【短編集】ひとときの百合を
おおきたつぐみ
第1話 刺繍
紗英が夏休み前に転校をするという話は突然発表された。
勉強ができて、明るくて優しい学級委員長が、遠い北海道に行ってしまうというニュースに、クラスメートたちはざわめいた。
同じ日本とはいえ、海を隔てるほどの遠さに、この先もう会えないんじゃないかと思い、その晩は涙が溢れた。
私は紗英が好き─そう自覚したばっかりだったのに。
2年になって初めて一緒のクラスになった時、紗英はすぐに華やかで目立つ子たちに囲まれるようになったけれど、彼女はその中でもひときわ美しく快活に輝いていて、いつも教室の隅で本を読んでいるだけの私なんて眼中にないと思っていた。
だけどあれは運動会の練習が続いた頃、
「田川さんっていつも率先して後片づけしてくれるよね。ありがとう」
と声をかけてくれた時、どんよりしていた私の世界にまるで光が射したみたいだった。
名前を知っていて、私の行動に気づいていてくれたこと。
大げさだけど、これからも生きていっていいんだと思えたほど嬉しかった。
だから、私は、紗英に感謝の気持ちを込めてお別れのプレゼントをすることにした。
ハンカチにあなたのイニシャル「S」を刺繍する。
裁縫は、小さい頃から祖母に教えてもらった数少ない私の特技だったから、心を込めてひと針ひと針。
Sは、紗英だけのイニシャルじゃなくて。
多分知らないと思うけれど、私のこと、忘れないでという祈りを込めて。
紗英の通学最終日の放課後、彼女へプレゼントや手紙を渡して別れを惜しむ生徒たちが紗英を取り囲んだ。
私はみんなの前で紗英の目さえ見ることもできず、ハンカチをラッピングした包みを押し付けるように渡してその場を離れた。
ありがとうも、さよならも言えずに。
涙をこらえて歩いていると、ポンと肩に手を置かれ、振り向くと笑顔の紗英がいた。
「イニシャル刺繍してくれたんだね、ありがとう園実!」
名前、知っててくれたんだ……。
紗英、ありがとう。大好きだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます