第117話 家臣の疑惑

 ひととおり領内を見終えた私と小介は、南の林に来ていた。

 森月と隠し湯プロジェクトチーム(仮)は着々と、温泉の整備を進めている。


 だんだん形になってきたなー。よし、ここは湯治用に開放しよう。

 今年の普請役(「労働で収める税」の事ね)はこれをお願いしようかな、冬期間なら畑仕事も無い訳だし……領民の癒し用温泉もそのうち整備したいな。


 そんな事を考えていると、一緒に見ていた小介がうきうきした声音で聞いてきた。


「雪村様はここの湯にはもう浸かったんすか?」

「いや? まだだよ」

「いやあ、温泉っていいっすよねぇ。こう……予期せぬびっくりどっきりを期待しちまうというか……?」


 言っている事が桜井くんと丸かぶりだけど、これが『男の浪漫』ってやつなんだろうか。


 うーん、そういうもんかね。少なくとも私は男の「温泉でびっくりどっきり!」に浪漫は感じないけどな。

 この時代の男の人なんて、鍛えているからみんなムッキムキだもん。筋肉自慢している絵面しか想像できない。

 おまけに下着はふんどしですよふんどし。

 見たいですかどうですか!? 乙女ゲーム的に。


 まあいいや。適当に「そうだね」相槌を打つと 小介が「うわあ気のない返事ぃ」と両手で頭を抱えて蹲った。

 こんなノリはいつもの事だからそのまま流している と 、小介がちろりと見上げてくる。そしてそのまま目を逸らし、何でもない事みたいな言い方で呟いた。


「雪村様ってさ、ホントは女の子でしょ」


 思わず小介を見下ろしたけど、頬杖をついた恰好でしゃがんでいる小介は、遠くを見つめたまま何も言わない。



 ***************                ***************


 小介が何も言わないので、私は聞き流す事にした。


「そういえば上野では、焼きまんじゅうが郷土料理だって聞いたんだけど。どこか おいしいお店しってる?」

「雪村様、聞き流しすぎぃ!」


 さっきまでは全然喋らなかったのに、ツッコミの速度はやたらと早い。

 勢いよく立ち上がって天を振り仰いだ小介を、私もつられて見上げた。


 下ネタに対するノリが悪いだけで「女の子でしょ」って言われてもなぁ。

 何とも言いようがなく見上げている私を見て、小介は小さく溜め息をついたみたいだった。


 ふざけていると思っていたのに、向き直った顔は真剣だ。

 あれ? 私も表情を改めて見返す。



「ねえ、雪村様は何でこんな事になってんの? 『女子になる病』なんてホントにあるの? 俺には、雪村様にそっくりな女の子が来たようにしか見えないよ」

「私にもどうしてこんな身体になったのかは解らない。ただ、直枝殿が元に戻す方法を探してくれるって言ったから、それを待とうと思う」

「そこなんだよなぁ」


 小介が頭を掻きつつ、ちょっと情けない顔をして私を見下ろす。

 何を言いたいのかがさっぱり解らない。


「直枝殿は本当にそのつもりあんの? あんなに雪村様を女の子扱いして六郎を牽制して? 俺には六郎がこんな事になったの、直枝殿の策に嵌まったとしか思えない」


 すごい論理きたな! 私は苦笑して否定した。

「違う違う。兼継殿は昔からああだよ。あれは女子扱いじゃなくて子供扱いだ。昔の見た目に戻ったから癖が出ているんだろう」


 そんな私にため息をつき、小介は「雪村様、チョロすぎぃ……」と頭を掻いていた手で額を抑える。

 先刻までの情けない表情でわからなかったけれど、指の間から見える目元が真剣なままだって事に、今更気づく。


「信倖様が雪村様を疑わないのは解るんだ。兄だから。性格や雰囲気なんかは全然変わってないしさ、何て言うかな……雪村様を最初から『異性』として見ようがないっつーの? 六郎だって雪村様を『女』だって意識してるからああなってんだしさ。じゃあ直枝殿ってどうなの?」

