第288話 七つの微罪
どんな生意気な言葉もまるで思いつかないほど、圧倒的な死と滅亡に、俺は抗うことを一瞬忘れてしまった。
そう、あと一歩遅れていたら……
「グラス・サザンクロス!」
巨大な海の壁が一瞬で凍りつき、十字に割れて砕け散った。
海が一瞬で氷山へと変貌したことにより、体感温度も急激に下がり、思わず吐いた息が凍りつきそうになった。
「はあ、はあ、はあ、はあ……魔力がごっそりと……危なかったわ……」
アルーシャか! だが、マジで助かった。ダンガムが遥か上空を見上げるほどの壁。
そもそも、もし、アルーシャが海を凍らせなかったら、どうなっていた?
この国の土地だって、甚大な被害を受けていたはずじゃねえのか?
いや、土地なんてどうでもいいのかもしれねえ。だって、この国にあるのは死体ばっかなんだから。
「ひゃ~~~、い、今のは、パナイヤバかったね……」
「び、びび、った~……」
思わず腰が抜けたような声が聞こえてくるが気持ちは分かる。
俺ですら、一瞬ヤバかったからな。
「パ、パッパ~、マッマ~……………」
「大丈夫よ、コスモス。みんなであんな怖いのは、ちょいちょいと倒してあげるから」
怖がって震えるコスモスをあやすエルジェラも、表情はこわばっているのがよく分かる。
だが、俺たちはまだ分かっていなかった。
これは、ほんの序章にしか過ぎねえってことを。
『おお、すまない、言い忘れていたよ。葬儀屋』
「あっ?」
『貴様の葬儀は、団体での予約は可能か?』
その時だった。
『お前たち、逃げるんだ! ネフェルティ、やめろ!』
ウラの悲痛な叫びと同時に、ダンガムの死角となる真横から強烈な衝撃が発生。
機体は大きく揺られ、俺たちは訳も分からないまま、解放されたハッチから外へと放り出されてしまった。
―――えっ?
「エルジェラ! コスモスを!」
「大丈夫です!」
咄嗟に叫んだが、翼を羽ばたかせたエルジェラは既にコスモスを抱きかかえていた。
「ふわふわ
そして俺は投げ出され、空を飛べない仲間たちを全員浮遊させ、落下を防いだ。
「ひは、パナ~!」
「助かったよ、お兄ちゃ……ッ!」
「ヴェルトくん、後ろだゾウ!」
助かった? いや、最悪だった。
そして、断じて言うが、これは油断なんかじゃない。
目の前にリヴァイア何とかなんて怪物が現れて、それに注目するなという方が難しい。
まさか、ダンガムに突進してくる巨大生物がもう一体、死角から出てくるとは思わなかった。
「な、なんやこいつは!」
「鳥人……いや!?」
誰もがゾッとした。
現れた生物の身の丈は五メートルほどと、ダンガムよりは小さいものの、そのパワー。そして、巨大な翼と鉤爪。
人型の姿ではあるものの、カラスのような頭部をして、その異形の形態は鳥人族に近い。
では、なぜ、『鳥人族』ではなく、『鳥人族に近い』生物という言葉になるのか。
それは……
「かか、顔が、顔が二つあるであります!」
「き、気持ち悪い……」
そう、頭部が二つ。
上半身を羽毛に包まれ、二本の足と二本の腕と二つの翼。しかし、なぜか頭部が二つというこの異常。
その異常に、カー君は声を震わせていた。
「七つの大罪……強欲のマモン?」
やめてくれ。なんかもー、スゲー有名そうじゃねえかよ。
「バカな、七つの大罪が、なぜ二つも!」
「なんなんだ、クルァッ!」
「ひはははは、パナイパナイ。七大魔王や四獅天亜人という言葉がまだ無かった、遥か昔の頃、神族大陸を守護した幻獣族……七幻神!」
「なにそれ! 御伽話? でも、マジっぽくてマジ勘弁なんだけど!」
「ヒュウ、久しぶりだな。ミーの胸がざわつくのは」
一つ分かることといえば、この怪物もまた、死んだような目をしているということだけ。
つまり、死体だ。こいつも操作されている。
いや……こいつ……じゃない!
こいつら……!
「ッ、アカン! 上やッ!」
この期に及んで、上からも?
見上げたそこには、身も毛もよだつような、奇怪な生物。
不快な羽音を立てて、トンボのように巨大な目に、膨らんだ胴体、いくつもの足、そして全てを丸呑みに出来そうなその巨大な口。
その巨大な羽を大きく羽ばたかせた瞬間、宙に浮いていた俺たちはコントロール不能になり、一斉に、そしてバラバラに吹き飛ばされてしまった。
『暴食のベルゼブブだ……ふははははは、光栄に思え。近い将来の戦のための試運転だ……』
全てがほんの一瞬の出来事だった。
コスモスは? みんなは? 意気揚々と敵地に乗り込もうとした瞬間、不意を突かれて俺たちは飛び散った。
『七つの大罪の生前は、今で言う、我ら七大魔王や四獅天亜人と同等だ……その罪の重みを堪能するが良い』
目も開けられないほど勢いよく飛ばされ、俺は今どこの空を漂っている?
魔法で体を止めようとしても、ブレーキが聞かねえ。海? 陸? 森? コスモスは?
飛び散る寸前に、エルジェラがしっかり抱きかかえているのだけは見えたが、どうなった?
「ぐはっが!」
体が何かに叩きつけられた。
軋む体が、暫らく思うように動かず、起き上がることができない。
目が痒い。俺は一体?
