元寇Re:Boot~ベータ版~
かくぶつ
竹説 蒙古襲来絵詞
【起】 世界帝国
建永元年おっと失礼。 1206年、草原の遊牧民たちを束ねる一つの<国>ができた。
その国は周辺の部族国家を次々に平定していつしか巨大な<帝国>へとなった。
この草原の<帝国>は周辺諸国を平定しながら西へ西へと勢力を拡大して、ついに異郷の地ヨーロッパと国境を接するまでになる。
1241年4月、二代目
この侵略に対してドイツ・ポーランド<連合>軍が迎撃のために出陣した。
草原の覇者である<帝国>は騎兵を重視して、自国と似た土地を奪い続けて勢力を拡大していた。
対するヨーロッパ勢も騎兵による突撃が戦場の主役だった。
そう両軍勢の主力はくしくも同じ騎兵部隊である。
ここに<帝国>軍2万5千対ヨーロッパ<連合>軍1万が激突した。
兵力差は歴然である。
「ドドドン! ドドドン!! ドドドドドドドドド」
東洋の銅鑼が轟轟と鳴り響く。
「ひるむな! 突撃いぃ!!」
この時代ヨーロッパで最も強いとされるのが人馬共に重装甲化した騎兵による集団突撃だ。
ヨーロッパの大国はその衝撃力をもってあらゆる敵を撃破してきた。
対する<帝国>は軽装弓騎兵による騎射による攻撃だ。
使用する弓は短弓なので飛距離を伸ばすために斜め上方向に射る。
そうすることで威力は落ちるが安全な距離から攻撃できる。
突撃を開始する<連合>軍に矢雨を降らせて攻撃を開始した。
しかしどれほど矢で攻撃しても重騎兵は倒せない。
曲射では威力が低く、騎兵の装甲が厚いからだ。
この数千にもなる重騎兵の密集突撃は圧巻である。
衝突する前に、にらみ合っていた<帝国>兵が恐怖から逃げ出すほどである。
貧弱な<帝国>軽騎兵はきびすを返して逃げ出した。
勝ったな。
歴戦の聖騎士たちは勝利を確信した。
<連合>軍重騎兵達はそう確信して逃げ惑う敵に追い討ちをかける。
異教の蛮族を根絶やしにするためだ。
ここで再起不能になるまで倒す――いや殲滅しないとすぐまたやってくる。
「突撃ぃぃぃぃ!!」
――そう、我ら神の祝福を受けた誇り高き騎士。
神の名の下に異教徒を根絶やしにして…………。
「ドンドン! ドン! ドンドン!」
合図かのようにリズムの変わった銅鑼が鳴り響く。
よく見ると背を向けて逃げ回っていた敵が逃げるのをやめた。
……いや、数が多い。
先ほどの倍以上に膨れ上がっている!
なぜ気付かなかったのだ!?
