第244話 トラウマ

 俺は先生に頭が上がらねえ。国王様には頭が下がる。

 それなら、この人は? 逆らえねえが正解か?

 あまりにも久しぶりに会いすぎて、思わず昔を思い出しちまった。

 あれは、俺がまだ前世の記憶を思い出してない頃。

 七歳ぐらいだったころ。

 この人が、まだ遠征で何年も国から離れていなかった頃だ。


『なあ、女王様……親父とおふくろ留守だけど何の用?』


 麦畑にある質素な木造立ての一軒家には絶対に似つかわしくないゴージャス衣装の女王様にそう言った瞬間、俺は頬を引っぱたかれた記憶がある。


『ふぐ、い、いたい! なにするんだよ!』


 涙目で睨み返した俺を「ゴゴゴゴ」と威圧感を醸し出しながら、あの人は言った。


『この愚婿。私のことはママと呼びなさいと言ったじゃないかい』

『ちげーよー! 俺のおふくろはおふくろだから、ママはママじゃねえよ!』


 その瞬間、今度は反対側の頬を引っぱたかれた。


『聞き分けのない子だね~。あんたは数年後には私の愚娘と結婚して正式に息子になるんだ。今から言ったって、問題ないじゃないかい』

『や、やだよ~、み、みんな、みんなそんなこと言って俺を笑うんだから嫌いだ! バーツとかシャウトとか、いつもヒューヒューとか言うんだよ、俺、恥ずかしいよ~』


 今度は、俺の両頬を抓られて持ち上げられた。


『お、おかあさま! おやめください、ヴェルトをいじめてはいけませんわ!』

『愚娘、あんたがだらしないから、私がこうやってんじゃないかい。あんた、まだ初潮も迎えてないのかい? いつになったら、孫を見せてくれるんだい?』

『わ、ワタクシだって! でも、まだワタクシの体じゃ無理だって、みんなが……』

『ったく、根性ない子宮だね~。これじゃあ、安心して国を預けて戦争にも出れやしない』

『お母様が、センソーに行き過ぎなんですわ! もう少し国に居てくださってもよろしいではありませんの!』

『はあ? なに、言ってんだい。女は戦争に出て、男は家事手伝いで家を守る。それが今の世の中では主流なんだよ』

『お母様だけですもの!』


 頬っぺた叩かれて、抓られて、半泣きの俺は抜き足差し足で逃げようとする。

 だが、ママにギロリと睨まれて腰から持ち上げられちまった。


『この状況で逃げようとは、ずいぶんと反抗的じゃないかい?』

『うわー! 離せよー!』

『ふんっ!』

『はぐっ!』

『ふんっ!』

『はぐっ!』


 その時、俺はペロンとズボンを脱がされて、真っ白いプリンプリンのケツを丸出しにされて、それをおもくそママに引っぱたかれた。


『お、お母様! ヴェルトに酷いことやめてくださいませ!』

『はははは! ええ? どうしたんだい、愚婿! もっとイイ声で鳴きな! 覚えておくんだね。あんたみたいな反抗的な奴はもう、私の好みなんだよ! 屈服させて従順にさせるのがたまらないね~!』


