第5話 映像で見る「鞘に入っている刀と抜き身の太刀」
映像で見る「鞘に入っている刀と抜き身の太刀」
2020年 第65回 全日本学生拳法選手権大会(男子)【明治大学VS関西大学戦で私は、木村氏と小森氏という「ギラギラしたよく切れる太刀でありながら、きっちりと鞘に収まっている」2本の太刀を見ました。
「ギラギラしながらも鞘に入っている」或いは、「鞘に入りながらも、ギラついたエネルギーを失わない」からこそ、彼らの拳法は芸術になり得たのでしょう。
「ギラギラした心」即ち、ハングリーで闘争的で前向きな、ガッツあふれる心というのは、日本拳法という、現実に殴りあう環境にいれば、誰でも持っているものです。
殴られるというのは屈辱的であり、頭にくる。
逆に相手を(合法的に試合で)殴るというのは、ゲームで勝つようなもので、心がすっきりして気持ちがいい。なにしろ、どれだけ人をぶん殴っても、校長室で反省文を書かされたりしない。逆に、誉められて表彰状やトロフィーまでもらえるのですから。
誰しも地獄よりも天国を求めますが、めったやたらと一方的に人を殴っていれば気持ちがいいというわけではない。そんなものは警察の機動隊の話。
大学日本拳法の道にある者であれば、どんなシチュエーションでも、誰と何回やっても同じ結果(天国)が出せるようになりたい。そこで、自分の日本拳法を科学し、ひいては、日本拳法で確立した科学(的手法)を、卒業後のビジネスや、プライベートにも適用したい、となるでしょう。
明治のお二人とは、何時でも何処でも誰とでも、何回やっても同じ結果が出せるように、自分を科学しようというギラギラした心(向上心)の塊でありながら、そのプロセスを組織の中で、集団・社会の中で鍛えてきた。
深い山の中に独りで籠り、修行したわけではない。あるいは、辻斬りの如く、夜な夜な暗い夜道で人を襲って鍛えたのでもない。
「明治大学日本拳法部」という看板を背負い、様々なオープン・ソサエティーの中で、後輩・同期・マネ・OB諸先達という衆人環視の中で、個人的な特異性を追及し科学し、それを普遍的な原理にする努力をしてきたのでしょう。
お二人の場合、一人は知性的、一人は理性的なアプローチによって再現性を確保(自分を科学する)しようとするように見えます。
日本拳法を知性拳法と理性拳法という視点で観るのも一つの楽しみ方です。 → ③ 知性の拳法と理性の拳法
「鞘」とは何か。
百聞は一見にしかず。実際の映像で見れば、わかりやすい。
○ 2019 全日本学生拳法個人選手権大会 男子の部 決勝戦
木村VS冨永
https://www.youtube.com/watch?v=M7ljTXhmy-Y
○ 2019全日本拳法男子個人決勝戦 木村柊也(明治大学)vs芳賀ビラル海(白門拳法会)
https://www.youtube.com/watch?v=ek2PBmeie8E
拳法のスタイル・態度は一人ひとり違うもの。
個性ですから、いい悪いはありません。
しかし、ここで注目したいのは、拳法をやる姿勢。
求めるものは勝利か、道なのか。それがその人の拳法に表れる。
○ 2020 日本拳法 全日本学生拳法選手権大会(男子) 準決勝戦
明治大学VS大阪商業大学 2020/12/10
9分~12分頃
https://www.youtube.com/watch?v=YL8Ml9imxTQ
天下の明治のキャプテンが、こんな負け方をするとは !