「ッ……これは……ッ!」
思わず何かを掴んで握り締めると、それは、サラサラのパウダー状の砂だった。
感覚が戻ってくると、自分がうつ伏せになって倒れている場所が、暖かく、そしてゴワゴワしているのが分かった。
ようやく目を開けて辺りを見渡すと、そこは一面が砂の世界となっていた。
「さ……砂漠?」
海にいたはずの俺は、気づけば砂漠まで飛ばされていたようだ。
他のみんなは? やべ、バラけたか?
「コスモス! エルジェラ! みんな、いるかっ!」
大声で叫んでみたか、静まり返って、誰もなにも返してこない。
やばいな、はぐれちまった。
みんなは大丈夫か? いや、あのメンツなら死ぬとは思えねえけど。
でも、コスモスは? 一応エルジェラが……いや~、でも泣いてるかも……
『どうした? 葬儀屋は店じまいか?』
その時、俺の目の前に再びホログラムが現れた。
それは、先程のような空を覆い尽くすほど巨大なものではなく、俺のサイズに合わせたかのように目の前にフラッと現れた。
「コノやろ、めんどーなことしてくれやがって」
『ふっ、しかし流石だな。バラバラに飛ばしたが、どうやら誰も死んでいないようだな』
「あたりめーだ」
『しかし、本当に生と死の狭間を体験するのは、これからだがな』
まるで、全てが自分の手のひらの上の出来事かのように語るネフェルティ。
すると、ネフェルティが手を空に向けて掲げると、天に黒い点が現れ、それが徐々に視界いっぱいに広がるほど大きくなり、ついには砂漠の砂を大きく舞い上がらせて、何かが落ちてきた。
「ッ、な、なんじゃこりゃ!」
一目でわかる、異業種。恐らく魔族に近いが、種族が分からねえ。
全身が紺色の肌に、体毛に覆われた両足と、肌がむき出しになったイカついガタイ。
魔女のようにトンガった鼻に、仙人のような怪しい髭。
そして、悪魔の細長い尻尾に、羊のような角。
何故か、巨大な石柱と共に落下し、その石柱から座ったまま一歩も動こうとしない。
『七つの大罪。怠惰のベルフェゴールだ……さあ、一人になったが、それでも弔ってやることができるかな?』
おいおいおいおい、何人居るんだよ。いや、七つのなんたらだから、七人か?
「随分とまあ、珍しいもんばっか掘り当ててんじゃねえかよ。この国は、墓荒らしの国か? 七大魔王国家最弱って聞いてたわりには、怖そうなもん持ってるじゃねえか」
『いや、余も最近手に入れただけだ。とある幻獣人族からの貢ぎ物でな』
「なに?」
『ふははははは、もうじき世界は気づく。我々魔族が……魔族こそが、世界を征服するに足る器であるとな!』
映像越しだけど、伝わってくるものがある。
拳を強く握りしめて、その言葉には強い野心が煮えたぎっている。
ただの、ウラを奪おうとする小物野郎じゃない。
こいつは、もっとデカイ何かを見ている奴だ。
『ふはははは、まあ、お前には関係のないことだ。明日の夜には余とウラの結婚式を執り行う。もしお前がそれでも本気だというのなら、生と死の狭間を乗り越えて、余の前に現れることだな』
こいつは世界をも獲ろうとしている。
その方法や、どういった形で獲ろうとしているかは分からねえ。
だが、こいつの言うとおり、今の時点ではそのことは俺には関係ねえ。
今、俺が優先すべきは一つしかねえからだ。
「生と死の狭間? 笑わせんな。一度も死んだこともない奴が、俺に、そして俺たちに死を語るんじゃねえよ」
『ほほう。お前の仲間も、他の我が配下たちと遊んでいる。すぐに合流することなど不可能。お前一人で七つの大罪を乗り越え、砂漠を越え、余の前まで現れると申すか』
「何が七つの大罪だ。嫉妬だ強欲だ暴食だ怠惰だ、そんなの生きてりゃ日常茶飯事だ。微罪だぜ。お前らの最大の罪は、俺から家族を勝手に奪い取ろうとした挙句、今もこうして立ちはだかることだ。大罪だ、重罪だ、極刑に値するぜ、覚えとけ!」
だからすぐに行ってやるよ、お望み通りな。
「どーせ、皆も目的地同じなんだから、後で会える。それだけだ。だから、さっさとかかってこいよ、コラァ!」
俺は両手を広げ、自分をさらけ出し、己を奮い立たせるように叫んだ。
胸の奥から熱くたぎってくる。
負けねえ。負けられねえ。ぶっ倒す! ぶん殴る! 連れ戻す!
たとえ、今は一人でも……
『ん? 運が良いな。どうやら、一人ではないようだぞ?』
「なに?」
その時、離れた場所の砂の中から、誰かが起き上がったのが分かった。
全身に被った砂を払い落とすかのように体を振るのは、きっと仲間だ。
俺の唇は、意図せず笑みを浮かべている。
なんと起き上がったのは、一人じゃない。二人だ。
どうやら、二人は俺の近くに飛ばされたようだ。
ホッとしたぜ。
あれほど頼もしい仲間たちだ。
たとえ、誰が居たとしても、心強いことこの上…………
「ぺっぺっー、おえ。砂だらけじゃん! モー最悪、髪もボサボサだし、あー、つけマツゲ、どっかいったー!」
「この可愛い私が砂だらけになるなど……ゴミ、死体、そして今度は砂か……イライラする……」
アルテアとユズリハだった…………
「うおー、ヴェルトじゃん! 生きてたー、いやーよかっ……って、うお、なにそいつ!」
「ゴミッ……ちっ。生きてたか……しかし、なんだ、その後ろのキモイのは」
せめて……カー君かキシンのどっちかが良かった…………
「チェンジで」
「はっ?」
「あ゛? ゴミ、どういうことだ?」
よりにもよって、こいつらかよ!
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