第6話 言い方悪いけどチャンスよね

 初めてのフルール大陸への移動……いつもならベッドに入る時間なのに。


 ぼやきながら、アイリーンは目元を擦った。わくわく感より、眠気が勝るあたり子どもなのかも。でも成長期の睡眠って大事だと思うわ。


 畳ベッドから追い出され、キエの手で綺麗に着替えさせられる。昼間に見た可愛い鶯茶のワンピースだった。着られるのは嬉しいけれど、やっぱり眠い。一つ、大きな欠伸をした。


「さあ、となさいませ」


 叱られて唇を尖らせる。アイリーンの仕草に、キエは言い聞かせた。


「姫様が逃したのですよ」


「分かってるわ。古い封印を放置した先祖を恨ん……っ」


 文句を言う口を塞がれる。じっと動かないキエの様子に、思わず固まって息をひそめた。周囲の様子を窺っていたキエの手が離れる。


「妙な言葉を口走らないでください。姫様は言霊の力が強いのですから」


「ごめんなさい」


 言霊を込める気がなくても、うっかり言葉にした声は取り戻せない。誰かを罵った悪口が、そのまま効力を発したことがあった。一緒に遊んだ子どもだったと思う。思い出したアイリーンは素直に謝った。


 幼くて自制も知らない頃、玩具の取り合いで「大っ嫌い、もう2度と会いたくない」と泣いた。普通ならなんて事ないケンカだ。しかしアイリーンの言葉は言霊となり、その子は事故で足を失った。2度と皇宮へ遊びに来られなくなったのだ。


 妹の力の大きさに気付いたシン兄様が、周囲の大人からアイリーンを庇った。幽閉せず、能力を制御する力を身に付けさせるべきだと。閉じ込めても言葉は奪えない。薬で声を奪う案まで出たというから、よほど脅威だと思われたのだろう。


 人の悪口は思っても口に出さない。言葉にして書き記さない。祓いの力が強い者ほど他者に影響を与えるのだから、自らを律して真っすぐに生きる。溜め込んだ感情は悪い方向へ引っ張られやすい。様々な教育の成果が、今のアイリーンを形成していた。


 自由奔放が過ぎてお転婆でも許されるのは、この事件の影響でもある。兄が救ってくれた命を無駄には出来なかった。いつも心を穏やかに保つ必要があることを、アイリーンは理解している。


「でも、どうやって大陸を渡るの?」


 海辺に行くだけでも、数日かかる。海を渡る時間も含めたら一週間は必要だった。昼間は皇族として振る舞いながら、夜だけ海を渡るのは物理的に無理だわ。


 こてりと首を傾げて尋ねるアイリーンの髪をツインテールに結いながら、キエは和風メイド服の胸元からするりと紙を取り出した。着物と同じ右前の合わせは、懐紙を含めたいろいろな小物が隠されている。魅惑の胸元ね。


「こちらをご利用ください。ココ様のお力があれば飛べます」


「ココ、これ分かる?」


 祓えの巫女が使う文字と違う、複雑な文様が描かれていた。アイリーンの疑問にひょこっと顔を覗かせたココは、肩に飛び乗って覗き込む。少しすると頷いた。


『平気。向こうにある屋敷の目印に向けて飛ぶみたいだよ』


 フルール大陸との公式の国交はない。だが民間レベルの交易や交流は続いており、商人や貴族の中には土地を買って屋敷を所有する者もいると聞いていた。話だけで、希少な皇族が海を渡ることはない。だから他人事だと思っていたアイリーンは、わくわくする気持ちを隠せなかった。


 言い方は悪いけど、これはチャンスだわ。自然と緩みそうになる口元を引き締め、深呼吸する。それからキエに向かって頷いた。


「頑張るわ」


「姫様、頑張るだけなら誰でも出来ます。必ず結果を伴ってくださいね」


 解き放った責任を取れと厳しく現実を突きつける侍女に、皇族の末姫は改めて重々しく承諾を口にした。キエは本当に釘を刺すのが上手なんだから。

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