ポーターの列車

「……さて、どうしたもんか」


 私の手には鈍色に輝く拳銃が握られていた。傷一つないその姿から、一度も使われていないことがはっきりとわかる。


 当然、弾など込められていない。そもそも弾があったとして、私に使いこなせるとはとても思えない。長年使い慣れている弓矢の方が余程気が楽だ。


 あの夜の後、私はジャネットの案内で町へと辿り着いた。少女へと向けられる人々の歪な視線に怒りを覚えるが、心底申し訳なさそうな彼女の表情を見ていると、感情の向ける先がわからなくなっていく。


「私はここで、お兄ちゃんを待ちます。だって私がいなくなったら、お兄ちゃんが帰ってきたとき、迎えられないから」


 町はずれの小さな小屋の前で、ジャネットは小さく微笑む。どうやらここが二人の住む家らしい。彼女が家から持ち出してきた拳銃を受けとり、私のやるべきことを察する。


「なるほど、任されたよ」

「本当にすみません」


 恩は返す――それはごく当たり前のことじゃないか。頭を下げるジャネットなど、見たくはない。会ったばかりの少女だったが、彼女が町の人々のような目で見られるような存在ではないことぐらいわかる。目を伏せ俯いているよりも、先程浮かべた微笑みだけ、見ていたかった。脱いでいた外套を被り直し、町の外へと歩いていった。


「とは言ったものの。手がかりはこの銃だけかぁ」


 暫く歩いてから、根本的な問題に気付く。せめて人相とか特徴とか、聞いておくべきだった。若干の後悔を胸に、ヒトが歩いて進むことに適さない荒野を一歩一歩進んでいく。草が生える気配を感じさせない硬い不毛な大地を踏みしめると、衝撃がそのまま足首と膝を突き抜ける。


 やはりこの辺りは馬に乗って進むことが前提の土地なのだろう。歩いて進むには、あまりにも過酷すぎる。


 そんな変わり映えしない荒野のなかに見慣れないものが視界に入る。大地に金属製の二本の棒が、枕木の上に敷かれていて、それは均一の間隔を保ちながら、真っ直ぐに何処までも続いていた。どう見ても人工物だ。こんなものは見たことがない。見たところ何かを運ぶ道のように思えるが、一体どういったものがやって来るのだろうか。


 思考もそこそこに、その道の少し脇を沿うように歩いていく。この先に何があるのか、少し気になったからだ。こうやって少しぐらい寄り道をしても問題は無いだろう。案外こういう時にこそ、探し物は見つかるものなのだから。


「いやぁしかし、どこまで続くんだろうね」


 歩いても歩いても、金属の道は途切れることなく続いている。何処から来て何処へ行くのか。まるで見当もつかない。


「ん?」


 かなり後ろから物凄い音が聞こえる。まるで連続する雷鳴のようだ。そして気のせいでなければ、それは段々と近づいてくる。私のほぼ真後ろ――あの金属製の道の方向から。


 何事かと振り向いて目を疑った。


 なんだ。

 なんだこれは。


 想像を遥かに超えた光景。轟音の正体は、黒い金属製の大きな大きな塊だった。上の方から灰色の煙を大量に吹き出しながら、途轍もない速度でこちらに向かってくる。


「う、うわわわわわ……!」


 私にできることは、逃げることだけだった。こんなものに僅かにでもぶつかってしまったら、ヒトの身体なんてバラバラに吹き飛んでしまう。私ですら生命の危機を感じるほどの力をもつ金属の塊は、ウマですら追いつけないほどの速さで通り過ぎていく。


 それでいてたくさんの荷車だけでなく、ヒトを運ぶ客室すら牽引している。窓から一瞬見えた乗客達は、それなりに裕福そうな身なりをしていた。


 あっという間に小さくなっていた先頭の部位から、紺色の服を着た男が身を乗り出し何かを叫んでいた。恐らく「馬鹿野郎! 死にてぇのか⁉︎」といったニュアンスの言葉を言っていたのだと思うが、轟音に紛れてろくに聞き取ることができなかった。


 それにしても、コイツは物凄いモノだ。馬車や牛車なんかとは比較にならない。あれほどの速度でたくさんの人や物資を運ぶことができるのだ。ここ最近の文化の進歩というものは目覚ましい。


