第708話 お風呂で遭遇

 本当にプールだよ、これ。

 広いし、飛び込み台もあるし、一人用のジャグジー浴槽もあるし、サウナもある。

 湯気が立っているから、もう、温水プールだな。

 そんな風に思いながら、俺は風呂場に足を踏み入れた。

 別に今の俺に脱ぐものもないし、中には誰も居ないだろうから気兼ねなく入れる。

 まずは、汗やら色々な液やらでベタベタになった体を洗い流してえし、サッパリしたい。

 流石にこんな状態で、夜のイベントに参加したら、怪しまれるしな。


「さ~って、サッパリとするか!」


 思えば、一人で風呂に入るのも久しぶりかもな。ハナビやコスモスと入ったり、嫁たちと一緒に入るときもあるし……

 久々、広い湯船でユッタリと……


「……ん、あ……ん……………」


 あら? おやあ? あれ? あれえ? 


「ひっぐ、どうしてまた……私こんなこと……これじゃあ、ただのいけない子だよ……どうしてこんなことに……」


 先客が既に居るようですぞ?

 何だか、風呂の椅子に座って鏡の前で体をゴシゴシと洗っているようだ。大事なことなのでもう一回言うけど、洗っているようだ。

 イジイジと……いや、ゴシゴシと体を洗っている。


「ア……」

「ッ!?」


 その瞬間、俺と先客は完全に目が合って硬直した。

 ペットだった。

 そいつは、一瞬何があったのか分からずに呆然と、俺の足のつま先から頭のてっぺんまでゆっくりと何度か目を往復させ、俺が誰で俺が今どういう格好なのかの理解に数秒かかった。

 そしてそいつは、みるみると顔を紅潮させていき、瞳にウルウルと涙まで溜め、そして……


「き、い、や、い、い、いいい!」

「ま、待て! 待て、ペット! ワザとじゃない! ワザとじゃねえ! 俺はそこまで飢えてねえ! 本当に知らな―――――」

「○×■■ッ、んfくぃおksn!?」

「言葉にならねえのは分かるが、落ち着け!」


 どうなる? 椅子が飛んでくる? シャンプー? 石鹸? 多分手当たり次第に投げられるだろう。俺はそう予想して身構えた。

 だが……


「うっ、ひっぐ……もう……いやあ……ひっぐ、う、ううう」


 ペットは蹲るような体勢で自分の体を隠し、震えて小さく泣いていた。


「……ペット……」

「どうして……ひっぐ、どうして私ばかり……こんな……」


 これはガチの奴だった。一人だったから、タオルで体も全く隠さずに、全裸で『体を洗って』いるところを男に見られたのだ。

 元来大人しい気弱なキャラのペットには耐えられるものじゃない。


「……悪い、ペット……ワザとじゃねーんだ……居るなんて知らなくて……」


 でも、俺は言い訳のようにそう言うことしかできなかった。

 するとペットは蹲りながら……


「うん……分かってるよ……ヴェルトくんは、ワザとそんなことしないって」

「……ペット?」

「だって、あんなに素敵なお姫様たちといつでも……淫らなことできるんだもん……ヴェルトくんは私なんかの裸を見るためにワザワザお風呂に入ったりしないもん……分かってるもん……」


 不貞腐れたようにそう言うペット。だが、言葉の端々から悲しみが感じられる。


「でも……みちゃったでしょ?」

「…………」

「ひっ……ぐ……ぜったい……みたでしょ……なにをしてたかも……み、みたでしょ……」


 バッチリ見てしまった。

 しかし、なんつうか、こういうシーンとバッタリ出くわしたことなんて、未だかつて……いや、思春期に入ったウラがしているのは見たことあったか……。

 でも、あん時は、空気を読んで見なかったことにしたりしたので、こうやって対面してしまうと、イザなんて声をかけていいか分からねえ。

 こういう時……

 選択肢1:えっ? 湯気で見えなかった。

 選択肢2:ウラもよくやるから普通だ。気にすんな。

 選択肢3:誰にも言わねーよ。

 選択肢4:頻度はどれぐらい?

 選択肢5:手伝ってやろうか? 


「ウラもよくやるから普通だ。気にすんな」

「そういう問題じゃないよぉ……っていうか、ヴェルトくん! 結構考える時間あったのに、出てきた慰めがそれってどういうことなの!?」


 なんもフォローになってねえよ、俺のバカ! 何を親指突き立てて笑顔見せてんだよ!

 そして、すまんウラ。こんな最低な旦那でゴメンな……


「ぐす……もういいよ……ヴェルトくん、寒いから早くドアしめて……」

「お、おう……ん?」


 言われて俺は慌ててバスルームの扉を閉めたが、その時思った。

 あれ? 出ていかなくていいのか? 俺。

 俺、今すぐ外に出なくていいのか?

