第122話 打診と打算と姫の災難3 ~side K~

「そう。これといった情報は見つかりませんでしたか」


 日ノ本津々浦々の書籍が集められた図書寮の、あの膨大な量の書物を全部調べたのか。それならその疲れた表情にも納得がいく。


 兼継が越後に戻る前に、と信倖に誘われた酒宴での席上。

 消沈した兼継の表情につられたかのように、美成も神妙な顔つきで頷いた。



 ***************                ***************


 今年の夏、『雪村が突然女性になる』という珍事が起きて数か月が過ぎた。

 そして未だ元に戻る兆しは無い。


「雪村を元に戻す方法を探したい。延いては大阪の図書寮にある書籍を検めたいのだが、許可を得られないか?」


 そう兼継から美成に問い合わせがあったのは夏の終わり。そしてそれからひと月。望む結果は得られなかったようだ。


 しばらく沈思した後で、美成が重い口を開く。

「肥後に加賀清雅という男がいます。奴は大陸に渡った事があり、現地の様々な伝承に精通していたはず。……君が望むのであれば、仲立ちをしますが」


 美成の精一杯の好意だっただろう。その時その場に居なかった兼継の元にも、美成と加賀の確執は伝わっている。


 元々は秀好の子飼いとして親しかった美成と加賀だったが、秀好の病を治すと豪語した加賀がそれに失敗し、美成が公衆の面前で酷く罵倒したのだと言う。

 それ以来、疎遠どころか険悪な間柄になっているのは有名な話だ。


 美成にこれ以上気を遣わせないよう気をつけながら、兼継は微苦笑した。

「いや、それには及ばない。また他の方法を考えるさ」


 笑ってはいるが、根を詰めすぎたのか声にも疲弊が滲んでいる。

「兼継、本当に疲れているみたいだよ。あまり無理しないで」


 信倖が兼継の手元の杯に酒を注ぎながら、ぽんと肩を叩いた。



 ***************                ***************


「そもそもこんな事がありえるのか。何がどうなれば男が女に変わるというのだ?」

 ぱしんと膳を叩いて、兼継は項垂れた。


 まずい。

 酒に弱い訳ではないはずなのに、疲れのせいか今日の兼継は酒の回りが早い。

 信倖と美成は顔を見合わせた。


「……だとしたら私のせいだ。何と言って詫びれば良いのか」


 愛染明王の憑代。

 その自分が望んだから雪村がこんな事になったのでは、そう思うと兼継はやり切れなかった。


 項垂れた兼継の肩に手を置き、信倖は何と言えばいいのか分からない気持ちになっていた。

 こんなに友人が弟の為に骨を折っているというのに、その間、当の雪村はのほほんと「温泉が湧いた」とはしゃいでいたのだ。


 兄として申し訳ない気持ちでいっぱいになった信倖は、精一杯の明るい声を出す。


「何で兼継のせいになるの、そんなに思い詰めないでよ。それより僕は、今の雪村の身体を見た訳じゃないからね。本当に女子になってるの?」


 信倖は深い意味もなく言ったのだろうが、美成はぎょっとして杯を取り落としかけた。


 落ち着け兼継。兄の前で滅多なことは言うな。

 嫁入り前の妹であっても修羅場だろうに、嫁入り(?)前の弟となると、もう想像の範囲から外れすぎて 的確な返しなど微塵も浮かばない。

 そんな混乱した事を考える美成の耳に、信じがたい台詞が聞こえてきた。


「雪村はそう言っていたが」


 ……ん?


「「君、見てないの!?」ですか!?」


 奇しくもハモり、信倖と美成は再び顔を見合わせた。


『無体を強いてない』なら合意だと思ってたけど違うってこと!?

 てっきり行くところまで行ったと思い込んでいたが、そうではないという事か?


 お互いから視線を外し、信倖と美成はもう一度兼継を凝視した。


 確認したいけど、美成の前では聞きづらい。

 確認したいが、兄の前で下手な答えが返ると不味い。


 そして二人は、内心同じ事を考えた。


『それならそんなに、雪村の件で責任を感じなくてもいいんじゃないだろうか』


 二人の思惑を知ってか知らずか、酔った風体の兼継が信倖をはたと見据える。


「信倖、私は前に「雪村を元の身体に戻す方法を見つけるまで、今しばらく待って欲しい」と言った。だが思いのほか長丁場になるかも知れぬ」

「それは」


 信倖がどうこう言える立場ではなかった。

 そもそも兼継は『上森の敷地内で起きた』それだけの理由でここまで動いているのだから。

 挙句に『責任を取らなければならない事などしていない』となると、信倖は兼継に対しての申し訳なさで身が竦む思いだった。


「兼継、君がしなくていい苦労をさせてごめん。僕に出来ることがあれば何でもするから言って欲しい」


 そう言った信倖を、兼継がじっと見返す。そしておもむろに切り出した。


「ではひとつ相談がある。聞いて貰えるか?」

「なに? 何でも言って?」

「これは上森の敷地内で起きたことであるし、お前から預かった弟をこのようにした責は私にある」

「そんな事ないよ! あの時は僕も混乱してたし、君に厳しい事を言ってしまった。申し訳ないと思っている」

「いや、それはいいんだ。兄としてのお前の気持ちは解る。だが手をこまねいている現状、今の雪村に何かあれば私の責任だ。だがあれは自覚が足りない。私はそれが心配なのだ。現にお前の乳兄弟の件もある故な」

「……」


 信倖の乳兄弟の件とやらは初耳の美成だったが、恐縮している信倖と酔った振りをして絡んでいる兼継を交互に見遣って経緯を見守る。


 黙った信倖の肩に手を置き、兼継がぐいと引き寄せた。



「責任を取りたい。もしもこのまま雪村が戻らなかったら、直枝家に迎えることを許してくれるか?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る