この準決勝戦の負け方と、この試合の後の決勝戦における、あの芸術的な勝ち方とは、どうつながるのか。
それにしても、さすが鞘に入った男。場外注意二回(+面突き一本)で負けても、礼儀正しく爽やかです。惨めったらしさ、がない。(小森氏が得意の蹴りを本気で出さなかったのが、くさいのですが。)
あまりにあっけらかんとした負け方だったので、世界史で習った「1815年ワーテルローの戦い」におけるプロイセン軍を想起してしまいました。
→ プロイセン軍(参謀本部指揮)は、リニーの戦い(6月16日)で、ナポレオン率いるフランス軍に(あっさりと)負けて退却し、ぎりぎりの距離を保って仏軍の後を追いながら、機を窺います。
そして、6月18日のワーテルローにおける決(勝)戦では、切り札としてベストタイミングに戦場へ登場し、フランス軍を壊滅させたのです。
「プロイセン軍の戦場への到着」は決して偶然ではなく、ドイツ参謀本部で教育を受けた将校(幹部)たちの統率力、そして、英蘭軍との絶妙な連携という「頭脳プレー」であったとしています。 → 渡辺昇一 中公新書「ドイツ参謀本部」
○ 2017全日本学生拳法個人選手権大会(女子)
女子の部準決勝戦 岡崎VS谷
https://www.youtube.com/watch?v=O7kumnslLns
試合開始、13秒あたり。
主審の「場外」の声で、戦いをやめた瞬間、谷さん中段の構え・決めのポーズ。
この場面で、この気合い、この形。
これこそ「本当にいい刀は鞘に入っている」という箴言を現実に見せてくれています。
大学から日本拳法を始めた私など及ばない、20年の年季が入った構えは、その姿形を超えて、彼女の強烈な精神の表象であるとさえ言えるでしょう。
あまりにも存在感のある構えでありながら、「構えを超えた構え」であるが故に、その姿形ではなく、強烈な精神力を目にしているかのようだ。これこそ、武蔵が言った「構えはありて構えはなし」の境地・境涯。
姿かたちとその内面の一体化。これこそ「器と道の一致」であり、ここにこそ、真実を見たという本当の安心感が生まれるのです。
また、この方は勝っても負けても礼儀正しく、どんなに疲れていてもすぐに起き上がり、相手を待たせることがありません。謙虚で無駄のない美しい姿勢(立っても、蹲踞(そんきょ)でも、歩いているときも、背筋が伸びている)を崩しません。
リビング・バイ・日本拳法。日本拳法という鞘に毎日の生活と人生がきっちり収まっているのでしょう。
○ 日本拳法第32回大学選抜選手権(男子決勝)
2019/07/02
https://www.youtube.com/watch?v=m4-g1NtwcFk
5分~8分頃
場外注意二回で負けても太々(ふてぶて)しい男 横田氏
「君たち(審判)はそう考えるかもしれないが、私には私の神・私の鞘(自分が信じるもの)がある。法には従うが、自分の信念は曲げない。」
まるで、そう訴えているかのような、彼の潔い、信念に貫かれた毅然とした態度であり、権威や権力に弱い(盲目的に従う)東京人は、刮目(かつもく)すべき姿です。
これぞ、「俗世間という鞘には入っていないが、天地神明という鞘に入った男」の代表、王将名人坂田三吉の心意気。
(娘の玉枝は、父の将棋(将棋を指す態度)をして、関根八段に比べ「鞘に入っていない」と、非難しましたが。お行儀のいい紳士的な態度に安心を感じるか、多少見かけや行儀が悪くても、規格化されていない自由な発想のできる、素の人間に魅力を感じるか。まあ、この辺りは好みの問題ですから、そんなに目くじらを立てることもない。映画の中での話ですし。)
○ ロダン作「考える人」(当初は「詩人」と名づけられていたということからすると、「頭で考えるな、心で見よ」というのがロダンの真意か。)
○ ロダン作「カレーの市民」 → 苦悩する人々
○ 横田氏「腕を組む男」 → 黙して権威(審判)に抗う男
(いやー、ただ単に、疲れて身体が動かなかったのが恥ずかしかったんで、照れ隠しに腕組んでただけなんですよ、なんてことはないだろうね、横田さん。)
因みに、この横田氏は同年(2019年)12月の全日(府立)男子決勝・対明治戦で大将戦に出場し、普通、小柄で機敏な動きをする人がやる「足取り」や、背の高い痩せタイプが行う「面回し」という技で、明治のキャプテンを圧倒しました。
7月の中央大学との決勝戦では、太っちょで動きが鈍いように見えた横田氏ですが、12月には、その「鞘に入っていない」自由な発想と行動力を発揮し、名誉挽回したということになるのでしょうか。
○ 2017日本拳法白虎会優勝大会 一般男子三段以上の部
前川VS冨永
https://www.youtube.com/watch?v=v8bfclzOPtM
