第17話 伯爵令嬢は婚約破棄の破棄を認めたい

 運命の時は、魔術学院の大講堂で執り行われたルディウスの18歳の誕生祭に遡る。


 その日も取り巻きの令嬢たちからチヤホヤされ、絶好調に遊び惚ける予定をしていたルディウスは、美しい婚約者マルティナの姿を目にして苦々しい気分になっていた。


 マルティナは凛と咲く蒼薔薇のように気高く美しく、誰もがうっとりと見惚れてしまう。加えて学問も学年1位を争う秀才。才色兼備を具現化したと言っても過言ではないほどの伯爵令嬢だ。

 彼女が次期国王ルディウスの婚約者であることは、マルティナを知る者であれば誰もが納得するところなのだが、当のルディウスがそうではなかった。


(あいつは、俺様みたいな放蕩者にはもったいない。兄上の婚約者になればいいんだ)


 王位を継ぐ気がさらさらなく、いつか兄パーシバルに王位継承権を譲りたいと願っていたルディウスには、王妃になるべく真面目に努力を重ね続けているマルティナの存在が重荷だった。学問や政治の勉強、武術や魔術の訓練から逃げ、楽で面白おかしい日々を過ごす内、彼女を遠ざけたいと、冷たい態度や酷い言葉をかけるようになっていた。


 そんな自分が愚かだとは気がついていた。

 だが、その時も彼女を乏しめる言葉を吐き出さずにはいられなかった。お祝いを述べようとした彼女に、ただ身長が高いのが気に食わないというくだらない理由で、「お前、ほんとに可愛げのない女だよな」と囁いたのだ。


 そして、次の瞬間こそがルディウスという男の運命を大きく変えた。

 バチバチバチィィッと彼の頬に鋭い稲妻がほとばしり、派手な音を立てて炸裂した。マルティナの雷魔術がルディウスの全身を駆け巡り、彼の持ち得ないはずの記憶を呼び起こしたのだ。


 それは、ここアルズライト王国とは全く異なる世界――日本という小さな島国で生まれ、不運な落雷事故で命を落とした青年の一生分の記憶だった。

 つまりは、アルズライト王国に異世界転生する前の、前世の記憶だ。


(俺、生きてる……。いや、生まれ変わったんだ。ルディウスに)


 前世の記憶と今世の記憶が混じり合い、ルディウスは戸惑いと恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

 なぜなら、彼が今世で関わってきた人々も、国も、魔術学院も、ルディウスという自分自身でさえも、前世のゲーム機の画面越しに散々見つめてきたものだったからだ。


(ここは、『魔術師の花嫁』の世界だ! 俺は、クソ好きな乙女ゲームの異世界に転生したんだ!)


「ごめんあそばせ」


 ルディウスは、彼を引っ叩いたマルティナが足早に立ち去って行く様子を呆然と眺める。

 彼女に対して覚えたのは、危害を加えられた怒りなどではない。彼女が生きていることへの喜びだった。


 前世でやり込んだ『魔術師の花嫁』は、伯爵令嬢マルティナがたくさんの攻略キャラクターの一人と恋に落ち、試練を乗り越え結ばれるという乙女ゲームだ。対象キャラクターと分岐エンディングの多さが売りの作品なのだが、これが非常にバッドエンディングに至りやすい高難易度。プレイヤーが、元々婚約している王子ルディウスとの婚約破棄イベントをクリアしない限り、どのルートでも恋愛は成就せず、マルティナは死亡してしまう。よって、マルティナはプレイヤーたちから【不幸の花嫁】という不名誉なあだ名で呼ばれていた。


 一方、ルディウスは必ずマルティナを殺す男という意味を込めて、【死神王子】と蔑称されていた。どのプレイヤーからも嫌われ、憎まれる害悪キャラ。婚約破棄が成功した暁には、彼は暗殺者に殺されたり、革命軍に拘留されたり、隣国の絞首台に立たされたりと、ざまぁでスッキリする展開に花を添える役割が待っている。


 そのルディウスが、自分。

 前世でそこまでの悪行を働いたつもりなどないというのに、待ちゆく未来はどうしようもなく真っ暗だ。


 真っ暗? 誰の未来が――?





 ***

「マルティナが幸せになれねぇ未来なんざ、あってたまるか……! ルディウスが婚約者扱いせずに、散々蔑ろにしてきたんだ。これ以上苦しめていいわけねぇ。マルティナは……、てめぇは幸せにならなきゃなんねぇんだ!」


 魔術訓練場の裏の階段で、子どものように膝を抱えて顔を伏せるルディウスは、追いかけて来たマルティナに向かって喚くように叫んだ。

 いつものようにドスの効いた声ではない。必死に虚勢を張る痛々しい声だ。

 そんなルディウスにマルティナはそっと近づき、優しく彼の肩を抱きしめる。


「やっと分かりました。殿下は、わたくしのために婚約破棄なさろうとされていたのですね。わたくしを、死の呪縛から解き放つために。ご自身の不幸な未来を受け入れる覚悟で」

「……そんな、かっこいいもんじゃねぇよ。結局、できてねぇんだから」

「わたくしを思いやってくださっているのは、前世の殿下なのでしょうか? その、乙女ゲームとやらをしていて、わたくしのことを好いてくださったのでしょうか?」

「死なせたくない……、主人公だった。けど、てめぇのことは、ずっと近くで見て来たからよ。努力家で、正義感が強くて、負けず嫌いで……。そんなてめぇが羨ましくて、眩しくてよ……。だから、ルディウスが……一番大事に想ってんに決まってんだろ」

