第25話 思い通りに操るには力不足だ

 禍々しい気を放つ禍狗――そんなものが王都にいるのに、誰も気づかないのはおかしい。宮廷魔術師を含め、誰も禍狗の存在を気にしていないことが薄気味悪かった。何かの作為を感じる。


 ルイは自室のテラスで風に当たりながら、空を見上げた。


 明るい月が照らす大地は、女神の加護がある。ドラゴンが夜に呻いたり大地を揺らさないのは、女神の優しい指先が慰撫するように宥めるからと言われてきた。


 伝説の通りなら、夜は禍狗も大人しくなるはずだ。だが今までの目撃情報はすべて夜だった。隣国の陰陽術について調べれば、その理由が分かるかも知れない。


 ルイが留学を申し出た理由の一つがそれだった。だが他にも理由はある。第二王子である僕を押す派閥が騒がしかった。病弱を装って、継承権を放棄しようとしたのが発端だ。国王である父が頷けばいいものを、迷った。


 勝機があると勘違いした派閥の貴族が騒ぎ出したのだ。正妃唯一の息子である僕を王座につけるべきだと。


 まっぴらごめんだ。国王なんて役目は真面目な兄に任せて、僕は次男らしくのんびり辺境で過ごしたかった。だから迷惑この上ない提案なのだ。そもそも能力があれば、血筋なんて関係なく王になるべきなんだ。混乱するから王家の血筋から選ぶだけなのに、貴族はそこを大きく勘違いしていた。


 僕と兄は母親が違う。僕の母ブリジットは正妃、兄は側妃アリアンヌの子だった。母と側妃は仲がいいのに、それぞれの実家率いる派閥は国を二つに割る勢いだ。険悪という言葉じゃ足りないな。


 ルイは大きく溜め息を吐く。仲のいい兄弟なのに、周囲が勝手に動き回る。勤勉で真面目な兄を尊敬しているし、国のためを考えるなら国王は兄の方が望ましい。あくまでも次男はスペアだった。


 国王になったら惚れた子と結婚はおろか、恋愛すら出来ないじゃないか。ルイは雲に半分顔を隠した月を見上げ、口元を手で覆った。


 酸っぱい梅干しをくれたあの子、仮面をしていなかった。慌てて隠していたけど、可愛かったな。もし僕の予想通り、陰陽術を使う東開大陸の子だとしたら……留学した先で出会えるかな。


 巫女や陰陽師は保護されていると聞くから、きっと貴族令嬢か宮廷仕えだろう。


 病弱を売りにしてきた所為で、留学の許可がなかなか降りない。もどかしいが、ルイは打てる手をすべて打っていた。兄の母である側妃アリアンヌの実家に、留学希望の旨を通知した。さらに母ブリジット経由で国王への説得も依頼している。


 許可が出てくれたらいいが。祈るルイは目を伏せた。


 留学の前に禍狗と呼ばれる化け物の退治を済ませたい。あれを残していけば災いとなる気がした。予知能力はないはずなのに、嫌な予感が膨らむ。あれは世界の異物だ、そう告げる本能は誤魔化せなかった。


「リンだっけ」


 白い狐を連れたリンの姿を思い浮かべ、ルイは気持ちを切り替えた。さっさと化け物を退治し、留学名目で窮屈な王宮から逃げ出す。可愛いあの子を見つけて、今度は一緒に梅干しを頬張りたいな。顔をしかめるあの子も見てみたい。


 王家の墓所周辺では禍狗は見かけないから、別の場所を探すか。薄暗い場所を好むのなら、使われていない洞窟や神殿の廃墟も可能性が高いな。目星をつけながら、テラスに背を向けた。


 明日は騎士の任命式だの儀礼がいくつかあって、さすがに欠席は許されない。黙って座っているだけだとしても、王族の椅子を空にするのは国民に対し申し訳ない気がした。


 ベッドに横たわったものの、昼夜逆転生活に慣れた身では眠れそうになくて……仕方なく読めない異国の本を引っ張り出す。陰陽術の模様や文字を覚えるだけでもいいか。


 眺め始めて1時間ほど、重くなった瞼を閉じて寝息を立てるルイがいた。月は柔らかな光を投げかける。閉め忘れたカーテンの間から、何かが手を伸ばして……跳ね除けられた。

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