第29話 尼子軍、大地を揺るがす

 薄明の空にごうごうと炎をあげ、高瀬城が燃えている。

 尼子勢への襲撃が失敗した事を悟った城兵は、みずからの城に火を放ち何処いずこともなく逃走していった。

 巨大な燈明とも見えるその灯りは、遠く宍道湖の湖面まで赤く照らしていた。


 凱歌を上げる他の尼子勢のなか、冴名と鹿之助は固い表情のまま、燃え上がる城を見ている。

「これでは、みずからの手足を自分で斬り捨てているのと同じだ……」


 高瀬城の城兵を味方に付ける事も叶わず、出雲の重要な拠点も失った。ふたりは、月山富田城奪還そして尼子家復興という前途みちが、未だ遥かに遠いことを思い知った。



 捕らえた米原家の武士から、高瀬城方が巡らした策謀の概略を知った。

 まず、偽りの内通によって尼子勢を城内に誘き寄せ、退路を断ち包囲殲滅するというものだ。

 そして、もしその策に乗ってこなければ、城方に戦意が無いという事を尼子勢に強く印象付けておき、油断して西進するその後方から城内の主力軍を以て追撃するという、二段構えで尼子勢を待ち受けていたのだった。


「米原綱寛どのが発案した策だ」

 その答えに鹿之助は黙って天を仰いだ。

 かつて米原寛綱は尼子方の有力国人だった。大内の大軍が進攻して来た際にも頑強に抵抗し、出雲の地を守り抜いた男なのである。

「それなのになぜ、尼子家復興に力を貸してくれなかったのだ」

 

 だが米原寛綱にしてみれば、鹿之助らは尼子勝久を擁しているとはいえ、先代の義久が毛利の家中で健在なのである。いわば義久と当主の座を争う関係の勝久に忠誠を誓う義理はない。所詮、鹿之助や立原久綱の傀儡かいらいだと見做みなしていたのだ。

 毛利隆元が残した謀略によって尼子は分断されてしまっていた。



 やがて後方から野武士のような一団が追って来た。これは藪中茨之介の手勢である。十神山城の一帯に残る毛利勢を掃討するために別行動をとっていたのだ。

「奴らめ、清水きよみず寺に籠って抗戦しおって。おかげで手間取ったぞ」

 渋い笑みを浮かべ、茨之介は竹筒の水を美味そうに飲む。


「まさか伽藍を焼いたりしなかっただろうな」

 古刹、安来やすぎ清水寺は細い谷沿いの石段を登った先に、小山を取り巻くように多くの伽藍が立ち並んでいる。いわば天然の要害に築かれた城塞であると言ってもいい。

 そのため何度となく戦の舞台となり、伽藍の焼失が繰り返されていた。


「大丈夫だ。俺たち、たたら衆はそこまで罰当たりではない。お前たち武士と違ってな」

 そう言うと茨之介は鹿之助の肩を叩き、笑った。

「たたら者には、それなりの戦い方がある」

 

 同じころ、亀井新十郎 茲矩これのりも陣に戻って来る。

 新十郎は熊谷新右衛門と交替しながら、羽柴秀吉の許へ山陰攻略の現況を伝えているのである。その新十郎は秀吉が攻めている播州三木城の情報を携えていた。


「膠着状態というのでしょうか。三木城攻めは、はかばかしくない様子でしたよ」

 そもそも三木城の別所氏は織田方についていたのである。それを秀吉がいさかいを起こしたため、毛利方に奔らせてしまったのだ。

 三木城にはそれに付随する多くの支城がある。それらが皆、敵方に回ってしまったのだ。織田方の痛手は想像するに余りある。


「あの秀吉どのがな……」

  たらしの達人とも云うべき羽柴秀吉にあるまじき失態である。

 鹿之助は、にわかに信じられない思いだった。


「いや、おれもあの辺りの奴らは好かんのだ」

 唾を吐いたのは藪中茨之介だ。

「名門、赤松氏の裔というだけの連中だが、他人を見下す風が強い。我らたたら衆など人の数にも入らぬらしいからな。くそ、思い出しても腹が立つぞ」


 かつて余程、腹に据えかねる事があったのだろう。お世辞にも行儀が良いとは云えない茨之介だが、ここまで嫌悪を顕わにするのも珍しい。

「一度叩き潰されなければ、室町以来の夢から醒めないだろう。おれは羽柴どのの判断は正しいと思うぞ」

 腕組みして何度もうなづく。


「そういうものか」

 鹿之助と冴名は顔を見合わせた。


 ☆


 本来、月山富田城へ向かうには十神山城のある安来から、飯梨川沿いに南下するのが最も早道である。しかし尼子勢はやや遠回りをしている。

 これは後背を襲う可能性がある諸城を降しておく事に加え、もう一つ理由があった。それは出雲西部で身を潜めている尼子方の国人たちと合流するためである。


 その狙い通り、毛利との最前線で戦い続けた神西じんざい元通もとみち、牛尾弾正、古志こし十太郎。また奥出雲からは、高尾 右馬允うまのじょう馬木まき与左衛門らが手勢を引き連れ、尼子勝久のもとへ馳せ参じて来た。

 これによって尼子勢は、やっと軍団としての体裁を整える事が出来た。


三刀屋みとや久扶ひさすけ三沢みざわ為清は我らにつく事を拒みました。衣掛きぬかけ城の赤穴あかな久清からは明確な返答はありません」

 冴名が各地に送った檄文の結果である。

「ならば押し通るのみ。で、宜しいか」

 鹿之助の言葉に、うん、と尼子勝久が力強くうなづく。


 しばらくの間は鹿之助に対し口も利かなかった勝久だったが、長く同じ陣中にいるうち、いつの間にかその頑なさも解けてきている。

 鹿之助の、剛毅さに加え裏表のない性格、そして何より尼子に対する絶対無比の忠誠。父、誠久さねひさを討ったのも決して私怨からでは無いと知った。それらが勝久の心を動かしたのだろう。

 

 ならば、父と祖父の仇である山中鹿之助を赦したのかと問われれば、勝久はすぐに断固否定するだろう。そしてこう言うに違いない。


「決して許しはしない。だが、心から信頼している」と。

 鹿之助はそういう男だった。



 尼子再興軍は、宍道湖の沿岸を離れ斐伊川に沿って南下に転じる。その鉾先は三刀屋城、三沢城へと向けられた。

 毛利方に寝返った引け目からか城兵の戦意は低く、三刀屋城はあっさりと陥落した。それを知った三沢為清も城を捨て、毛利の陣へと逃亡した。


「月山富田城への途が開けたぞ」

 鹿之助があげる勝ちどきに、尼子軍は足を踏み鳴らし喊声で答えた。





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