 いや、こいつにバスタオルぐらい……


「こっち見ないで……」

「おう……」


 それなら心配いらない。

 普通、男ってのは、目の前に女の裸とかパンツとかが視界に入った時、「見てはダメ」と言われても、どうしても見てしまう習性がある。

 しかし、今の俺は普通の男じゃない。

 空前絶後の強敵たちとの戦いを終えたばかりの俺は、言ってみれば、大賢者モードだ。

 目の前にペットの裸があろうとも、欠片も興味が沸かない! 

 だからこそ、見るなと言われたら、別に見ない。


「……ねえ、ヴェルトくん……」

「ん?」


 すると、ペットが静かに口を開いた。


「……ヴェルトくん……ちょっと……お話……いい?」


 その時、掠れる様な声で、しかしはっきりとペットの悲痛な雰囲気が入り交じった声が俺に届いた。

 ……ってか、これは話を聞いてやった方がいいパターンか? 


「……ねえ、……教えて……」

「何をだ?」

「ヴェルトくんは……クロニア姫をどうやって諦められたの? どうやって次の恋に進めたの?」


 こいついきなり何を……


「事情は私もよく分からないよ? でも、姫様たちのお話を聞いていると、ヴェルトくんがクロニア姫に特別な想いを向けていたのは分かるよ……そんな人を諦めて……他の人と結婚できたのは……なんで?」


 この流れの中でどうしてそういうことを聞いてくるのか分からなかった。

 しかし、次のペットの言葉は……


「好きだった人を諦めるのは……どうやったら……できるの? 私……もう……くるしいよ……もう、だめだよ……」


 何となくだが、その真意が分かったような気がした。



「別に、俺はクロニアを諦めたからフォルナたちと結婚したわけじゃねえ。そんないい加減じゃねえよ。フォルナたちと結婚したのは、ちゃんとフォルナたちを愛しいと思ったから結婚したんだ」


「………でも……」


「まあ、オリヴィアとかはどーなんだと聞かれたら言葉もねえが……少なくとも、そういうんじゃねえ。それに、俺は確かにクロニアに……神乃美奈に恋をしていたが……諦めたわけでも失恋したわけでもなく、一つの決着をつけられたからなんだよ」


「カミノ……ミナ?」



 ペットの真意は分かった。

 そして、だからこそ、この質問は適当に誤魔化しちゃいけないだろうというのは分かった。

 だから、俺は話した。



「タイラーが死んだときに少し話したろ? 俺には前世の記憶があり、前世ではまるで文化も歴史も世界観も違う世界で育ち、そして死んだ。気づけばエルファーシア王国で生まれ変わり、ある日を境にその時の記憶がよみがえった。アルーシャもアルテアも、キシンとかジャックとか、その他の奴らも同じクラスメートだった。そして、クロニアも、神乃美奈という名前で、俺のクラスメートだった」


「あっ……そういえば……」



 ペットも思い出したようだ。

 あの時、正直、状況的には誰もそのことについてそれ以上のことを聞いてこなかった。

 そして、戦争が終わっても、そのことを誰も聞いてこなかった。

 だから、俺ももう話すことはなかった話だ。


「俺が前世で死んだとき……同時に目の前で一人の女も死んだ。そのことを思い出してからはずっと後悔ばかりだった。何もできなかった。何も言えなかった。何も伝えられなかった。後悔だけが残った……だからこそ、その未練をずっと断ち切れなかった」


 フォルナやウラの想いに対してもずっと向き合ってやれなかったのもそれが理由だった。


「いつしか、自分と同じように生まれ変わっている彼女を探し出し、前世の分もあいつに何かしてやりたい。言いたかった言葉を言いたい。伝えられなかったことを伝えたい。それが、俺の人生の目標であり、生きる意味となっていた。そして、最終決戦の時に、見事あいつと再会できて……そして全部伝えられた……そこで、決着を付けられたんだ」


 俺がペットに伝えたいこと。

 それは、俺がクロニアを諦めてフォルナたちと結婚したわけじゃない。

 クロニアよりフォルナたちが好きになったから結婚したというわけでもない。

 クロニアとの決着を付けられた。

 フォルナたちは、クロニアがどうとか関係なく、あいつら自身と向き合って、そして関係を進めた。


「好きだった女を諦めて他の女と結婚したんじゃない。好きだった女と決着を付けられたからこそ、俺は前に進めたんだ」


 そして、俺の言葉をペットは黙って聞き、そして……


「じゃあ、私も……決着を付けたら……次の恋に……前に進めるのかな?」


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