第60話 改変者 1 ~side K~
「兼継殿、上森のお邸はここから近いのですか? ぜひ見てみたいです」
子供のような好奇心を隠そうともせず、雪村が見返してくる。
こういうところは昔のままなのだがな、そう思うと苦笑が漏れて、それを誤魔化すように兼継は信倖を見遣った。
信倖を誘ったところで来る訳がない。
それが判っていてもそうするのは『雪村の事に関しては信倖の許可を取る』という事を、兼継が自らに課しているからだ。
子供の時分から 兄のようなつもりで面倒を見てきたが、実の兄は信倖なのだから。
少し顔色が悪いのが気になったが、それを理由に断ってはがっかりさせてしまうだろうと自分自身を納得させ、兼継は雪村を連れて武隈邸を出た。
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雪村が武隈側の人質として越後に来たのは、今から十年前。もうすぐ冬に差しかかろうかという霜月の初めだった。
当時、長年の敵対関係にあった武隈と唐突に結ばれた甲越同盟に、家中でも戸惑いの雰囲気があり、そこから人質として来る子供にもまた、どのように接するべきか迷いがあった。
兼継が雪村の世話役に選ばれたのは、影勝付きの小姓衆の中で一番年下、それだけの理由だ。
「お前は人質の子と一番歳が近いからね。頼めるね?」
そう剣神から命じられた時、兼継は内心面倒な事になったなと眉を顰めたい気持ちだった。当然そんな事はおくびにも出さず「精一杯務めさせて頂きます」と答えたけれど。
歳が近いといっても五歳離れている。十五の兼継にとって十の子供など、相手にするのも煩わしい。
わざわざ自分を選んで面倒事を押し付けたのだから聞いてもいいだろう、他に誰も居ないのだし、と兼継は剣神を見返した。
「剣神公は何故、人との間に子を作ったのですか。その様な事がなければ、武隈との同盟も愛染明王の降臨も無かったと思われますが」
八年前、毘沙門天が地上で子を成した折に、天上から愛染明王が降臨した。
毘沙門天の子供が神力を発現しなければそれで良し、発現した場合は、人の世に混乱を招く前に天上へと戻す、その監視の為に。
兼継はその際、愛染明王の憑代に選ばれた子供だった。
「それは愛染明王として言っているんだろうね?」
楽しげに笑った後で剣神は真剣な顔になり、ちょちょいと兼継を手招きする。
釣られて真剣な表情で近づいた兼継の耳元で、剣神は内緒話のように囁いた。
「人の世に降りる事などそうそう無いからね。人とまぐわうとはどんなものかと興味がわいたのだよ。まさか子まで出来るとはね!」
あははと笑う剣神に、兼継はげっそりと力が抜けた。……そんなただの興味本位で天界が揺らいだのか……
愉快そうに笑いながら、豪快な女当主は ぽんと兼継の肩を叩く。
「身体に神仏を宿していても子は出来るよ。兼継も気をつけな」
「こんな騒ぎになるのならごめんですよ、子なんて」
「おや、いいのかい? お前には、直枝の家を継ぐ話が出ているのだろう?」
後継ぎか。
こんな騒ぎになるなら子などいらないと思うが、家の問題はそうはいかない。
兼継は深く溜め息をついた。
神仏も 人の事情までは配慮してくれないらしい。
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それからひと月後。
歓迎とは程遠い気持ちで迎えた武隈からの子供は、女童のような可愛らしい外見で「真木雪村です。これからよろしくおねがいいたします」と、覚えたての口上のような挨拶をした。
人質染みた卑屈さがないだけましだな、兼継の雪村への第一印象はその程度のものだった。
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人質とは言っても捕虜な訳ではない、客分として丁重に扱うように。
そう言われていた兼継は、まずは子供に学問を仕込むことにした。十歳ならまだ寺子屋で読み書きを習う年齢だろう。
雪村は剣神の居住区である奥御殿に預けられているから、そこから一番近い寺子屋、慈光寺に通わせることにしよう。
近いと言ってもひと山越える場所にある。子供の足では時間がかかり過ぎるかも知れない。
しかし寺子屋に預けている間は自分の勤めが果たせるのだから、時間を食うに越したことはない。
「雪村、慈光寺の場所はわかるか?」
「はい。ここまで来るあいだに立ちよりました」
慈光寺は越後の南国境にある。甲斐から越後に送られる道中、泊まった寺のひとつのはずだった。
「では明日からそこに行け。和尚が読み書きを教えているから」
「はい」
こくりと頷く雪村に、兼継は特に注意を払うでもなく「私は用事がある。あとは好きに過ごしていろ」と言い置いて部屋を出た。
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翌朝、奥御殿は大騒ぎになっていた。
雪村の姿が消えている、そう使いの者が呼びに来て、兼継は早朝から剣神に呼びつけられる羽目になった。
「兼継、子供になにか言ったかい?」
「特に何も。ただ今日から寺子屋に行くようにとは言いました」
まさかそれを嫌がって出奔したのだろうか。いや、昨日はそんな素振りは全く見えなかった。
何が起きたのか、何故居なくなったのかが全く解らない。
これだから子供は
そう内心罵りかけたところで、剣神がにこやかに兼継の肩を叩いた。
「世話役はお前だね? 責任を持って探しなさい。子供に何かあれば、武隈との同盟に亀裂が入るよ」
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奥御殿の布団を一枚一枚ひっぺがしていた兼継に「何をやっているの」と侍女たちが呆れたような声を掛ける。
「布団に挟まっているのではないかと思って」
「本気でそう思っているの?」
侍女たちの呆れた声に笑いが含まれて、兼継は苛ついた声を表に出さない様に注意しながら「では心当たりはありますか?」と微笑んだ。
「奥御殿の中はくまなく探しました。外に出たとしか考えられません」
一番年嵩の侍女が代表して答え、それに続いて他の侍女が「私たちも布団の中に隠れているのかと全員で探したの。居なかったわよ」とくすくす笑う。
本気でそう思っていたのはそっちもじゃないか。
そう突っ込みたかったけれど、侍女衆にひとつ口答えをすれば数倍になって返ってくる。女性とは、何故こうも面倒くさいものなのか。
しかしそう思っている事を悟られると、ますます面倒な事になる。
「では他を探します」兼継はにこやかに答えて奥御殿を辞した。
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