 部屋に響き渡る俺のケツを叩く「パシンパシン」という実に乾いたいい音。

 当時の俺はもう、痛くて、怖くて、恥ずかしくて、ただただ泣いたのを覚えてる。


『いたい! やめてよー、もうぶたないでくれよ、マ、ママっ!』

『っっ! くく、その顔、その顔最高だよ! ああ、そんな潤んだ目で媚びるような…ホレホレホレ!』

『ひぐうう! やだ、やめろよーーー!』


 ゾクゾクとした快感の表情を浮かべて俺を見下ろすママ。

 だが、ママの奇行はここで終わらなかった。


『くくく、だが、いくら愚婿の躾とはいえ、ムチだけ与えるほど私も鬼じゃないよ。おい、愚娘!』

『は、はい!』


 俺を抱えてケツを叩きながら、ママは肩膝を床について、俺の顔とフォルナの顔の高さが一緒になるぐらいまで屈んだ。


『躾に耐えてる愚婿に褒美だ。愚娘、躾をしている間、ずっとキスをしてあげな』

『ふぇっ!』

『知ってんだよ? あんたがもう愚婿と口付けを交わしたことがあるってね。それを今、この場でやれって言ってんのさ』

『お、お母様、何を! そ、そんなの、は、恥ずかしいですわ』

『ああ? 今、愚婿はあんたの婿になるために恥ずかしい思いや痛みに耐えてるんだ。それに応えてやるのも、あんたの嫁としての役目じゃないのかい?』

『っ、ヴェ、ヴェルトのお嫁さん? ワタクシが、およめさん……』

『ああ、そうだよ、泣いてうめき声を上げている愚婿に、天国と地獄を味わせてやれ。そうすりゃ、こいつも将来絶対あんたに逆らわないさ』


 簡単に言いくるめられてモジモジするフォルナ。

 だが、次の瞬間意を決したような顔で、俺に唇を、チュッとつけた。


『ヴェルト……がんばるのですわ……ん、ちゅ』

『ムーーーーっ!』


 これで満足か? これで満足なのかよと、ママを睨もうとしたが、ママは全然納得してなかった。


『なんだい、ガキじゃあるまいし! ほれ、もっと舌出してネットリねぶる様に絡めるんだよ』

「ふぇっ、おきゃ、おかーさ、んちゅ、ぶゆ、ちゅる、じゅる」

「むー! むー! むー!」


 俺のケツを叩きながら、フォルナの頭をつかんで俺の唇にぶちゅうっとくっつけた。

 最初は戸惑いまくってたフォルナが泣きながらも、しかし徐々に自分から俺にチロチロと舌を絡めるようになった。



『あはは、あははははは、あはははははは! そうだよ、あんたたちは本当にお似合いだよ!』



 ママの盛大な笑い声がいつまでも俺の耳と頭と、そして心に響いた。


『ふう、ただいま~、ヴェルト、ちゃんと留守番して……って女王様!』

『やあ、ボナパ。邪魔してるよ』

『ちょっ、ヴェルトになにをしてるんですか!』

『ああ? 自分の子供を躾けて何が悪いんだい?』

『いやいやいや、私の子供ですから!』


 それが、俺とフォルナ、七歳ぐらいの思い出だった。



『泣くんじゃないよ。こんなの耐え抜いて、イイ男になんなよ、愚婿♪』



 それから暫くして光の十勇者の一角として最前線に赴いていたママは、暫く国には帰って来なかった。

 古参が若い勇者たちに世代交代をしていくなかで、もっとも実績のある勇者として、常に世界を舞台に暴れまくり、ちっとも国には戻ってこなかった。

 俺とフォルナが十歳になる頃には全然会ってなかったし、親父とおふくろが死んだときにも帰ってこれなかったので、俺も無警戒だったんだが……


「ぬわあああああああああああああああああああああああ!」


 かつての黒歴史がトラウマとしてよみがえり、俺は寄声を上げていた。


「ちょっ、朝倉くん!」

「い、いや、な、なんでもねえ、なんでもねえから、何も聞かないでくれ」


 ある意味で、俺のことを忘れてもらって嬉しかったかもしれない人でもあった。

 そして、どうやらそれは的中。ママは俺には目もくれず、ただ綾瀬とカー君を見ていた。


「ふふ、青臭い魔力を感じるね~、数日前から任務中に行方不明になったと聞いたが、何をやっているんだい? アルーシャ姫」

「……ご無沙汰しております……ファンレッド女王……」


 言われて観念した綾瀬が、ハットとサングラスを外した。

 そりゃー、同じ王族でもあり、同じ十勇者にかぞえられている者同士。

 ただの顔見知り程度じゃすまされねえ。この程度の変装なら、そりゃバレるか。


「な、なんと! アルーシャ姫ではござらんか!」

「アルーシャ姫……」


 もちろん、その意外すぎる人物の登場に、ムサシも国王も、そして護衛の兵隊たちもざわつき出す。

 だが、正直なところ、ママは綾瀬に指摘はしたものの、真の関心はもう一人のほうだ。



「さて、問題はあんただよ。どうしてアルーシャ姫と一緒に居るとか、この国に何の用とか、そういうのは置いておいて……ふふふふ、数日前に帝国大監獄島より逃亡した大物囚人、マッキーラビット、そして………四獅天亜人・カイザー大将軍? なんであんたがここに居るんだい?」


