第62話 改変者 3 ~side K~

 季節が巡り、雪村が十二になった春。

 相模東条家から東条陰虎が養子として越後にやってきた。


 無口で愛想のない影勝とは違い、立ち回りが上手く見目が良い陰虎は、瞬く間に上森家内での立ち位置を固めていった。


 剣神に実子はなく 養子はふたり。


 どちらに跡を継がせるつもりかという問題は棚上げにされたまま、養子同士の緊張感だけは日に日に高まっていく。

 上森家内は、剣神の存命中から影勝派と陰虎派に分れて、事ある毎に諍いを起こすようになっていた。



 ***************                *************** 


「兼継どの、私はいずれ上森に仕官したいと思っています」


 兼継の部屋で兵法書を前にしていた雪村が、改まった口調で兼継に切り出した。

 その頃には元服を済ませ、影勝の近習として仕官していた兼継だが、今でも雪村の勉強を見る日々を続けている。

 昔のようには 時間が取れなくなっていたけれど。


 書面から視線を上げた兼継は目の前の、少し緊張した面持ちの雪村を見遣った。

 そのような心積もりがあるとは思わなかったが、子供なりに、家中の緊張感を察しているのだろう。


 陰虎の人心掌握は実に達者で、影勝の妹姫や母君、挙句には剣神公まで籠絡するほどだ。

 このままでは陰虎に良いようにされてしまう。何か手を打たねばと思っても、今の兼継には地位も経験も人脈も足りなかった。


 陰虎が東条家を出された経緯が知りたい。それが解れば何らかの弱みを握れるかも知れない。

 しかし今の兼継には東条家に繋がる人脈など無いから、相模城下の呉服屋を介して、東条家で針子の仕事をしている侍女に接触を試みている最中だ。


 偶然を装って近づき、懸想している振りをして東条の情報を引き出す。

 今はこんな方法でしか、情報を得る手段が無い。


 信が置ける配下でもいれば違った手も打てるのだが、今はまだ力が足りない。

 そして力が欲しいなら、影勝様にのし上がって頂かねばならない。

 いや逆だ、影勝様の為に力が欲しいのだから。


 兼継は改めて、まだ幼さの残る雪村の顔を見つめた。


 もう少し育てば、雪村の見目なら男でも女でも籠絡出来るだろうな。

 だが、それが出来る性格ではないし、信倖から預かっている大事な弟をそのように仕立てる訳にもいかない。

 何より、謀略に長けた雪村など 兼継自身が見たいとは思えない。


 ふと兼継は我に返り、内心苦笑した。

 こんな子供の利用方法を考えるなど どうかしている、本当に何を考えているのか。

 その様な事を考えずとも、雪村は頭も良いし何より武芸の腕が立つ。

 もう少し育てば十分、影勝様の力になれるだろう。


 妙な事を考えた事を内心恥じながら、兼継は気持ちを切り替えた。

「そうか、お前にその気があるなら影勝様も喜ばれるだろう。では明日からは霊力の鍛錬方法を教えよう。早朝ですまないが明六つに鍛錬場へ来てくれ」

「はい」

 こくりと頷く雪村に、ふと兼継は思い至って手を伸ばし、雪村の頭を撫でた。


「ありがとうな、雪村。お前と一緒に影勝様にお仕えできるなら、私も嬉しい」

 そう言って微笑むと、雪村もやっと嬉しそうに「はい」と笑う。


 三年近く一緒に居て、兼継はやっと雪村に対しては、素直な物言いが出来るようになっていた。




 ***************                *************** 


 早朝の鍛錬場には清廉な空気が満ちている。

 もう少し時間がたてば大勢の人間の熱気に満たされるそこには、まだまばらな人影しか無かった。


「兼継どの、霊力は鍛錬でどうにかなるものなのですか? 生まれつき決まったものだと思っていました」

「霊力を増やす事は出来ないが、意識して使いこなす事は出来る。お前は人にしては霊力が高いからな、鍛えれば霊獣の使役も出来るようになるかもしれん」


 目を見開いて、雪村が息を吐く。


「武隈のお館さまは、炎をまとった虎を飼っています。あのようなものですか?」

「見たことがあるのか?」

「はい、やけどをするから近づくなと言われたので 遠くからですが」


 武隈家が使役する「炎虎」は炎を司る。

 その霊炎は主従の契約をした武隈の血を引く者には危害を及ぼさないが、それ以外には実際の炎と変わらない。

 武隈との戦では火計に悩まされると剣神公が言っていたな、と兼継はふと思い返した。しかし今はその事はいい。


「そうだな。では雪村、お前の霊力を火に例えてみよう。通常、お前の身体は熱を持っているな。それは霊力が体内に漫然と分散している状態だ。その分散した熱を、丹田に集めるよう意識してみろ」

「丹田、ですか?」

「下腹のあたりだ。丹田には上丹田・中丹田・下丹田があるが、丹田とだけ言われたら下丹田を指す。そこに霊力を圧縮する事で『霊圧』が生まれる。空気と同じだ。圧を加えた空気には威力が生まれる」


「……?」

 武芸なら呑み込みが早い雪村だが、霊力となると全くコツが掴めないらしい。

 そもそも普通の人間は霊力の鍛錬などしないし、決まったやり方がある訳でもない。兼継としても、人間の雪村に霊力の鍛錬が出来るのかは解らなかった。


 しばらく考え込んでいた雪村だったが、やがて不安げに呟いた。

「……やりかたが、よくわかりません」

「丹田の場所がよく解らないか? 息を大きく吸って吐いてみろ。この辺りに力が入った気がしないか?」

 雪村の下腹あたりに手を当ててそう言うと、深呼吸をした雪村がこくりと頷く。

 ここに意識を集中し霊力を圧縮していけばよいのだが、これ以上は言葉で説明しようがない。


 雪村は真剣な表情で何度も深呼吸を繰り返しているが、兼継の掌には特に霊圧の変化は感じ取れない。

 逆に少し顔色が悪くなってきたように見えて、兼継はわざと明るく切り上げた。


「いきなり出来るようにはならないさ。今日はもう止めよう」

「でも、もう少し……」

「いいから言う事を聞け」


 丹田に当てていた手で雪村の腹をくすぐると、雪村が身体をくの字に折って笑い出す。青白かった頬に血の気が戻り、兼継はほっと息をついた。




「なにやってんの。お前たち?」


 呆れたような当主の声が背後から聞こえ、兼継と雪村は慌てて膝をついた。

 いいよ、と言うように手をひらつかせて二人を立たせると、剣神はにやりと笑って兼継を見る。

 興味津々といった表情を隠そうともしていなくて、兼継は内心面倒な事になったなと吐息をついた。


「面白いことをしているね 兼継。人の子にそれが出来るのかい?」

「何事も試してみなければ判りません」

「そうか。じゃあ雪村、毘沙門天のやり方を教えよう。兼継の『それ』が出来るようになったら、掌の掌底からその霊力を放出してみな。大概のものは消し飛ぶよ」

「おやめ下さい! 人の霊力には限りがあります。そのような事をしては身体が保たない」

「愛染明王は優しいねぇ」


 からからと笑う剣神とむすりと黙り込む兼継を交互に見て、雪村は微かに首を傾げた。


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