第15話 金屋子神の末裔

「女はどいておれ」

 刀を提げた男が冴名の肩を掴んだ。


 きっ、と振り向いた冴名は男の太い腕に軽く手を添え、気合もろとも身体を沈めた。

 男は手首から肘までを固められたまま、くるりと宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。男の持っていた太刀はいつの間にか冴名の手に移っている。


 したたかに背中を打ち付け、呻く男を見下ろし、冴名は息を吐いた。鹿之助と新右衛門だけでなく、抜刀して取り巻く男たちも言葉を失っている。それだけ切れ味鋭い動きだったのである。


「冗談はお止め下さい」

 少しだけ上気した顔で冴名は座敷の中を睨みつけた。

 その視線は座敷の正面に座る男ではなく、隣のでっぷりと太った女を捉えている。正面の男も意外そうに冴名とその女を交互に見比べていた。


「ほほう」

 嬉しそうに女が笑った。すると年老いた印象は消え、まるで幼児のように艶のある肌がその輝きを増す。

「なぜ、それをわたしに言う」

 明らかに老女のものではない、張りのある声が冴名のもとへと響く。


「あなたこそ、この場の主とお見受けしました故」

 女が目を瞠った。そしてすぐに笑い崩れる。

「ふふ、茨之助いばらのすけよ。お前ではやはり貫禄が足りぬらしいわ」

 正面の男は困ったように頭を掻く。

 その様子を見た女は、子供のように身体を折って爆笑した。


「これは失礼した。さあ、お上がり下され。立原の姫と、山中鹿之助どの。それと、……鉢屋、新右衛門」

 その女は慈しむような瞳で新右衛門を見た。鹿之助は田部長右衛門が訪れた時の事を思い出した。

 あの時、田部長右衛門は新右衛門を我が一族と呼んだのではなかったか。


「この者から聞いておられたのかな、姫よ。妾が主であると」

 女は冴名に問いかける。

「いえ。新右衛門は、たたら場内の事は知らぬようです」

 面目ない、新右衛門は正座したまま身を縮めた。


「ほう。ならば、なぜ」

金屋子神かなやごのかみは女神だと聞いておりましたので、おそらくは、と」

 女はまた大きな口を開けて笑った。金屋子とは製鉄に関わる神である。玉鋼たまはがねを製造する者はみな、この金屋子神を篤く敬っているのである。

「金屋子神は醜女だからのう。それで気付いたか」

「いえ、そういうつもりでは」


「そなたのような美女が山内に入ると、金屋子の女神が嫉妬なさるわ。これは困ったことだの」

 女が揶揄うように言うと、さすがの冴名もうろたえた。たしかに、金屋子神にはそう云う伝承があった。女神の嫉妬を受けては、製鉄もままならない。ことは玉鋼の出来の良し悪しに関わるのである。


「なあ、新右衛門。冴名はそんなに美女なのか。おれには、とてもそうは思えないのだがな」

 冴名の背後で、小声で鹿之助は新右衛門に話しかけている。

「馬鹿かお前は。まあ絶世のとまでは言わないが、並み以上なのは間違いない……そうかお前たちは子供の頃から一緒だったな。なるほど、『美女は三日で見飽きる』というのは、やはり本当か」

「ふむ。そういうものか。しかし冴名はいつも鬼のような顔だが……」


「あなたたち。ちょっと黙っていてもらえないかな」

 刺すような視線を浴びせられ、鹿之助と新右衛門はへへーっ、とひれ伏した。


「妾の名は、羽根尾はねおという」

 女は笑みを含んだ表情で名乗った。間もなく彼女は当代の田部長右衛門の後を継ぎ、同じく田部長右衛門を名乗る事が決まっているのだという。この名はこうして代々受け継がれていくのである。


 正面に座った男は藪中茨之介といって、この山内の侍人じにんを束ねているらしい。要は武装した自警団の長である。


 ☆


「生憎、当主さまは不在なのだよ。今は備前びぜんへ行っておられる」

 羽根尾は長キセルに火を入れ、盛大に煙を吐き出した。備前は現在でいう岡山県の東部にあたる。彼の地でも製鉄や刀剣製造が盛んに行われており、長船おさふねはその代表格といっていい。

「あの辺でも砂鉄が採れるからね。まあ、ここより幾分品質が下がるのが難だが」

 そう言うと、じろり、と冴名を見た。


「それで、あなた方は田部家に助力を求めに来たのかい」

 ぽん、と灰を火鉢に落とし、羽根尾は首を振った。

「最初に言っておこう。それならば無理だ。われら、たたら衆はどの勢力にも加担せぬ。そうやって今まで生き延びて来た」


「毛利も商売相手という事なんだな。それでは仕方ない」

 鹿之助はすでに膝を崩している。もともと畏まった事が苦手なのである。

「おい、鹿之助。行儀が悪いぞ」

「ああ。これは失礼いたしました」

 新右衛門にたしなめられ、また姿勢を正す。


「構わん。楽にするがいいぞ」

 そんな鹿之助を、羽根尾は好もしそうな目で見ている。まだ若く怖いもの知らずなのだろう。だが不思議と無礼な感じは受けない。その挙措動作からは美しさすら覚える。やがて彼女はその理由に思い至った。

「飾ることなく天然自然のままだからか」

 鹿之助とはよく名付けたものだ。野生の鹿の持つ美しさをこの若者は備えているようだった。


「毛利打倒のための兵を貸せというのは聞けぬが、そなたらがここに滞在したいのであれば歓迎するぞ」

 ただし、と羽根尾はにやりと笑った。

「その分しっかりと働いてもらうからな。なにしろ、この山内は」


 働かざる者、食うべからず。だからな。

 


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