「やはり、お前は誤魔化せないとは思っていたゾウ。ファンレッド」


「ふふふふふ、そりゃーそうさ。まだ私が可憐な十代の少女だったころから、あんたは世界に轟く大英雄だったんだからねえ」



 サディスティックな笑みと共に威圧感をぶつけるママ。

 その雰囲気にカー君はため息つきながら、デカイサングラスとハットを外した。


「カ、えっ? か、は? はあ? んなあああ! えっ、カ、カイザー大将軍でござるか! さらに、なぜ、マッキーラビットまで!」

「カイザー! あの、伝説の?」

「バカな、カイザーは確か死んだはずでは!」


 カー君の生存に誰もが驚き、ムサシなんてわけが分からずに目を回してる。

 だが、このママと国王様の反応は、やっぱ、カー君が生きているのは知っていたみたいだな。



「何十年と世に君臨し続けた四獅天亜人、だが、七年前にあんたがロア王子に敗れた時点で、時代は変わっちまったよ。四獅天亜人のヴィッチ、クソオカマ、スケベじじいとの戦もとんとなくなり、七大魔王もシャークリュウとチロタンが消えたことにより半ば崩壊。残る魔王のネフェルティ、ラクシャサやノッペラ、あの魔族最強のヴェンバイまでもが戦の噂を聞かない。十勇者もすっかり新世代に引き継がれてるよ」


「小生もその話は聞いておる。すっかり様変わりした戦争のシステムにも、複雑な思いだゾウ。だが、時代とは時にそのように移り変わるものなのだと思うゾウ」


「ふん。あんたはやはりあのときに死ぬべきだったんだよ。それを連合軍の能無しジジイ共は、今後の交渉材料だなんだであんたを牢に繋いでその存在を隠した」


「そうかの? 確かに小生は無意味な時間を過ごしたかもしれぬ。だが、その時間が、新たなる異端児と出会わせてくれたのも事実だゾウ」



 まるで昔を懐かしむかのように話をする二人の口調は実に穏やかだった。

 世界を懸けて殺し合いをした間柄のようには見えない。

 そうだ、ママンもそんな感じだった。

 戦争は戦争。しかしそれはそれとして、どこか相手を認めた複雑な関係。それを戦友と呼ぶべきか分からないが。

 だが、そう思った瞬間には、ママの表情と口調が一変した。



「んで? 何してんだい? あんたは……よりもによって、この場所で!」



 その瞳に宿っているのは、憎悪! 自然と俺たちは全員身構えていた。


「カイザー、そこにはね、私が叶えられず、そして二度と戻らない夢が眠っているんだよ。争いのない世界で、ただお互いを思いあう男と女が惹かれ合い、愛を育み、そしてこれから……これからだったんだよ……私には出来ない、手にすることの出来ない、ありふれた平和の中に生きてきたはずの二人だったんだよ……」


 憤怒のオーラが溢れ、静電気のように空気がバチバチ弾かれている。

 ママが一歩一歩歩き出す。攻撃する気か? いや、ママはそのままカー君の隣を通り過ぎて、親父とおふくろの墓に手を合わせた。



「信じたくなかったよ。私がこの国に戻ることすら恐れたよ。ただ、神族大陸を舞台に無我夢中で異種族どもを蹂躙しつくしていた」


「…………お前の友人を殺したのは、小生の元部下である可能性は高い。で、それで小生にどうしろと?」


「別に。ただ、ここにあんたが居るのが、どうしても割り切れないだけさ」



 飴とムチの使い分け。だが、ママが飴を与えるのは単純に相手を従順にさせるだけじゃない。

 かつて俺を虐待的な感じで調教していたようで、それでも確かに俺に対する想いがあったことぐらいは何となくだが、感じ取れていたような気がした。

 まあ、非常に分かりにくいところが、ファルガと似てるわけなんだが。



「夢はまだ……終わってねえよ……」



 気づけば、俺は声に出して言葉を発していた


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