第12話 毛利家の台頭

 中国地方の勢力図を塗り替える一大事件が起こった。周防、長門、石見、備後という中国地方の西半分を支配していた大内家の当主、義隆が死んだ。

 重臣、すえ晴賢はるかた(隆房)による弑逆である。

 

 晴賢は自らが当主となるのではなく、豊後の大友氏の一族から新たな君主を迎える。大友おおとも義鎮よししげ(後の大友 宗麟そうりん)の実弟、義長である。これは大内家が大友氏の影響下に入る事を意味した。

 その対応を巡り大内の家中は二つに割れた。


 当初はその陶に従う姿勢を見せていた毛利元就だったが、大内家内部の混乱を見てついに兵をあげた。もとより、逆臣を討つのである。正義の師という名目も十分だった。しかし大内の総兵力は、いまだ一介の国人領主である毛利の比ではないのも事実である。

 まともに戦っても到底、敵う相手ではなかった。


「まだ戦力差が有り過ぎます、父上」

 次男の元春が懸念するのも当然だった。その元春を見詰める元就は冷ややかな表情を崩さない。頭脳のほとんどを策戦に集中させている時の元就は、人である事を忘れたかのように表情を失う。


「月山富田城を思い出すのだ、元春」

 長い沈黙のあと、元就は口を開いた。


「なぜ我らは、あれだけの大軍を率いながら、あの山城を陥とす事が出来なかったのであろう」

 それは総大将が無能だったからでは……そう言いかけた元春は慌てて言葉を呑み込んだ。父が求めている答えがそんなものでは無い事に気付いたからだ。


「富田城は実に堅固な要塞でした。その登城口は狭く、大軍で押し寄せたとしても全くその利を生かす事が出来なかったのです。そこに奇襲とも云うべき尼子十旗どもの攻撃が背後からありました」

 うん、と元就は頷いた。

「わしはそれをやろうと思う」


 場所はここだ。絵図面の一箇所を元就は指さした。それは元春もよく知る、瀬戸内に浮かぶ小島だった。

 厳島いつくしま、思わず元春は唸った。その全身に鳥肌が立っている。


「そうだ元春。厳島をわれらの月山富田城とするのだ」

 


 後の世に『厳島合戦』とよばれる奇襲戦は、毛利方の大勝利に終わった。大内の大軍を狭い厳島に誘い集め、そこを精鋭でもって奇襲したのである。

 陶晴賢は討ち死に、大内家を束ねるものは居なくなった。

 この戦いにより、中国地方西部の覇権は山口の大内氏から安芸の毛利氏に移ったのである。


 ☆


「尼子晴久が死んだ?」

 配下の間者から報告を受けた元就の長男、隆元は耳を疑った。

「それは急な病か」

 月山富田城において大勝利を得た尼子晴久である。まさか新宮一族の敬久たかひさの襲撃によって命を落とすなど想像の外である。

 しばらくその死は秘されていたが、城内において何者かの葬儀が行われ、それ以後晴久の姿を見たものは居ないというのである。


「何かの謀略ではないのか……」

 そこまで考え、隆元は苦笑した。

(いや。うちの親父殿ならいざ知らず、か)


 相手は毛利元就ではない、尼子晴久なのだ。何につけ自らを基準にするのは百害あって一利も無い。必要も無く相手の能力を買い被ってしまうのは戦略に齟齬そごをきたす元だ。常に冷静に彼我の能力を計らなくてはならない。

 隆元はこの情報が真実であると判断した。

「お館さまに報告せねばならん」

 隆元は座を立った。


 ☆


 晴久を失った尼子家は嫡子義久を立て、家中の統一を図ることになる。晴久とともに襲撃を受けた立原久綱は一命を取り留めたが、主君を守れなかったという廉で、役職を解かれ謹慎となった。

 冴名はもとより、久綱に近しいと思われた鹿之助もまた、義久から遠ざけられていた。


「あー、暇だぞ。冴名」

 書物を読む冴名の隣で、鹿之助はごろごろと転がりながら、冴名の太もも辺りに顔を擦りつける。

「止めなさい、ネコですかあなたは」

 手にした本で鹿之助の頭を殴りつける。

「なんだよう、相変わらず乱暴な奴だな」


 登城することが無くなってから、鹿之助は立原久綱の屋敷で冴名とともに勉強している事が多い。しかし、最近はそれにも全く身が入っていないようだ。

「どうしたの。あの噂を気にしてるの」

「ああ。まあな」

 毛利が再びこの月山富田城を攻めると云うのである。すでに吉田郡山城には各地から大軍が集結しつつあるという。


 それに対し、尼子家の新しい当主である義久は毛利との和睦を模索している。かつての主である京極氏を通じ、将軍足利義輝に毛利との和平調停を申し出ているらしいのである。

「弱気にも程がある。攻めて来たら反撃すればいい」

「義久さまは鹿之助ほど能天気じゃないのでしょう」

 からかうように冴名は言うが、その口調にはどこか含むものがある。


 父の晴久に似ず、義久は武張った事を好まなかった。もちろん、戦が無ければ領民は助かるのは間違いないが、最初から戦う姿勢すら見せないのでは、逆に侵略を促すようなものではないだろうか。冴名は城を見上げた。

 


「居たか。鹿之助、冴名」

 立原久綱が苦り切った顔で部屋に入って来た。

「どうしたのです、兄上」

 ああ。と久綱は首を捻った。


「報せが入った。将軍義輝公の仲介により、尼子は毛利と和睦したぞ」

 それは、と冴名は言葉を失った。当面の戦は回避されたのだろうが、それには代償が必要だろう。

「和議の条件は何でしょうか」

 

「石見だ」

 久綱の言葉に、冴名と鹿之助は顔を見合わせた。

「石見では尼子に与する国衆が各地で毛利と戦っている。尼子はその国衆に今後一切支援を行わない事。これが条件だ」


「見捨てろというのですか。国衆を守らずに、何が出雲の覇者だ」

 鹿之助は床を叩いた。


「なぜ、そんな事に」

 冴名も怒りを押し殺した表情で呟く。

「これでは尼子家を領主と認めるものはいなくなります」



 この時に結ばれた和議は、後に『雲芸和議』と呼ばれる。

 何としても戦を避けたい義久に、元就が付け込んだ結果とも言われるが、この和議は冴名の案じた通り、石見のみならず出雲の内でも国衆の離反を招く事になったのである。


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