「出ましたわ。殿下の謎の決まり」

「うるせぇ……」


 ようやく顔を上げたルディウスは、泣きそうな顔で肩に置かれたマルティナの手を握る。

 彼の手は大きくて温かく、無骨だった。この手から作られる拳でずっと自分のことを守ってくれていたのだと、マルティナはそう直感した。


「もしかして、わたくしはこの魔術訓練場の裏で、暗殺者に殺される運命だったのですか?」

「……あぁ」

「エリックの暴走に巻き込まれて死ぬはずでした?」

「……あぁ」

「他には、何でしょう? 殿下の取り巻き令嬢の誰かに恨まれて刺される予定とか?」

「それは、取り巻きが失せた時点でなくなった」

「まぁ。では、ディヴァンのファンから嫉妬されて刺されるとか?」

「焼こうとしてた奴をぶっ飛ばした」

「聞けば聞くほど出てきますわね。まだありそうですけれど、わたくし、こんなに何度も命を救われていたなんて。殿下、本当にありがとうございます」


 マルティナはルディウスの手を両手で包み込み、淡く微笑むと――。


「けれど、そんなことでわたくしが納得するとお思いですかっ? わたくし、自己犠牲の精神は美しいとは思いませんことよ!」


 マルティナに力いっぱい手の甲の皮膚をつねられ、ルディウスは「いでででで!」と悲鳴を上げた。パンチほどの威力はないが、地味に痛いと定評があるマルティナの必殺技だ。


「何すんだ、このアマ!」

「殿下が一人で抱え込むからですわ!」

「仕方ねえだろうが! ここがゲームの世界だって知ってんのは俺だけだ。俺しか、てめぇを救えねぇ!」

「そこが気に食わないのですわ!」


 マルティナにぴしゃりと言われ、ルディウスは面を食らった表情を浮かべる。そして、何がダメなんだと言いたげに口をパクパクさせていた。

 そんな彼の口をマルティナは自分の唇え無理矢理塞いでしまった。

 触れるだけの優しい口づけ。

 けれど、二人の間には甘く痺れる稲妻が走ったかのような感覚が走った。


「キス待ち顔の練習は、要りませんでしたわね」

「て、てめぇ! 何しやがる! お、俺なんかと、き、キスしてどうすんだ!」


 真っ赤になって逃げだそうとするルディウス。

 だが、マルティナはもちろん彼を逃がしはせず、素早く彼の腕を掴まえて抱え込んでしまった。


「殿下。今のキスは、本物でしょう? だって、わたくしゲームのキャラクターではありませんもの。現実のマルティナですわ。だから、こうして自分の意志で生きて、愛して、殿下にキスをしたのです。誰かが創ったシナリオなんかじゃありませんわ!」

「だっ、で、そうかもしれねぇが! お、俺と婚約している限り、てめぇの死亡フラグは尽きねぇんだ! 攻略キャラはまだまだいる! 教師も、生徒も、学院を卒業したって、革命軍や隣国の王子が言い寄って来る。その度に、てめぇの死亡フラグが襲ってくんだぞ! 俺やアレンみてぇに、展開を知る転生者だっているかもしれねぇ。原作の強制力に、どこまで抗えるか分からねぇんだよ!」

「抗いましょう。どこまでも。わたくしたち、二人で」


 マルティナは零れ落ちそうな碧眼で、真っすぐにルディウスを見つめた。

 溢れんばかりの愛と感謝、そして希望を込めて。

 かつて二人でお茶をしながら語った、王国の明るい未来を夢見て。


「殿下は、【死神王子】でも【歩く回復薬】でもありません。貴方は、未来のアルズライト国王。わたくしを【幸福な花嫁】にしてくださる、とてもとても大切な人」

「ティナ……」


 何年かぶりに愛称で呼ばれたことがむず痒く、けれど嬉しくてたまらないマルティナは照れた笑みを浮かべる。

 そしてスクッと立ち上がると、大袈裟な動作でラズベリーブルーの長い髪を掻き上げて、その手をそのままルディウスに差し伸べた。


「さぁ、殿下。婚約破棄を破棄してくださいますわよね?」

「……ったく、俺の婚約者はとんでもねぇ女だな!」


 ルディウスはニヤリと笑うと、立ち上がりながら差し出された手を逆に引き寄せ、マルティナの身体を簡単に抱き込んだ。

 その一瞬の出来事にマルティナは何も抵抗できず、「まぁ!」と小さな声を上げることしかできなかった。

 ルディウスの性格は分かっている。

 彼は、マルティナと同様にとても負けず嫌いなのだ。


「俺は前世じゃ札付きの不良だったんだ。やり返す時は、立ち上がれねぇくらい徹底的にやり返す。覚悟しやがれ、ティナ!」

「ま! と、いうことは?」

「婚約続行! てめぇとエンジンフルスロットルでこの世界を爆走決定だ!」


 ルディウスの力強い口づけがマルティナに落とされ、同時に授業の終礼の鐘の音が辺りに響き渡る。

 その音は、まるで二人の愛の絆を祝福する婚礼の鐘。

 たとえ、世界が二人に牙を剝いたとしても、彼女たちの絆は折れることはない。そう、高らかに歌っているかのようだった。





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