の変化があったみたいだね。いい顔している」


「そうですね……色々あってすっきりしたんで……」



 クラトさんと雑談をしていると、行商が到着したのでクラトさんは荷下ろしのために出て行った。



 昨日のやり残していた仕事を片付けていると、村長が『ちょっと』といって私を応接室へ呼び出したので、昨日のことでまだなにかあるのかと、ちょっとびくびくしながらついて行った。




 そこで聞かされた話は、私にとって驚くものだったが、同時に納得できる内容でもあった。


 村長に『このこと、ジローさんは知っているんですか?』と訊いたところ、そうだと言われたので、そのことをジローさんの口からきけなかったことに少しだけ傷ついた。


 この話を踏まえたうえで、今後私はどうしたいかを村長に聞かれ、その場で答えることができず、私は『ちょっと時間をください』と言ってこの場を後にした。



 話してくれてもよかったのに……とちょっとだけジローさんに対して恨みがましい気持ちになったが、もしかしたらあちらから話してくれるかもしれないと思い、しばらくこの件に関しては考えないようにした。




 ***



 それから数日が経った頃、クラトさんが私を呼び出して、『明日ラウが帰る』と教えてくれた。


 村のご老人がたに教えるとうるさいことを言われそうなので、事後報告にして早朝に出発するとのことだった。

 私はジローさんと相談して、一緒にクラトさんの家まで見送りに行くことにした。


 来た時と同じ格好で荷馬車の前に立つラウを見て、彼が来た時のことを思い出してなんだか不思議な気持ちになった。

 あれだけ顔も見たくないと憎くてしょうがなかった相手だが、いつの間にかラウを見てもなにも思わなくなっていた。

 あんなにつらかったのに、いつの間にか私のなかで過去のことになっていることに気がついて自分でも驚いた。


(ジローさんのおかげだなあ……)


 ちょっと見ないあいだに、ずいぶんとやつれてしまったラウが私の顔を見て気まずそうに目を逸らしながら私に挨拶をしてきた。


「おはよう、ディア。あの、さ……出発前に少しだけ、話できないか?」


「おはよう、ラウ。ようやく町に帰るのね。話するのはいいけど……私は町に帰らないわよ?お義母さんは大丈夫なの?」


「あ、ああ……まあ……ディアが一緒じゃなきゃ帰ってくんなと言われてるけどな……母さんには謝ってなんとか許してもらうよ。

 つーか、ディア……謝って済むことじゃないけど…………ごめん。俺、どんだけ馬鹿だったのか、この前のことで嫌というほど分かった。ディアが親から酷い扱いを受けていたのとかも、俺、子どもの頃からお前と一緒にいたのに、気付かなくて……ごめん。レーラとのこともさ……馬鹿で……どうしようもないよな。

 俺、町にいた頃、なんでも自分の思い通りになったし、できないことなんてなかったし、なんか自分が人よりも優れたすげえ人間みたいに錯覚していたんだ。

 ここにきて、クラトさんと一緒に仕事させてもらうようになって、どれだけ自分を買いかぶっていたか、嫌って程思い知らされて、ようやく物事を客観的にみられるようになったと思うんだ。

 驕り高ぶった勘違い野郎だったよな、俺。ディアにもすげえ迷惑かけた」


「えええ?ど、どうしたの?謙虚なラウなんて、ラウじゃないみたい」


「そういうこと言うなよ……まあ、だから……クラトさんにも言われたんだ。本当にディアに申し訳ないと思うなら、逃げてないで、やらかしたことの始末をつけに町に帰って関係各所に謝罪してこいって。ホント、その通りだよな。母さんは、とにかくディアに頭下げて帰ってきてもらえってその一点張りだったけど、それってあの親父さんと同じことしてるじゃんって気づいて、あの後からすっげえ反省したんだ。

 だからもう一緒に帰ってくれなんて言わねーよ。……今まで困らせてごめん。もう村に来ることもないから、元気でな……」


 そう言うとラウはようやく顔をあげ、少しだけ潤んだ瞳で私をまっすぐ見た。


「分かった。じゃあ道中気を付けて。


「あ、ああ」


 じゃあね、と言って話を切り上げようとすると、ラウは拍子抜けしたような顔をしていたが、クラトさんに『もういいだろ』と言われて、諦めたように荷馬車に向かった。





 私も踵を返してジローさんと家に戻ろうとした時、『ちょっと待ってくれ!』と再びラウが声を掛けてきた。


「あのさ!ディア、本当にもう、俺とは……ほんの少しの可能性もないか?仕事仲間でも……友達、とかでもさ!」


「えっ?ない。ないない。ラウとは友達にもなれる気がしないわ」


 意外な問いかけだったので、思わず言葉を選ばずに答えてしまった。するとラウは、『ない……のか……』と絶望した表情でつぶやいて、がっくりと肩を落とした。


 そしてラウはクラトさんに頭を叩かれて、しおしおと荷馬車に乗って村を出て行った。


「友達にもなれる気がしないは言い方悪かったかしら……」


「いいやァ。最高の返しだと思うぜぇ?これでディアさんがエロ君に欠片も興味がねーってことがよく分かっただろ。いやーあのお坊ちゃんのベソ顔最高だったわー」


 言われてみれば、ラウを見ても腹が立たなくなった。別にラウの事を許したとかではなく、気付けばあまりラウに対してなんの感情も湧いてこなくなったような気がする。

 あんなに好きで、だからこそ憎くて、ラウに対する感情を持て余していたのに、いつの間に私はラウの事がどうでもよくなっていた。


 逆にラウは、私が婚約者だった頃は私になんの興味もなさそうだったのに、どうしてか離れてからのほうが執着してきた。


 人の感情とは不思議なものだな、とちょっと他人事のように思って、元婚約者に対する執着を私はすっかり捨てられたのだと実感して嬉しくなった。


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