第64話 俺のケジメ

 道中、ファルガが言っていた。

 シロム国は、世界有数の商業国家。

 世界中の富裕層が己の欲望を満たすために訪れ、金を撒き散らす。

 表向きは絢爛豪華風光明媚な発展した文化を持ち、美しい彫刻のような街並みや着飾った貴婦人が通りを歩く。

 しかし、その裏の貧民街では暴力と犯罪が日常の悪所となり、通りに出れば春を売る女たちで溢れている。

 ブクブクに肥えた人間も居れば、その日の食事すらままならぬ骨と皮になった人間も居る。

 また、人類大陸内の国家でありながら、この世に存在する様々な種族の存在を許される国でもある。

 もっとも、許されるのは存在のみで、人間以外の種族には何の権限も与えられることもなく、物として取り扱われているそうだ。

 この世の天国と地獄によって成り立つ国。それがシロム国……そう、聞いていたんだけどな。


「お、おい、これはどうなってやがる!」


 あれから海を渡って丸一日。

 かなり飛ばしてきたので、時間を短縮できた。

 しかし、たどり着いた俺たちの目には驚愕の光景が映っていた。


「遅かったか。し、しかし…………」

「シロムは決して戦の強い国じゃねえ。だが、多くの商業船が入港するために海賊などが多発することから、港の警備だけは厳重だと聞いていたが」


 ファルガ、この光景を見てからそんなこと言うのはやめてくれ。

 俺は余計に恐ろしく感じた。

 燃え上がる火の手、破壊し尽くされている建物の数。

 港からはまだ離れているのに、息が苦しい。充満した血の匂いと血の海。

 見たくもないのに、見えてしまった、海の上を漂う人間の遺体。


「ファルガ。ど、どこが、天国と地獄だって? 全部地獄じゃねえかよ」

「……」


 海の上を漂う遺体は人間だけ。それはある意味、一方的に虐殺されていることを意味していた。


「くそ、このまま船を港につけると、亜人どもに気づかれて攻撃される。愚弟、テメェの魔法で飛んでいくぞ」

「あ、ああ」

「ヴェルト、気をしっかり持て。安心しろ、お前の命は私が守る」


 ここまで俺がビビるのは、五年前にギャンザと出会った時以来だな。

 あまりの光景に恐怖しているのは間違いねえが……俺は何しにここに来たんだ?

 ダメだ。頭が回らねえし、心が揺れる。


「拙者も同行しよう。拙者がいれば、シンセン組と遭遇しても話が通るであろう」


 ムサシが、俺の肩を叩いてそう言った。

 結局他の漁師を帰す際にチビッコ剣士どもはそいつらの護衛として一緒に帰ったが、こいつだけは残った。

 こいつもこんな惨状を作り出した亜人共の仲間なんだから、敵と言えるのに、俺は大人しく従った。

 情けねえ。

 最大限の注意をしながら俺たちはゆっくりと港の岸壁に立った。

 しかし、気配は何も感じない。恐らく、既に亜人たちは遠くへ行っているのだろう。

 だが、


「うっ!」


 俺は思わず呻いた。


「ッ、見るな、ヴェルト」

「ちっ、クソが」

「……」


 信じられなかった。山が出来上がっていた。港町の中心に、人間が積み上がった山が。

 誰一人、生きていない。


「くっ!」

「おい、ジーエル! テメら、どこに!」

「勿論家族の所にです! 僕たちはここまでで結構です!」


 血相を抱えて飛び出すジーエルたち。

 決して好きにはなれないが、今のこいつらの心境だけは理解できた。


「おーい! 誰か、誰か居ないかー!」

「かーちゃん! かーちゃん!」


 俺たちはジーエルたちを止めることはせず、あいつらは街の奥へと消えていった。


「全員、殺されたのか。ひとり残らず。い、一体何人が……」


 俺は死体の山を見上げてそう漏らした。


「クソが。女子供すら容赦なくか。おい、クソ亜人。テメェ、どこが同胞の奪還が目的だ。どう見ても侵略戦争だろうが」

「ッ、そ、それは」


 ムサシがまごつく。

 ファルガの言う通りだ。イカれてやがる。

つか、俺はどうしてこんなところに居るんだよ。

 俺は何しにここに来たんだ?


「ファルガ、今はムサシを責めても仕方なかろう。これも戦争だ」

「ほう、クソ魔族はやけにクソ亜人の肩を持つな。テメェらがボルバルディエ滅ぼした時も似たようなもんだったか?」

「ッ、な、なんだと! 貴様、今それを言うか!!」

「事実だろうが。この光景を前にして、亜人の肩を持つテメェの神経もクソだ」

「何を言うか! お前はハンターだから戦争を知らぬだろうが、人間だって侵略を行えばこのような凌辱は当然だぞ!」


 にしても、死体ばっかで誰も居ねえ。何でだ? 