「……何が?」


 小介が何を言いたいのか解らないのに、聞いたら不味いって危機感だけがじわじわと広がっていく。


「あのね、こんな事はあんまり言いたくないけど。雪村様が『女性』だとさ、やっぱり利害関係とか利用価値とか、いろいろとある訳よ。六郎の立場だと『主家の姫』を降嫁されるなんて、すっげえ名誉な話だしさ。上森のお殿様に真木の姫じゃあ、ちょっと家格が釣り合わないかなって感じになるけど、執政なら釣り合うっていうか…… そもそもあの人、米沢に領地安堵されてるんでしょ? 大名待遇だよ。上森としても真木の領地は、徳山との『緩衝地帯』にあたる訳だし、取り込んでおいて損はない。『越後の執政』なら、そこに利用価値を見出さない訳がないよ。信倖様はそんな事、ぜんっぜん考えてないみたいだけどさ」


「……それって、私がこのままのほうが、皆にとって都合がいいってこと?」


 兄上だけじゃない。私だってそんな事、全然考えたことは無かった。

 私を見下ろしたまま、小介が小さく吐息をつく。


「そうじゃなくて、今の雪村様は利用価値が高いから 気を付けてってこと。だって俺から見ても今の雪村様、隙だらけで心配よ? 俺は『男だった頃の雪村様』を知ってる。今ほど優しくない、いざって時はばっさり切り捨てる人だった。けっこう非情なとこもあったよ」


 言われてふと、武隈との戦で安芸さんを斬ろうとした雪村を思い出す。


「だからさ」


 雰囲気を和ませるように、小介がへらりと表情を崩した。


「俺が気づいたくらいなんだから、たぶん直枝殿も『雪村様がすり替わってる』って気づいてるよ。それであえて泳がせてる。六郎じゃないけどさ、あんま信用しないで策略も疑うべきじゃない?」



 ***************                ***************


 私はこの時、立ったまま気を失っていたかも知れない。


「雪村様、大丈夫?」


 小介に肩を揺すられて、私はふと我に返った。我に返って、反論する。

「そんな訳ないよ。だって」


 だって……何だろう? 明確に反論できる要素がない。兼継殿が何を考えているかなんて、本当は私、解ってない。


 思い返せば武隈との戦の時。

 間者だと露見した安芸さんを、雪村はあっさり殺そうとしていた。兼継殿も「雪村にそんな調略が出来るとは思わなかった」って言っていた。

 私、安芸さんを殺したくない一心で「雪村」を演じきれていなかった……?

 もしかして兼継殿はその頃から、おかしいって気付いていたの?


 言葉が続かず黙った私に、小介が追い打ちをかける。


「だいたい雪村様を男だって思っているなら、女物の小袖なんて贈らないよ。それを雪村様も疑問にも思わず受け取ったでしょ。女の子だって暴露したも同然だよ」



 ***************                ***************


「俺は、信倖様が認めていて、真木の為に身体張ってくれる人なら誰でもいいよ」


 小介はそう言って笑ったけど、私はどうしたらいいか解らなくなった。

 兼継殿にバレてるの? それで泳がされてる……? 


 だとしたら、何で?


 言われてみると、思い当たる節が無いわけじゃない。気付かない振りをしたって、それが無くなる訳じゃない。



 筆の先から墨がぽとんと落ちて、私は慌てて筆を硯に置いた。兄上と上洛の相談をしなきゃなんだけど全然筆が進まない。


 私は障子を開けて庭を眺めた。小ぶりながらも、綺麗に色づいた楓や大輪の菊が植えられている。

 真木邸とは趣の違う沼田の庭は、未だ余所のおうちのそれを見てるみたいだ。


 上田城でも真木の邸でも、庭には実が成る木が植えられていた。

 信厳公は家臣にも冬期間の内職用に、楮や三椏を植えるのを推奨してたけど、父上は「紙が食えるか。どうせ植えるなら兵糧になる木にしろ」って方針だったから。


 ここもそうすべきかな。東条がどう出たとしても、最終的にはここは兄上が治めるはずだし。

 そうだ、東条。こっちも探りを入れなきゃなんだよ。


 私は両手でぱちんと自分の頬を叩いた。

 ……やらなきゃならない事はたくさんあるし、こんな事で悩んでいられない。


 兼継殿が何を思って私を泳がせていたとしても、私はこのまま雪村の戻りを待ちながら『雪村』がやるべき事をやるだけだ。


 小介の言を信じるなら、兄上は私を疑っていない。

 それなら私は兄上の前で、完璧な『雪村』を演じきろう。

 雪村の存在意義は『真木の為に戦うこと』だ。


 そう気持ちを定めると、何だか落ち着いてきた。


「よし」


 私は気持ちを切り替えて、文の続きを書くべく部屋の奥へと戻った。

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