第33話 朝チュン

 チュンチュン。小鳥のさえずりが聞こえる。

 俺は上半身だけ起こして、隣に寝ている桜子先生を見た。

 すーすーと寝息を立てている。――可愛い。


 昨晩、もしあそこで店員さんが止めてくれなければ、俺はあのままキスをしてしまっていただろう。

 怖い目に遭い、恐怖で正常な判断力を失っているところに付け込みキスをしようなど、下劣極まりない行為だ。まったくもって俺は最低な男である。

 俺の愚行をとめてくれた店員さんには、感謝で頭が上がらない。



「んー……おはよう」


 先生が目を覚ました。


「おはようございます桜子」


 ひまりや紫乃を、呼び捨てで呼んでもなんとも思わないが、先生に対しては抵抗感がある。なんとなく、「お前は俺の女だ」と言っているような感じがするのだ。



 俺達は黙々とモーニングを食べると、すぐに駅に向かい電車に乗った。


 電車はガラガラだが、先生はぴったりと俺の隣に座る。なんだかちょっと恥ずかしい。


「ねえ八神君……」

「はい、なんでしょう?」


「昨晩のあれ……私にキスしようとしたの……?」


 心臓がビクンッと跳ねる。



[1、「はい、そうです」]

[2、「キスっていうか、それ以上のこともです」]



 ――よし、潔く散るか。


「はい、そうです」

「そっかぁ……」


 先生はニヤリと笑うと、中指で何度も自分の唇をなぞりだした。それがたまらなく色っぽい。


「すみません……先生が弱っている時に付け込んで……」

「ん……大丈夫。……ねえ、八神君の初めてのキスって、もしかして私?」


 マジかよ……また、とんでもないことを聞いてきたな……一体なんの意図が合って、こんな質問をしてきたんだ?


「ええ、まあ……」

「……そうなんだ。私でごめんね」


「いや、そんなことないですよ。先生でよかったです」

「本当? 嬉しい」


 先生はくすっと笑う。可愛い。


「んー……、誰か他の人とはしてないの……?」

「ええ、まあ……」


「へー、じゃあ私だけなんだ……2人には悪いことしちゃったかなぁ……」


 2人? 誰のことだ? 俺はそのことを先生に尋ねようとしたが、彼女の表情を見て言葉に詰まってしまった。


 桜子先生は、思わずぞっとするような、勝ち誇った笑みを浮かべていたのだ。


 普段のポーカーフェイスはどこにいった? 正直、ちょっと怖いぞ……。




 瑠璃川邸に戻った俺達を3人が出迎える。


「おかえりー! 大変だったわね! アンタの婚約者が、そんなヤバい奴だったなんて知らなかったわ!」

「桜子ちゃん、その筋からの情報なのですが、諒一さんは警察のお世話になったそうです」


 あいつ、リングで倒れたままだったからな。当然連れて行かれるだろう。


「そう……でもきっと、すぐに釈放されるはず」

「だと思います。でもこの一件で彼のキャリアに傷がつくはずです。きっとお父さんは、2人の婚約を白紙に戻すと思います」


 それはいい! 頑張って戦った甲斐があった!



「良かったですね先生」

「私の結婚駄目にしたんだから、責任とってね……?」


 先生は俺の耳に口を近付け、そうささやいてくる。


「……え?」


 先生は小悪魔のような笑みを浮かべると、部屋に入ってしまった。





 それから数時間後。


「しかし、金策はどうしたものか……」


 俺はブツブツとつぶやきながら、交番の前にやって来た。

 指名手配ポスターを確認しにきたのだ。もしかしたら、手配されているかと心配したのである。


「どうやら大丈夫のようだな……ん? こいつは?」


 俺は指名手配ポスターの男に、何か引っ掛かるものを感じた。


土井孝弘どいたかひろ。20年前の殺人事件の犯人か……当時の年齢は53歳。ってことはもうジジイだな……ふむふむ、褒賞金は100万円ねえ……」


 俺はその隣に貼ってある、加齢に応じた予想似顔絵を見た瞬間、交番に飛び込む。


「お巡りさん! 俺、土井孝弘の居場所知ってます!」


 俺は鞄の中から、父上からいただいた森田さんのフィギュアを取り出し、机の上に叩きつけた。




 警察が、父上と母上の勤めるマンションに踏み込んでいくのを、俺は電柱の影から見ていた。


「ワクワクが止まらねえ……」


 きっと土井孝弘は、上着を頭から被って、パトカーまでやって来るのだろう。

 ニュースやドラマでしか見たことがないあのシーンを間近で見られるのだ。大興奮である。



 しかし、それから10分後。


「土井が逃げたぞおおおおおおお!」

「追え! 追ええええええええ!」


 マジかよ!? 殺人犯を逃がすなよ! 俺が人質に取られたらどうすんだっつの!


 その時、マンションの裏から森田のジジイ改め、土井孝弘が道路に飛び出してきた。

 奴は塀を飛び越えようと、よじ登っている。

 マズい! このままだと、警察が到着する前に逃げられてしまう!


「誰か、そいつを捕まえてくれえ!」


 お巡りさんが叫ぶ。



[1、土井孝弘を止める]

[2、その場から逃げ出す]



 まさか、超意地悪なこの呪いが、俺に逃亡を許してくれるとは……!

 ここは即逃亡といきたいところだが、万が一こいつを取り逃がすと、罪もない人に危害が及ぶ恐れがある。やるしかない……!


 俺は鞄の中から、母上からいただいたニコニコ顔の石ころを取り出した。

 そして土井孝弘目掛けて、投げ付ける。


「ぎゃっ!」


 ストラーイク! 石は見事、土井の側頭部に命中した。

 土井は地面に倒れ込む。


「でかしたぞ君! それえい、確保だああああああ!」


 警察官が土井を押さえ込み、手錠をかける。無事確保だ。



 こうして俺は、指名手配犯の報奨金100万円を手に入れた。

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