第105話 兼継 来訪2
「いつの間にか秋ですね。遠出にはいい季節です」
少し前まで暑かったのに、そよぐ風はすっかり秋の気配だ。山に入るとちらほらと色付いた樹々が涼しげに枝を揺らしている。
「おい、お前はいつもこんな事をしているのか?」
若干声のトーンが低い兼継殿を振り返り、私は照れ笑いをした。
「実は初めてです。徳山領に侵入するとなると、流石に止められてしまうので」
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上毛かるたと桜井くんの地理知識を参考にすると、生糸作りが盛んなのは富岡や前橋なんだけど、あの辺りは今、徳山領になっている。
生糸の事を調べたいから行ってみたい。でも小介にいつも全力で阻止されるんだよ。
せっかく兼継殿が「お前の仕事振りが見たい」って言うんだから、付き合って貰うチャンスじゃないですか。
「確かにお前の行きたいところで良い、とは言ったが……」
まさかそう来るとは そう呟いて兼継殿が額を押えた。
榛名山を越えた先の村に入り、私は村人を探してあたりを見回した。田の収穫が近いからか村道に人の姿はない。
こんな田舎で見ると やたらと浮いている兼継殿も、腕を組んで周囲を見回した。
「生糸を作るところを見たいのは構わないが、蚕は室内で飼われているぞ。どうやって見るつもりだ?」
「ええと……」
改めて問われて、私は口ごもりつつ「こんにちはーいい天気ですね。ところでお蚕様を見てみたいのですがこちらでは飼われていますか?って」声をかけようと思っています……
最後まで言えずにそっと兼継殿を見上げると、そんな私をちらりと見返して抑えた溜め息をついている。
沼田城下ではそれで通じるんだけど、他はそうじゃないみたいだな。
「身元の知れぬ者が 急に押しかけては不審に思われる。少し待て」
そう言って兼継殿は、村に背を向けて歩き出した。
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城下町まで来た兼継殿は、初めて来たとは思えない足取りで、呉服座に立ち並ぶ店のひとつに入っていった。
「いらっしゃいませ」
明るい声がして、奥からいそいそと女将さんっぽい女の人が出てくる。
初めて見る客に一瞬探るような顔になったあと、すぐに愛想よく接客を始めた。
「お武家様、何をお探しでしょう?」
「国に帰る前に妻への土産を探している。このあたりは生糸が特産物と聞いていたのだが」
さりげなく外から来た事をアピールしつつ、兼継殿は店内を見回した。それで店員さんの警戒心っぽい気配はなくなったけれど、代わりにちょっと申し訳なさそうな顔で首を振る。
「そうでございますね。ここらは紬織物が盛んでございますが、お武家様のお召し物を見る限り、奥方様が喜ばれるかどうか……」
兼継殿が着ている青苧で作られた越後布は、剣神公の時代から上方の公家に献上されるような上物だ。そのせいか ちょっと微妙な反応が返ってきた。
そんな店員さんに「紬は綿のように温かだと聞く。私の国は冬が長いからな」と爽やかに微笑みつつ返していて、頬を染めた店員さんから何だか上手に生糸の情報を聞き出し始めている。
真面目キャラだからそんな印象なかったけど、案外自分のルックスを武器にしてるんだなぁ。
情報収集は兼継殿にまかせて、私は店内を探索する事にした。
生糸で作られた紬を見ておくのも、城代として大事なお仕事だと思うのです。
薄暗い店内には色とりどりの反物や、仕立てられた着物が飾られている。
普段着扱いで着られるという紬は、どことなくざっくりとしていて、素朴で可愛い感じだ。
端から順番に店内を見ていた私は、片隅に置かれた小袖に目をとめた。
綺麗な白い紬で、青みがかった薄紫の格子模様が小花みたいに見えて可愛い。
「涼やかな柄だな」
いきなり背後から声がして、私はびっくりして振り返った。
いつの間にか話が終わったらしい兼継殿が後ろから覗きこんでいて、背後にいた店員さんに「ではこれにしよう」と声を掛ける。
しまった! 選ぶ時はちゃんとアドバイスしなきゃと思ってたのに。しかし兼継殿は桜姫のことになると本当に適当だな!
「お待ちください。奥方様になら こちらの方がお似合いになると思います」
私は慌てて店員よろしく、桜色の反物をお勧めした。
桜姫は華やかな美少女だから、こういうシンプルなのは似合わない。そもそも小柄だから既製品じゃなく、反物を買って仕立てた方がいいと思うよ。
「その色なら春ではないか? これからの季節には合わないと思うが」
兼続殿は澄ましてそう答えたけど、それなら白も夏じゃないのかな。
「ではこの白地に小花模様も夏ではないでしょうか? 別な色の方が良いのでは」
「いや、これは雪の意匠だろう。これからだ」
花と雪、どっちよ店員!? と同時に振り返ったら、店員にはあっさりと「これはただの格子柄です」と返された。
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兼継殿が店員さんから仕入れた情報によると、生糸は沼田近辺の村でも作られているらしい。
茶屋の店員さんが持ってきてくれたお茶に口をつけ、兼継殿が少し考える顔を私に向けた。
「聞いたところによると、この城下の呉服座は、赤城山山麓の村々からも生糸を買い付けているようだ。それならば真木の領内でも該当するところがあるだろう。
「気付きませんでした。税は収められたとしても、何を売ったかの記載が抜けていたのかも……」
そもそもちゃんと納税されていたのかな? 前年までの記録は、前にここを治めていた領主が作ったものなんだけど、戦のどさくさで紛失したのか、書類の不備の多さには正直ちょっと頭を悩ませているところもある。
とりあえず領内でも蚕が育つって事は判ったから、養蚕を推奨して生糸作って紐作ろう。真田紐っぽいやつ。
「私ひとりではどうにもなりませんでした。ありがとうございます、兼継殿」
礼を言った私に、兼継殿は少し表情を改めた。そして。
「家臣を信頼し、上手く使いこなすのが城主の務めだ。このような場合は自ら動かず家臣を使え。だがどうしても直接動きたい時は、せめて事前に知らせてくれ」
蚕を見たいなら商人でも装っておけば話は簡単だったぞ、そう言って苦笑交じりに軽く叱責された。
「解りました。気を付けます」
私も苦笑してお団子に口を付ける。
結局こんなに引っ張りまわした挙句に「接待」したのは、ここのお茶とお団子を奢っただけだ。
なんかもう、ホントにすみません……
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「あの、何か私に出来るお礼はないでしょうか。今日は兼継殿の接待をしなければいけなかったのに、私だけが楽しんでしまって」
改めて思い返すと、今日は本当に兼継殿を引っ張りまわしただけだ。
全然おもてなしをしていない。
そう気づくと急に申し訳なくなって、私は居住まいを正した。
「私も楽しかったぞ、子供の頃に戻ったようで。……無鉄砲に飛び出すところは同じなのだな」
隣に座る兼継殿が、ことりとお茶の碗を置いた。
「兼継殿?」
何となく違和感があって隣を見上げたけど、兼継殿は少し笑って何も言わない。
結局、違和感の正体が解らないまま、私は兼継殿から視線を逸らした。
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