 火事場泥棒ぐらい居ても……いや、違うか。


「ファルガ……富裕層のエリアはもっと奥か?」

「あっ?」

「ここに敵が居ねえってことは、もっといいところを狙ってるってことだろ?」

「……恐らくな。ちなみに、奴隷市場やオークション会場は街の中心だ」


 つうことは、まだこんな光景が延々と続き、それどころか今この瞬間も繰り返されてるってことか。


「後を追うしかねえ」

「ッ、ヴェルト! しかし、これ以上は危険だ」

「ああ、分かってるよ、んなこと。だが、追って俺に何ができるかなんて分かんねーけど、これはいくらなんでもマジイだろ」


 これが戦争……

フォルナ……お前は何でこんな世界に自ら飛び込んだんだよ。


「それとだ、ファルガ、ウラ、お前らまで喧嘩してんじゃねえよ。お前らが喧嘩したら、誰が俺を守ってくれるんだよ」

「チッ……」

「ん、あ、ああ……すまぬ」


 五年前、鮫島率いる魔族と人類大連合軍の戦に巻き込まれて、戦争についてはある程度分かった気にはなっていた。

 だが、これは全然違う。恐怖が肌に感じる。これが、侵略されているって感覚なのか?

 ハッキリ言って、ずっと無関係だと思って遠ざけたかったのに、何で俺は関わっちまったんだ?


「ヴェルト殿」


 ふいにムサシが俺を呼ぶ。


「ああ?」

「もう、この国は手遅れでござる。これ以上追いかけても、命の危険に晒されるだけでござる」

「んなもん、分かってるよ。でも……」

「無論、おぬしがこの国の騎士であったり、人類大連合軍の者、もしくは正義を掲げる戦士であれば止めはせん。しかし、おぬしはそうではないであろう?」


 そうなんだよ。俺は正義の味方でもないのに、何をやってんだ?


「……愚弟……そのクソ亜人の言っていることは一理ある。正直、いくら俺でもこの状況をどうにかできるとは思えねえ。帝国や周辺国の援軍を待ったほうが利口だ」


 ああ、そうだよ。


「ヴェルト、私も同感だ。ここは逃げよう。私たちが関わることではない」


 俺だって分かってるよ、それがベストな選択だって。

 なのに、何で俺は?

 死体の山と破壊され尽くした瓦礫の山を越えながら、俺は自分に何度も問いかけた。

 すると、その時だった。


「グハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「ひょおおおお!」


港町を越えて、城下町の入口までたどり着き、そこから見た光景は一生忘れられない。


「ガオオオオオ!」

「ひいいい!」

「キャアアアアア!」

「ヒャハハハハハハハハハハハハ!」

 

 悲鳴と笑いが織り成す、阿鼻叫喚の世界。

 戦争ではなく、蹂躙行為だ。

 ムサシと似たような格好をした亜人たちが、刀を振り回して無抵抗な人間たちを斬り捨てていき、奪い、火を点け、女を襲う。

 もう、言葉が出ねえ程の常軌を逸した光景に、俺は思わず思うがままに叫びそうになった。

 だが、



「何をやっている、おぬしたち!」



 俺が何かを言う前に、ムサシが叫んでいた。


「ああ?」

「なんだ~あの若いのは」

「おい、テメエはどこの部隊だ! ここは俺たち三番隊の狩場だ!」


 狩場か。もう、完全に目的そっちのけだな。


「ふざけるな、誇り高きシンセン組がこのような蹂躙行為をするなど、恥を知れ!」


 ムサシ、テメエはどうやら思ってた以上にクソ真面目な正義の塊だな。


「ほほう、この狼人族のサムライ。ハージム・サイトゥに向かっていい度胸だ。だがな、これはただの同胞奪還作戦ではない! 報復だ! 人間どもに味あわされた我らの怨みを晴らすためのな!」

