第87話 六郎遭逢

 真木の邸に戻ると、兄上は登庁中だった。

 こっちの世界の上田城は、二の丸に政庁(越後で言うところの「御殿」ね。平時に国政の仕事をするところ)があって、生活区域である邸とは分かれている。

 山ひとつが巨大な城になっている 越後の春日山城に比べたらコンパクトにまとまっているんだけど、上田城は雪村の父上が、城下でのゲリラ戦を想定してすごい城下町をいじってるから、迷路っぽい作りなんだよね。


 今日は邸に居るって言ってたんだけどな。

 とりあえず桜姫を邸の侍女に任せて私も登庁すると、兄上は来客と面談中だった。

 接客中だったのかと慌てて辞そうとしたら「いいよ雪村、入って」と促されて、私は再度 障子を開ける。


 こっちの世界では、当主に用件を伝える時は直接じゃなく「取次」って役職の人が仲介するシステムなんだけど、真木家では雪村の場合はフリーパスなんだよね。当主の弟だから。

 でも来客中なら、それはそれで教えて欲しいと思う。


 まあそれは置いておいて。


 きちんとした身なりで、この世界に眼鏡があったらかけてそうな委員長タイプっぽい男の人が、兄上の前に座っていた。

 来客の顔を見ると見覚えがあるけど、誰かは思い出せない。

 相手は相手で、兄上と私の顔を交互に見て戸惑っているみたいだ。


 やがて兄上が「雪村、六郎だよ。高崎殿のところに預けられていた。うん、まあこういう事になったからね、戻って来たんだ」と、私と六郎を見ながら笑って説明してくれた。


 そう言われて私はやっと思い出した。私が、というか雪村の記憶だけど。


 宇野六郎。真木家家老・宇野の息子で、兄上の乳兄弟だ。

 六郎は将来家老を継ぐのが決まっているから、こんな事になるずっと前に、武隈家重鎮の高崎家預かりになっていて『他家に仕えながら自分自身の将来的なスキルを上げる』みたいな感じで真木家を出ていた。

 ただ今回の戦の後、旧武隈家臣の多くが徳山家に召し抱えられたから、富豊に臣従した真木家とは距離を取らざるを得なくなって戻されてきたんだろう。


 いまいち覚えていないはずだよ。子供の頃に会ったきりだもん。


「何年振りだろう、雪村です。久し振り六郎殿」そう言って挨拶したけど、六郎の方は戸惑ったままだ。そして。

「信倖様、俺は雪村様は弟君だと思っていましたが違ったのですか?」と聞きづらそうに聞いてきた。

 そこで兄上がやっと「あっ!」みたいな顔になる。

 そして「今、雪村はちょっと病を患っていてね。女子になっているから気を付けてあげて」と、なかなか無茶苦茶な事を言った。


「女子になる病……?」

 案の定、六郎は首を傾げているけど、そこら辺はあまり突っ込まないで欲しい。


 六郎の困惑をスルーして、兄上が私に向き直る。そして意外な事を言いだした。

「おかえり雪村。ちょうど良かったよ。前に話した沼田の件だけどね、雪村は元に戻るまでは城代として沼田城を任せる。そして家老代行で六郎を付けようと思うんだ」


 六郎も初耳なのかぎょっとした表情で兄上を見ているし、私としてもそれはちょっと困る。

 当初の予定では、ベテラン家老の宇野を付けてくれるって話だったから。私が至らなくても沼田の統治は家老におまかせで大丈夫! と高を括っていた。


「しかし兄上」

「しかし信倖様」


 お互いの声が重なった。ちらりと六郎を見ると視線まで重なる。

 困ったな、本人の前で「宇野より劣るだろうから心配です」と取られそうな事は言えない。私は言葉を選んで兄上にお願いした。


「兄上、私は領地を治めると言った事には全く不勉強です。六郎殿もこちらに戻って日が浅いでしょう。まずは慣れた者からその方術を教わるべきではないでしょうか」


 六郎も賛同すると思ったのに、黙って兄上を見つめたままだ。

「うーん、そうは思うんだけどね」

 兄上が困った顔でしばらく黙り、やがて私と六郎に向けてちょいちょいと手招きすると、内緒話でもするみたいに小声で囁いた。


「宇野、腰をやっちゃって動けないんだよね」


「「大丈夫なんですか?」」

 また私と六郎の声が重なる。


「うん。ああでも僕が言ったって事は黙っててよ。宇野、自分はまだそんな年齢じゃないって怒るんだ」

 いや、宇野、もう白髪頭のおじいちゃんなんだけど……


「親父殿……」

 自分の父親の若作りに、六郎の頬がちょっとだけ赤くなる。

 それを横目に、兄上が苦笑いしながら言葉を続けた。


「上野はつい最近まで武隈の領地だったから、六郎の方が内情は詳しい。それに六郎は腕も立つからね。『今の雪村は組手がからっきしだから、腕の立つ護衛をつけろ』って兼継から文が届いてるよ」


 そう言って懐から文を出して見せてきた。

 いつの間にそんな文を送ってたんだろう。越後滞在中はずっと怒られっぱなしだったから、そんな事を兄上宛ての手紙で知らせてくれてたのは意外だ。

 そう言う事なら、腰をやっちゃったおじいちゃんの宇野には頼めないな。


 私は六郎に向き直り「六郎殿、お世話をかけると思いますがよろしくお願いします」と頭を下げた。


「……」


 顔を上げると兄上も六郎もぽかんとしているみたいで、私も思わず二人を交互に見返す。何か変なことしちゃったかな……?

 やがて兄上がぷっと噴き出して、何だか聞き捨てならない事を言いだした。

「小さい頃に苛められてたからって下手に出なくていいんだよ。今は雪村が主君だからね」


 小さい頃の雪村を苛めてたのこの人!?


 そう思って改めて六郎を見返すと、今度は全く視線が合わない。

 おまけにすごく偉そうに「その通りです雪村様。主君となるからには、それなりの威厳を身に付けて頂かないと。それと俺に敬語は不要、「六郎」とお呼びください」と威圧された。


 兄上! この人、兄上よりも偉そうですよ! と目で訴えたけど、兄上は苦笑して流している。

 ちょっと待って、これが私の近侍になるの? 不満を顔に出さないようにするので精一杯だよ。


 無表情で「じゃあそうするよ。よろしく六郎」と言い直すと、あっちはあっちで「俺があの日々に耐えたのは、すべて信倖様をお支えする為だったのに……」と悔しげに呟いている。


 そう言うのは心の中でやって欲しい。

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