白雪プリンス

降矢めぐみ

前編


「姫、おはよう」

 背後から声をかけられ、爽やかな笑顔で横を駆け抜けるクラスの女子に挨拶を返した。彼女が通り過ぎると、今度は反対側の肩に急に重みを感じた。

「おっす、姫。相変わらず可愛いな!」

 見上げると、同じくクラスメイトの木崎葉一きざきよういち――ヨウが肩に腕を乗せている。それに対して満面の笑みを浮かべながら、肩を大きく振ってヨウの腕を払った。

「おはよう、ヨウ」

「怒んなよ、俺と姫の仲だろ?」

 ヨウはテンションを崩さずに、ケラケラと無邪気に笑っている。ヨウとは高校に入ってから知り合ったけど、妙に馬が合い、こんな冗談も言える仲となった。

こんな日常を送っているは、別に女でもなければ女装しているわけでもない。正真正銘オトコ・・・だ。ちゃんとついてる。

 白雪健斗しらゆきけんと――その名字に加えて、中性的な見た目と一六〇にも満たない身長。誰もが「白雪姫」を連想したらしく、ついたあだ名が「姫」。一昨日から学年が上がって、二年生になっても呼ばれ続けている。

 まだ肌寒い春の空気を胸いっぱいに吸い込むと、そのまま大きなため息を吐いた。桜の開花は始業式にも間に合わなかったようで、八割くらいが蕾のままの状態だ。

「そういや姫さ、いつからこう呼ばれてんの?」

「なんだよ、急に」

「いや、ふと気になってさ。だって姫、そんなに気にしてないように見えるし……それに」

 不意に黙ったヨウを見上げた。彼は横顔からでも分かるくらい、あからさまに笑いを堪えている。

「違和感なさすぎだし。ぶふっ。考えたやつ天才かよ――ってえ!」

 頭は残念ながらかわされてしまいそうなので、みぞおちに一発。

 周囲からは「公認カップル」と騒がれながら、俺たちは教室に入った。するとなんだか、教室内が浮き足立っているような気がした。

「聞いた? 転校生、可愛いらしいぜ」

「えー、どうせならイケメンがよかったあ」

 背後から聞こえてくる会話から、そういえば初日、このクラスに転校生が来るという話を担任がしていた気もする。都合で始業式には間に合わなかったとか。

 朝のホームルームのチャイムが鳴った。そろそろ担任が来る頃だ。

「おらうるさいぞ、席つけや」

 体育会系だと一目で分かるジャージ姿、短髪、そしてこの喋り方。彼は手で「あっち行け」のジェスチャーをして、生徒たちを黙らせた。

 みんな渋々と自席に戻るも、担任の後ろをちらちらと見ては、おお、とか可愛い、とか呟いている。視線の先には、ちまっとしたサイズ感の女の子が俯きがちに控えていた。俺が言うのもなんだけどかなり小さい。制服の袖からは指先しか見えておらず、天然パーマなのか、ふわふわな長い髪。まるでお人形のようだ。

 彼女はドア付近で仁王立ちしている。

氷川ひかわ

 見かねた担任が今度は手招きをすると、「氷川」と呼ばれた少女はおずおずと教壇の横まで歩いてきた。髪がほんの少し揺れた。彼女は教壇の横まで歩いてくると、伏せ目がちに呟いた。

「……氷川優子ゆうこです……よろしくお願いします」

 呟いたと言うより、囁いたという表現の方が適切かもしれない。その声のあまりの小ささに、教室全員の目も小さくなった。次の言葉を待つがその先は続かず、彼女は俯いたまま。担任の指定した、俺の二つ左の席に腰を下ろした。

 俺は少し前のめりになって、氷川さんを視界に入れてみた。長い髪で表情は分からない。どんな子なんだろう、人見知りかなと頭の中であれこれ思いを巡らせているうちに、朝のホームルームが終了していた。