騎兵は目を守るためにバイザーを下ろす。
それにより視界が悪くなるので歩兵が付きそうようにしている。
「歩兵はどうした!?」
本来随伴するはずの歩兵2万は騎兵についていけなかった。
その前に周囲に潜んでいた伏兵が煙幕を張ったからだ。
この煙幕には煉丹術士たちが練り込んだ薬剤によって催涙効果がある。
歩兵達は必死に戻るように叫ぶが銅鑼の音がうるさく、催涙ガスで次第に大声が出せなくなっていた。
ここからが<帝国>の本来の戦いだ。
軽騎兵による騎射で身動きを封じ、控えていた重騎兵の突撃で<連合>を血祭りにあげていく。
叫び声が聞こえる。
助けを求める声だ。
煙幕が晴れて<連合>歩兵達が見た光景は――。
――あの最強の騎士たちが逃げ惑う姿だった。
「ひぃぃぃぃ!!」
<帝国>軽騎兵は馬を乗り換えて追撃戦へと移行した。
この騎兵一人当たりに十数頭の馬を用意することで長距離撤退、騎射による長期戦、その後の長距離追撃が可能になる。
また大量の馬に物資を積んで遠征をするので矢筒が尽きる事がないのも強みだ。
軽騎兵が<連合>歩兵を追いまわし、重騎兵が止めを刺す。
体力を使い果たした者から屍にかわっていく。
後には死体の山しか残らなかった。
この<帝国>の基本戦術である偽装撤退と本隊による突撃によって<帝国>はほとんど被害がなく、<連合>軍は事実上消滅した。
この戦いを「ワールシュタットの戦い」と呼ぶ。
さらにこの<帝国>軽騎兵部隊は「本隊」を支援するための一分隊でしかない。
その本隊は南のハンガリーを攻撃している
5万とも7万ともいわれる<帝国>西方面軍の本隊による多方向同時進行。
これによってハンガリー中の村々は焼かれ、国土は荒らされた。
戦とは万の軍勢を一カ所に集めて戦うものだ。
しかし<帝国>は万単位の小隊を分散させて多方向から同時に攻める。
もはや戦の規模と範囲が当時の国の常識を超えるものとなっていた。
これが<帝国>の戦術である。
中世の中東地域にはイスラム帝国が君臨していた。
インド西端から地中海南部までのシルクロードを支配する大帝国である。
シルクロードによって東は宋の煉丹術、西はローマ建築学が交易の中心地で交わった。
その帝国の中心地にして最大都市がバグダードと呼ばれている。
産業革命以前に人口百万に達する世界最大の都市は栄華を極めていた。
訪れるすべての人を驚愕させたのは想像を絶する水力機械工学文明。
人々を魅了してやまないガラス陶器や工芸品の数々。
当時の知識水準の数世代先を行く錬金術の深化。
そして全ての知識を集約した『知恵の館』。
それがイスラム帝国アッバース朝で開花したのだ。
人々は称賛する<イスラム黄金の時代>と。
そのシルクロードによる莫大な富の創造ゆえに<帝国>に目をつけられた。
四代目カアンの勅命により始まった西征遠征。
西方面軍はしかし、それまでの騎兵中心の編成から大きく変わっていた。
なぜなら騎兵が満足に軍事活動できるのは北部の寒冷地を中心とした環境のみだ。
南下すればするほど騎兵は扱いづらくなる。
だからこそ砂漠ではラクダ騎兵のような別種の動物が必要になる。
さらに中東の国々は山岳地帯を巧みに活用した砦を多数有している。
攻め落とすには攻城戦という不慣れな戦いをする必要がある。
それは<帝国>の強みを発揮できないということだ。
そこで<帝国>は宋の煉丹術、錬金術師の火薬の専門家に攻城兵器の技術者たちおよそ千名。
さらに若者の十人に一人の割合を動員する物量戦を開始した。
その動員規模は10万以上。
あまりの戦力差に周辺の諸侯は戦わずに降伏していく。
次々と城を陥落させて瞬く間に首都バグダードを包囲した。
この<帝国>包囲軍の先進的なところは宋の錬金術と技術者を動員した攻城兵器と火薬ロケット兵器による攻撃にある。
さらに相手の水力文明を逆手に取り、ティグリス川の堤防を決壊させて水攻めも行った。
大地は水で流され、空は火の雨が降る。
満足な反撃をできないようにしてから攻城兵器によって堅牢な城壁を破壊したのだ。
バグダードへ侵入した<帝国>軍は一週間略奪と殺戮の限りを尽くす。
その犠牲者は数十万にも達したという。
さらにバグダード陥落後に犠牲者を十倍の百万と公表して周辺の諸侯へ流布した。
そして外交使節を送り「抵抗」するか「服従」するか選ばせた。
抵抗すれば皆殺し、服従すれば今までと同じ統治を約束したのだ。
この飴と鞭の戦略によってイスラム帝国の諸侯は次々と帰順していった。
1258年2月、イスラム黄金の時代と称えられたアッバース朝は滅亡の時を迎える。
――その少し前。
のちの五代目カアン・クビライは宿敵南宋に手を焼いていた。
なぜなら南宋は<帝国>の戦術をよく知っていたからだ。
主力の歩兵は弱くても騎兵と弓兵そして火薬兵器を総合して弱点を補いながら運用する統率力。
洗礼された築城技術で堅牢な砦を作り、同レベルの攻城兵器を退けていた。
無数の陣形を使い分けその力を発揮する軍師文官による手堅い戦い。
軍が文官の統制下にある文弱の国家だと一体誰が言った?
