第二十六章 天界と冥界の使者

   第二十六章 天界てんかい冥界めいかいの使者


 ハルシャ王子とルハーニはニルマダの診療所しんりょうじょを出発して、町のはずれまで歩いた。そこまでくると人気ひとけはなく、道の両脇りょうわきにただはたけが続いているだけだった。

 歩き始めてからずいぶん経つのに、ハルシャ王子とルハーニは一言も口を利いていなかった。そんな二人をクールマとシェーシャは心配そうにルハーニのリュックの中から見守っていた。


 「何か聞こえるか?」

 クールマが言った。

 「何も聞こえない。」

 シェーシャが答えた。

 「何で二人ともしゃべらんのじゃ?」

 「二人とも人見知りする性質たちなのだろう。」

 「まるで葬式そうしきにでも行くようじゃ。」

 「しっ!その言葉を口に出すな。ルハーニが思い出すではないか。」

 「ああ、そうじゃった、そうじゃった。」

 「まったく、これだから年よりは嫌いだ。」

 シェーシャは何気なくそう言った。

 「何じゃと!」

 クールマが聞き捨てならないというようにっかかった。

 「年寄としよりは忘れっぽくてきらいだと言ったのだ。」

 シェーシャが嫌味いやみっぽく言った。

 「年寄としよりを馬鹿ばかにするとは何たること!それに三百年も生きているお前も立派な年寄としよりじゃ!」

 クールマは言い返した。

 「ああ。だが千五百年も生きているクールマには負ける。何たって私の五倍は長く生きているのだから。おそらくそんなに長生きしたせいで記憶力は私の五分の一になってしまのだろう。すべては年のせい。仕方ない。さっきの失言しつげんは水に流してやろう。」

 シェーシャは挑発ちょうはつするように言った。

 「言わせておけば!」

 クールマは怒りのあまりプルプル体がふるえた。リュックの中でクールマの甲羅こうらがヤカンや食器にぶつかってカタカタと音を立てた。シェーシャは勝ち誇ったように赤い舌をチロチロ出してほくそ笑んでいた。


 「手足てあしのないニョロニョロ蛇のくせに!」

 クールマがえた。

 「何だと!?」

 シェーシャが顔色かおいろを変えた。手足てあしのないニョロニョロ蛇というのはシェーシャには言ってはいけない一言だった。

 「お前はニョロニョロ蛇じゃ!」

 クールマがまた言った。

 「よくも私を侮辱ぶじょくしたな!」

 シェーシャの声は怒りで上ずっていた。

 「本当のことを言ったまでじゃ!」

 売り言葉に買い言葉だった。

 「私が蛇の姿をしているのは絶対に何かの手違てちがいなのだ。冥界めいかいの神々があやまってこのような爬虫類はちゅうるいにしてしまったのだ。本当は冥界めいかいでもっとも美しいとうたわれた蛇族へびぞくの王子なのだ。」

 「じゃが、今はニョロニョロの白蛇しろへびじゃ。」

 クールマが再び言った。

 「私が言いたいのはもともと緑亀みどりがめだったお前とは違うということだ!」

 シェーシャはクールマをにらみつけながら言った。

 「わしとて、元々このような姿だったわけではない。元々は太古の昔に大海原おおうなばらを支配していた大海亀おおうみがめじゃった。しかも長寿ちょうじゅほこり、最も大きいとされる青緑亀種あおみどりがめしゅじゃった。けれど天界てんかいの神々がちと大きすぎるとおっしゃってこのような姿にして下界げかいに遣わしたのじゃ。」

 クールマは自慢じまんげに言った。けれどシェーシャにはどこが自慢じまんできる点なのかが分からなかった。

 「やはり緑亀みどりがめだったのではないか。」

 シェーシャが馬鹿ばかにするようにそう言うとクールマがまた怒り始めた。二人の喧嘩けんかは果てしなく続いた。


 二匹のリュックの中での会話はハルシャ王子とルハーニに筒抜つつぬけけだった。ハルシャ王子はクールマとシェーシャのやり取りを聞きながら、チラリとルハーニの横顔よこがおぬすみ見た。ルハーニのりんとした横顔はうつむき、何を考えているのか分からない表情で黒い瞳を地面じめんに落としていた。ハルシャ王子はルハーニの注意ちゅういを引くためにちょっと咳払せきばらいをして、またチラリと横目よこめで盗み見た。ルハーニはまるで聞こえていないかのように何の反応はんのうもしなかった。ハルシャ王子は迷った末、思い切ってルハーニに話しかけてみた。