 ちょうど路銀はそれなりにある。この道の先にあの鉄の塊があるのなら、一回乗ってみるのも悪くない。あれだけの荷物が届く先は、きっとたくさんのヒトがいる。ならばジャネットの兄の情報も、きっとあるに違いない。


「そうと決まれば!」


 金属製の道を少し離れてひたすらに歩く。水や食料は十分に補給できている。ただただまっすぐ歩けばいいのだから、これほど楽な旅路はない。深緑色の外套を翻し、力強く進んでいく。


 太陽が沈み、月が昇る。そして再び太陽が昇ったころ、大きな街へと辿り着く。どうやらあの黒鉄の塊の行き着いた先のようだ。街と荒野の境界線を示したアーチには『ポーター』と書かれていた。恐らくこの街の名前だろう。


 歩きっぱなしの足を癒すために、近場のサルーンに入る。この地域ではよくある形の店舗は、内装も似たような形だ。


「水となにか食べるものを」


 カウンターの椅子に腰掛け、注文する。シャツが張り裂けそうなほどに発達した胸筋をした大柄な店主は小さく頷きながら、私の前にグラスを置いた。


「お嬢さん、この辺のモンじゃないね」

「わかるかい? ただの旅人さ」


 屈強な見た目の割には繊細な動きをする店主の動きを見たりしながら、ちびちびと水を飲んでいるうちに、豆と野菜を香辛料などと煮込んだ料理が目の前に置かれる。この辺りでよく食べられる伝統食、チリコンカンだ。癖のある独特な食感と味が特徴であるが、この店のものは香草が少し多いのか、すっきりとした味わいで食べやすい。


 チリコンカンが美味い店は良い店だと、何処かで誰かが言っていた。たしかによく見れば店内は綺麗に清掃されているし、客も治安の外の住人には見えない。このポーターの街が平和であることを示しているようにすら思えるから不思議なものだ。


「あの外にある、大きい乗り物は一体なんだい?」


 そんな豆料理を噛み締めながら、ずっと思っていたことを店主に問いかける。私が何を言っているのか理解できなかったのか、片眉を上げる。


「……列車のことか?」


 一拍置いた店主は、何故か小さな声で応えた。もしかしてあの『列車』と呼ばれるものはとても有名なもので、そんなことを聞くわけがないとでも思っているのだろうか。


 小さく頷くと、店主は『まさか』という表情を浮かべる。知らないのだからしょうがないだろうと頬を掻いていると、店主はグラスを磨きながら再び口を開く。


「石炭の力を使った蒸気機関で動くのさ。詳しい原理までは自分もよくわからんが、速く物量を運べるアイツのお陰でこのポーターは潤ってる」


 蒸気機関がどんなものか見当もつかないが、あの乗り物の名前が『列車』という名前だということがわかった。それだけでもかなりの収穫だ。


「私もあの列車に乗れるかな?」

「乗れるよ。二等客室ならどこまで行っても一律で三十五チザム」


 チリコンカンが七チザムだから、かなりの安価だ。カウンターから見られないように、こっそりと所持金を確認する。これだけあれば列車にも乗れるし、暫くは大丈夫なほどに現金がある。


 とにかく情報を集めなければ。チリコンカンを食べ終え、会計を済ませて外に出る。


 改めて外を見てみると、ポーターの街の中は活気に溢れていた。それもあの鉄の荷車のお陰のようだ。大量の物資が出たり入ったりすることにより、流通が加速する。そして商売などがやりやすくなる。この街には、たくさんの金が動いているように見えた。


 こんな街だからこそ、ロクでもない無法者たちも多くやってくるのかもしれない。無法者なら、ジャネットの兄のような男を知っているのかもしれない。


『かもしれない』ばかりだけれど、そもそもこの広い大地で一人の男を探すこと自体、雲を掴むような話なのだ。縋るように街を見回すこと以外に、一体何ができるというのだろうか。


 屈強な男たちが何人か列車に入っていく。その一人、背の低い男の腰に吊るされた銃は、見たことがある意匠をしていた。


 見間違いでなければ、私が預かったものに非常によく似ている。ジャネットから預かった弾の込められていない拳銃。


 まさか本当に手がかりが見つかるとは。微かにでも思っていたとはいえ、本当にこんな都合よく事が起きるとは。これが幸運というものか。


 列車から甲高く大きな音がする。もしかしたら発射の合図かもしれない。それならば躊躇っている時間はない。慌てながら列車へと駆けていった。

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