アカデミー賞レベルの演技力 → 1;50あたり
対戦相手の前川氏は「あんなんで股関節が痛くなるとは、準備運動不足じゃないの ?」てな感じで、呆れています。
ところが、3分あたり、場外注意を取られた富永氏は、試合再開となるや、今まで死に瀕していた、か弱いウサギが、いきなり獅子か虎に変身したかと思うほどの凶暴さで、前川氏に襲い掛かります。
→ 「五輪書」P.101 「うろめかすといふこと」
しかし、前川氏もガンガン前へ出て、即決即断で問題解決するという理性拳法タイプですから、この手の張ったりに惑わされず、冷静にこれを制します。
富永という人は、ある意味、宮本武蔵的です。
武蔵は「お前の母ちゃんでべそ」的発言で決闘の相手を怒らせて平常心を失わせ、その一瞬の心の歪みを斬り崩して勝つ(こともあった。決して、いつもそうだったわけではない)、なんてことも行い、生涯60数度の戦いに勝ち抜いた男でした。
肉体的な再現性ばかりでなく、心の再現性、即ち心理の探求・心理操作も研究していたのです。
「股関節がイテテ」なんて演技で対戦相手の「心をうろめかせ」、次の瞬間、鬼のように襲い掛かる。武蔵は「戦いとは剣の操作だけではない」と言いましたが、それをこの映像で見たようです。
宮本武蔵という男は、62年の生涯のうち、最後の5年間は肥後熊本藩という「鞘」のなかで過ごしましたが、突如、真冬に洞穴の中にこもって「五輪書」を書いたり、死期を悟ると再び洞窟にこもった死のうとしたりと、最後の最後まで鞘に入ることのない、ギラギラした人生を送った人です。(実際、熊本藩では客分という身分であり、役人・公務員という立場ではなかった。)
武蔵という男は、人間の作った社会や制度・常識という鞘には入らなかったが、天理(天理教とは関係ない)に適った・則した生き方を貫き通したといえるでしょう。
→ 「五輪書」P.36 理性の鍛錬九箇条
→ 「五輪書」P.164 理性の完成三十箇条
鞘に入っていない(型にとらわれない)で戦うという意味からすると、三船敏郎の演じた椿三十郎(ワイルドで桁違いの強さ)に最も近いのは、今回、動画チャネルで見かけた、この方でしょうか。
○ 日本拳法 前川選手紹介動画 レジェンド選手紹介シリーズ第五弾
https://www.youtube.com/watch?v=0iAo6pJRmo0
この方は理性というよりも本能で戦っている感じです。30年くらい前の自衛隊の日本拳法(徒手格闘術)のようです。
このビデオの最後、6連勝の秋葉氏との対戦。
試合場に入る前の、前川氏の準備運動的な仕草が面白い。
「あのデブをボコボコにしてやるぜ!」という、意気込みというか喜びが全身からあふれています。もう、嬉しくて嬉しくてたまらないという様子。
試合場に入るときも駆け足、そして、主審の試合開始の合図と共に走って飛び出していく前川氏。あっという間にボコボコニされて、訳がわからないまま茫然とする秋葉氏。
(しかし、この前川氏、鞘に入っていないように見えて、始めと終わりの礼の時、相手の秋葉氏をよく見て、礼のタイミングを合わせている。非常に美しい礼をされています。大学生できちっとした礼をされているのは、明治の小森氏と木村氏ですが、やはり、強さと美しさは一体です。)
組み打ち専門の「どすこい拳法」は、知性でも理性でもない、力任せと組みの技術でしょう。しかし、前川氏の組みとは、力と技術の裏づけはあるにしても、理性の一環としての「合理的な組み」です。
このビデオを観ると、私の中にある野生の本能というか闘争心が刺激され、じじいの身でありながら、気に食わない奴らをぶちのめしてやろうという気持ちになるので、恐ろしい。
ですから、私はこのビデオを観た後には、中和剤として必ずこちらのビデオを観て、「鞘に入った刀」に自分の心を立ち返らせるようにしています。
○ 2017全日本学生拳法個人選手権大会
女子の部準決勝戦 岡崎VS谷
https://www.youtube.com/watch?v=O7kumnslLns
漫画「ジョジョの奇妙な冒険」(ダイヤモンドは砕けない編)の東方丈介は、一旦、プッツンすると手がつけられない暴れん坊(スタンド名はクレージー・ダイヤモンド)ですが、きちんとした鞘に収まっている(やさしいお母さんのいる暖かい家庭がある)。これがこの主人公の魅力です。
○ 2019 日本拳法 全国大学選抜選手権大会 女子決勝戦 立命館大学VS関西大学
https://www.youtube.com/watch?v=DcKJPMHgpbs
4:00~ 立命館大学 坂本さんの素晴らしい面突きと胴突き(かつて明治大学の主将であった百合草氏の構えと攻撃スタイルがそっくり ?)