「ッ、な、何を言う!」

「若造、テメエは知ってるぞ。確か、ムサシだったか? バルナンド参謀の孫娘。テメエだって、人間に怨みを持ってるはずだ!」

「ば、馬鹿な! それとこれに何の繋がりがある。無抵抗で戦意の無くした者への慈悲はないと申すか! これでは、ただの虐殺だ!」

「その通りだ。俺たちは同じことをしてるんだよ、人間にされたことと同じことをな! それが、失った同胞の魂を浄化するための最良の弔いだ!」


 ああ、そうか。人間も同じことをしているわけか。

 つまり、そういうことか。

 そういうことの繰り返しが今の戦乱の世を作っている。

 人間も亜人も、そして魔族すら、なんかどっちもどっちだな。


「危うく戦争の現実に意識が飛びそうになっちまった」

「ッ、ヴェルト殿?」

「でも、大丈夫だ。俺は種族やら戦争やら、そういうモンのためにここにいるわけじゃねえ」


 もちろん、目を背けるわけじゃない。

 でも、本来の目的を忘れちゃいけねえ。

 俺がどうしてここに来たのか、その目的を。


「何が正義で何が悪だとか、正しいこととか、そんなもん俺に分かるわけねーし、いくら考えたって俺が答えを出せるわけがねえ。世界中の天才や英雄や勇者たちにだって分からねーんだ。だから今でも世界中で戦争やってるんだ」


 そう、俺は戦争をどうにかするためにここにいるんじゃない。

 人間や亜人、魔族の問題をどうにかするためにいるわけでもねえ。

 だから。いくら戦争の現実を目の当たりにしようとも、本来の目的を見失うわけにはいかねえ。

 俺は会いたい奴がいるからここに来たんだ。

 だが、俺はあいつに会って……どうする?


「って、おい! ムサシ、テメェの傍に居るのは、人間じゃねえか!」

「お前、何で人間と一緒に行動してやがる! 裏切ったのか?」


 人が頭を整理している時に、ギャーギャー騒ぐな。うるせえから。



「ふわふわ演奏会! ちょっと黙ってろ」



 俺は目に映るムサシ以外の亜人を全員空中に浮かせ、上下左右斜め含め、全員まとめて俺の指揮者のような動きに沿って空中で動き回った。


「な、なんだこれ、か、体が!」

「ぐおおお、と、とま、とまんねえ!」

「や、やめろおお、とめろおお!」

「ぐええええ、うおえええ」


 燃え盛る街での即興コンサート。まあまあってところだ。


「終曲。お見事だろ?」


 演奏会を終えた俺の眼前にはポカンとする人間たちと気を失った亜人たち。


「ヴェ、ヴェルト殿、おぬし、一体」

「愚弟。随分と今日はキレてるじゃねえか。もう、大丈夫なのか?」

「ヴェルト、無理はしておらんか?」


 ああ、心配ない。俺はもうやるべきことが何かを気づいちまったからだ。


「ムサシ、お前のジイさんはこの作戦に参加しているんだろ?」

「そ、そうでござるが……む、無論、大ジジはこのような残虐行為は決して許さぬはずでござる!」

「いいんだ。正直、どっちでもな。俺はただ、そいつがこの国に来てるなら、それで十分なんだ」

「ど、どういうことでござる?」


 五年前、俺は何も出来なかった。


「俺の親父とおふくろが殺されたとき、俺は誓った。後悔しないような生き方をするってな。でも、俺はそれでも後悔ばかりだった」


 前世で一度死んで後悔し、二度目の人生でも親父とおふくろが死んだ時に後悔した。

 あの日以来、三度目の後悔しないように今度こそ生きていく。そう誓った矢先にあの事件が起こった。

 俺はウラに出会い、鮫島と再会して……そして最期に立ち会った。


「ウラ、ファルガ、覚えているか? 五年前、ウラを引き取る時に俺が言った言葉を」

「えっ?」

「五年前? 愚弟、何を…………」

「俺は、そのことをついさっきまで動転していて忘れていたんだ」


 あの時の言葉を、俺は今ようやく思い出せた。



――俺は、何もできなかった! あいつが、何を抱えて何に苦しんでるのかも聞いてやれず、何を思って生きてきたのかも分からないままだった! 俺が聞いても理解できないから……そんな理由で誤魔化した



 ようやく再会できた元クラスメートに、俺は何もしてやることが出来なかった。

 そして、あの日から五年。俺はもう機は熟したと判断して世界に出た。

 何の機が熟したのか? それは、もう俺は『四度目』の後悔をしないだけの成長をしたと思ったからだ。

 初めて見る凄惨な光景に、そのことをすっかり忘れていた。



「宮本。今ここにいるなら、俺が今からお前に会いに行ってやる。テメエが何かに苦しんでるなら聞いてやる。止めて欲しけりゃ、殴ってでも止めてやる。救ってほしけりゃ……俺がテメエを救ってやるよ! 俺はそのためにここに来た! 亜人とか人間とか戦争なんて関係ねえ。お前のためにできることをやる。それが、鮫島に何も出来なかった俺のケジメだ!」



 それが、この五年で俺が育んできた思いだ。

 神乃。お前に会うのは、まだまだ時間がかかりそうだぜ。

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