2承「富籤文庫創刊」

53. 葦多渥夫の話(前編)

 ――ちょっとキミキミ

 ――はい

 ――アシタ君だよね

 ――はあ、そうですが、えーとそちらは確か営業二課の……

 ――いや私のことはともかく、便所文庫ってキミの企画なんだってね?

 ――あ、ええ、まあそうですが

 ――あれすぐにやめさせてくれないか

 ――えっ、でもいきなりどう言うことです?

 ――あんなのは文学の冒涜だ。文豪たちに失礼だ

 ――でももうあれは始まってまして

 ――いや私はあんなの許せないんだ。純文学を心から愛してるからね

 ――はあ、そうですか

 ――いいかい、すぐにやめさせるんだよ。わかったね!


 ぼくの企画で去年の十月に創刊された「便所文庫」に対して、隣の課の係長からクレームがきた。同じ係長でもぼくより三年くらい後輩のはずの芥端あくたばた直治なおはる君は、上の立場のような態度で話してきたんだ。ちょっと気分悪かったよほんと。まあ彼の言いたいこともわからなくもないけど……。

 ぼくは何手面なんでも商事に勤めるしがないサラリーマン・葦多アシタ渥夫アツオ。同期の留真るま課長の下で日々、あくせく働いてもうくたくた。妻一人・娘一人・家のローンあと二十年の三十八歳。

 唯一の楽しみは仕事の後のこの一杯、いや十杯以上か、いつも。


「先輩何沈んでるんすか。さあ、ぐっといきましょぐっと!」

「……へ、ああ。それもそうだね。飲もうか」

「ですよ。そんじゃまあ、お~い、お姉さ~ん! 大瓶二本追加。それから手羽先もあと三人前! て、やべえ財布持ってくんの忘れてた……そんな訳で、ごちそさんっす。先輩」


 結局今夜もぼくが勘定を持つことになるのかい……まったく毎回毎回これなんだからワサビ君は。


「でもワサビ君、仮にも社長なのに持ち物を忘れるだなんて大丈夫なのかい?」

「まあまあ、気にしない気にしない。わははは。さあさあ飲みましょう飲みましょう。おいお~い、お姉さ~ん、大瓶早く早くぅー」


 これなんだよねワサビ君は。これくらいの厚かましさがないと会社を立ち上げるなんて無理なんだろうなあ。しかも全国に四千社あいや三千くらいか? まあ、それほどたくさんがひしめく出版社だしね。ぼくには絶対真似できないよ。


「おまたせしましたぁー、大瓶二本です。あと手羽先のほうはもう少しですから」

「おお、きたきた」

「おや、今夜は間違えないんだね」

「はい。毎度毎度まちがえていっぱい持ってきたら、やっぱり社長さんに悪いですしね。いつも社長さんがお勘定持たれてるでしょ?」


 社長さんじゃないんだけどね。一応言っとこうかな。


「まあ勘定はそうだけど、でもぼく社長じゃないんだよ。ただのサラリーマン」

「えっまちがってました? じゃあただのってヒラってことですか?」

「あの、これでも一応係長なんだけどね」

「えっ! またまちがっちゃいました。申しわけありませーん」

「いいからいいから。ヒラも係長も一緒一緒。わははは」

「まあそうだね。あは、はははは」

「てへへへ。それじゃあごゆっくりぃー。あ手羽先のほうはすぐにお持ちしますのでぇ」


 そりゃあヒラも係長も一緒みたいなものかもしれないけど、全く同じってことはないんだけどな……ふぅ~、やれやれ。


「あそうそう先輩、これ見てやってくださいよお」

「え、なんだいそれ?」

「この前ね、息子の算数のテストが机の上に置いてあったんで、ちょっとコピーしておいたんすよ」

「どれどれ」

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