○ 自分に向かって打つ女
弓とは自分を射ること。十数メートル先の的(まと)を射るのだが、その的とは自分自身(の心)。自分が自分であることを自覚し・実践し・実証することに、弓を射る目的がある。的は自分の(心)を示す象徴。どこまで自分が自分に成り切れたか。ここに(形而上としての)弓道の意味がある。(とはいっても、第一回国際弓道大会で日本が予選落ちというのは、腑に落ちませんが。)
これが西洋のアーチェリーと日本の弓道の違いでしょう。アーチェリーとはハンティング(狩猟という実用)でありゲームですが、弓道とは道(の追求)。即ち、自分という鞘を求めること。
この動画(試合)を見ると、お二人とも、勝ち負けというよりも「道を求めて止まざるは水なり」、自分の真の鞘を求めて一心不乱に打ち・蹴りを放っているように感じます。
2年生という一番元気のいい時ですから、技巧に走らず、勝負にこだわらず、のびのびと拳法を楽しんでいるということなのでしょうか。
2019年 第32回 日本拳法東日本大学リーグ戦(女子)【明治大学-学連選抜】
https://www.youtube.com/watch?v=zOGwTaiEymM
中堅 △永岡里沙子(明治) 1-1 高橋(立教)試合時間2分間
試合時間2分間のあいだに :
明治・永岡さん → 後拳20本 (前拳無数)
立教・高橋さん → 後蹴り12本+後拳3本 計15本
男子でも、これだけ突きや蹴りを打てる者は、少なくとも大学から日本拳法を始めた者には、いないのではないだろうか。しかも、初心者がよくやる軍鶏のケンカ(ただ、がむしゃらに殴り合う)でもなく、互いにしっかりと自分たちの場を意識し、ギリギリの間合いから適切なタイミングで攻撃を繰り出すという、素晴らしい名勝負を見せてくれました。
永岡さんの素晴らしいところは、ここ一番という時(勝機)の連打。これができる選手というのは、なかなかいないようで、日大の松永さんが、日大らしい火のような激しい攻撃で、永岡さんと同じく、集中砲火ができるタイプだったようです。
→ 2019 日本拳法全国ブロック対抗女子学生団体戦 東日本VS中部日本 2分ごろ 次鋒で出場
https://www.youtube.com/watch?v=qQjURIVS9EQ
松永さんの激しい集中砲火にしても、永岡さんの突きや高橋さんの蹴りにしても、「集中することの美しさ」を実感させてくれます。
松永さんは卒業されたのでしょう。永岡さんは、2019年後半以降お見受けしませんが、何かの事情で大学を辞められたのでしょうか。もしそうであれば、永岡さんと同期の2名がいる明治にとって、大きな損失でした。
麻雀をやろうという時、3人まではすぐに集まるが4人目が見つからない。それと同じで、女子日本拳法で3人目を手に入れるのが、各大学共通の悩みであるようだからです。
もっとも、2名で全国大会3位まで勝ち進んだ2019年の同志社大学女子チームという例もありましたが。
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