 「二匹がさっきから冥界めいかいの神々とか、天界てんかいの神々とか言っているけど、一体何のことだ?」

 ハルシャ王子がルハーニに高飛車たかびしゃ口調くちょうで尋ねた。声が緊張していつもより高くなっていた。ルハーニは今まで一言も口をいていなかったのに、急に話しかけられて戸惑とまどったような顔をしたが、おずおずと質問に答えた。

 「クールマとシェーシャは神々の使者ししゃなんだ。」

 ルハーニはふたもなくそう答えた。ハルシャ王子はポカンとしていた。

 「クールマは天界の神々の使者ししゃで、四つの神器じんぎを探しに来ている。シェーシャは冥界めいかいの神々の使者で、冥界めいかいから逃げ出したたましいを連れ戻すために地上ちじょうにやって来ている。」

 あまりにも壮大どうだいな話なのに、まるで家族が何の仕事をしているのか紹介するように説明されると、ハルシャ王子はにわかには信じられなかった。


 「それ本当か?」

 ハルシャ王子がうたがうように言った。

 「うん。」

 ルハーニは短く返事をした。

 「何で神々の使者がお前のところにいるんだ?」

 ハルシャ王子は当然誰でも疑問ぎもんに思うことを質問した。

 「二匹がサンガムで喧嘩けんかをしているところをおばあちゃんがひろったんだ。」

 ルハーニは神々の使者との出会いにふさわしくない答えを返してきた。ハルシャ王子は確かニルマダの診療所しんりょうじょでそんなことを聞いたような気がした。

 「二匹ともちょうど同じ時に地上へ送られてきたんだ。天界てんかいの入り口も冥界めいかいの入り口もサンガムにあるからばったりそこで出くわして、喧嘩けんかになっちゃったんだって。そこへたまたまおばあちゃんが通りかかって、言葉を話す珍しい亀と蛇だと思って拾ったんだ。後で神々の使者だと聞かされて、おばあちゃんは驚いてぎっくりごしになった。」

 「へえ。」

 もしかしたらここは自分を笑わそうとして言った笑い話で、笑うべきことかも知れないと思いながらもハルシャ王子は適当てきとうにあいづちを打った。話し終わったあとのルハーニの顔はいつものように無表情むひょうじょうだった。やっぱり笑い話ではなくて笑い話のような事実を話しただけだったのだと確信し、笑わなくて正解だと思った。


 「それで、お前は?魔女まじょらしいけど、魔女まじょは普段何をしているものなんだ?」

 ハルシャ王子は横目よこめでルハーニの顔を確認した。ルハーニは考え込むように眉間みけんに悲しそうなしわを寄せていた。

 「おばちゃんが生きていた頃は毎日魔術まじゅつの練習をしてた。だけど今は教えてくれる人が誰もいなくて何もしてない。」

 「そうか。」

 ハルシャ王子はニルマダが、マルラーリーばあさんが死んで孫のルハーニが葬式そうしきげていたと言っていたことを思い出した。まだ自分と同い年なのにたった一人で見送ったなんて不憫ふびんに思った。それと同時にたくましさを感じた。自分だったらラージャ王を一人では見送れないと思った。


 「君は?」

 突然くような声が聞こえた。耳を疑ったが、ルハーニは前を見ている振りをしてこちらの様子をうかがっていた。自分が今ルハーニに話しかけられたということに間違いないとハルシャ王子は思った。

 「僕は王子だ。王子はいつも勉強するものなんだ。勉強は家庭教師かていきょうしが教えてくれる。」

 ハルシャ王子はそう言った後でラーケーシュのことを思い出した。果たしてラーケーシュはまだ生きているだろうか。ハルシャ王子は暗い気持ちになった。


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