そう言うのは戦を知らない学徒の妄言だ。
これほどの強敵を攻め滅ぼすには数だけではどうにもならなかった。
そこで一方面軍の将軍だったクビライは大陸全土を巻き込んだ一大包囲網を計画した。
それは西の大理方面(チベット地方の東側)からの迂回侵攻だ。
騎兵に必須の馬の産地は<帝国>の高原地帯かチベット方面の高原地帯が盛んだ。
逆に言うと南宋は馬の産地が乏しいという実情がある。
さらにチベット高山は硫黄の産地でもあった。
大理を落とすことによって南宋の騎兵と火薬兵器を無効化することができる。
だが宿敵南宋を包囲するにはこれだけでは足りない。
海運で巨万の富を築いていた南宋を孤立させるには海の支配も必要だった。
<帝国>の東側にある貿易相手国である半島にも攻め込む。
経済的に干上がって強力な軍隊を維持できなくなってから大侵攻するという壮大なものだった。
――時が流れ。
1265年ついに雲南・大理遠征と高麗遠征により南宋を孤立させることに成功した。
次は南宋への大規模侵攻になる。
だがその軍事行動の障害となる要素が高官から上がってきた。
それは東の海に存在する謎の<島国>だった。
この<島国>から採れる良質な硫黄が南宋へと輸出されていると報告があったのだ。
さらに信じられない話だが草原すらないその<島国>では馬が繁殖しているという。
それは南宋を疲弊させるという戦略が根本から瓦解する可能性を秘めていた。
五代目カアン・クビライはそれでも冷静だった。
まず<帝国>はこの<島国>に対して使節団を派遣して懐柔することにした。
目的はあくまでも南宋に対する経済封鎖。
ところがこの<島国>は<帝国>が思っているほど国として成熟していなかった。
朝廷と幕府、神社と寺院、重層的な土地の支配構造はもとより軍事権すら不明瞭。
それら戦乱の火種を、質実剛健を良しとする強力な武士集団が抑え込む。
権力者が多く存在するこの国では統一見解と長期的な外交など不可能に近かった。
何度も使節を派遣させたがまともな交渉ができない。
――そして、その時が来た。
1274年、もはや外交を待つことができなかった<帝国>は南宋への大規模侵攻を始めたのだ。
それと同時にその侵攻の障害となる<島国>、その最大の貿易都市・博多へも別動隊を向かわせた。
ここに歴史上はじめての世界<帝国>対<島国>の異国合戦が幕あげる。
こうして、しかし誰もが凄惨なものになると思われた戦いは僅か数日で終わりを告げた。
そう<帝国>軍は突如博多湾から消えたのだ。
勝利したと思われる<島国>も被害は少なく得るものはなかった。
そして1275年10月に「無足の五郎」が鎌倉のとある館に訪れた時から物語が始まる。
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世界帝国とか<帝国>とか書いてますがモンゴル帝国のことです。
なぜこのような表記にしたかというと――
蒙古軍 ←「古」という漢字の印象からなんだか弱そう。
元帝国 ←「もと帝国」と読めてとっても弱そう。
モンゴル帝国 ←今のモンゴルの落ちぶれを知ってるから滅茶苦茶弱そう。
この割とどうでもいい事に悩んでいたら、とある戦記小説の大大大先生の作品の表記を思い出して<帝国>にしたところ、とっても新鮮なイメージになり採用しました。
物語としては俯瞰的に描写する他の歴史小説とは違いゴローちゃんが頑張る話を軸に「歴史」を理解できれば幸いです。
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