 一限目は音楽。トイレから戻るとかなり人が減っていた。慌てて教室を移動する準備をしていると、左から声が聞こえた。

「氷川さん、よければ音楽室案内するよ」

 三、四人くらいの女子が、氷川さんの机を囲んでいる。無事クラスに馴染めそうで安心して、俺は教室を出た。



「おっ、今日は雨か。ラッキー」

 起きるとすでに雨音が聞こえる。この降り具合なら、お昼前の体育は長距離測定になることはない。止んでもどうせ校庭はぐちゃぐちゃだ。

 バスケ部に所属はしているからスタミナはあるが、イコール好きかどうかは話が別だ。俺はただひたすら走るという行為が大嫌い。

――ボールも追わずに走って、何が楽しいんだか。

 バスケ部にしては少し長めの髪についた寝グセを直しながら、自分で自分を正当化した。

 家を出る頃にはさらに勢いを増している雨。ある程度濡れることは覚悟しておかなければと、大きめの傘を引っ掴んで家を出た。

「白雪くん、おはよう~」

 歩くこと数分、女性の高い声がした。きょろきょろと辺りを見回すフリをして、少し後ろにいる女子高生二人を最終的に捉えた。ゆっくりと歩いてくる彼女たちを、俺は立ち止まって迎え入れる。

――またこの人たちか。

「おはようございます、先輩」

 にっこりと作り笑いをする俺が、内心では悪態をついているとは夢にも思っていないのだろう。

――最近は会うタイミングが早いな。

 前はもっと遅かったのだ。学校に着く少し手前で、よく先輩に声をかけられるようになった。少し経つと、彼女たちと会う場所は駅に。一年の終わりには、今日みたいに家を出てから数分の距離で見つかってしまうようになった。一緒に電車に乗るのは、正直苦痛だ。

「そのうち家バレそー」

 彼女たちに聞こえないよう、口元でこっそりと呟いた。

 校舎の階段を上がり、教室に入ろうと引き戸を滑らせた時だった。

「うわっ」

 かなり驚いた。バクバクという心臓の鼓動が体に響いている。黒い綿のようなものが、突如、眼前に現れたのだ。

「なんだ、氷川さんか。驚かさないでよ」

 氷川さんは俺に気づいたようで、横にスライドして、通路を俺に譲った。

「どうしたの? 席つけば……」

 彼女の席を見るとなるほど、集団で話している女子の一人が、氷川さんの席に座っている。

「声かければ?」

 あくびをして、半分閉じた目で氷川さんを見た。しかし、彼女はそこから一歩も動こうとしない。

――げ、まじ?

 つまりこれは、俺に声をかけろというサインなのか。それとも朝のホームルームが始まるまで、彼女はここに立ち続けるつもりなのか。いずれにせよ可哀想なので、仕方なく女子に声をかけると、彼女たちは氷川さんの存在に気づいていた。

「でも声をかけてくる気配ないし……だから、ちょっと試してみようかって」

 |あえて〈・・・〉座り続けていたらしい。

「それにしても、姫をこき使うなんてねー。この前だって音楽室への移動、一緒にって誘ったのにシカトするしさ。何様なんだろ」

 こき使われたと言われ、俺は自尊心を優しく撫でた。

 それにしても、氷川さんはあの誘いをスルーしたのか。人見知りなら、声をかけてもらえるのは貴重な機会だろうに……。

 俺が自席に腰を下ろすと、氷川さんも自分の席に座った。

 数日後、俺の机の中には「ありがとうございました。このご恩は一生忘れません。」という、小さな白い紙が入っていた。



 初夏の青空の下、四限の体育は、男女に分かれてのソフトボールだった。俺は後方でボールが飛んでくるのを待ちながら、ぼんやりとその様子を見ていた。

 数日前の遠足を経て、クラスの親睦は順調に深まっているようで、遠足班の垣根を越えて話すクラスメイトが増えたように感じていた。

……ただし、たった一人を除いて。

 俺は、少しずつ氷川さんのことが気になっていた。

 六月上旬にある恒例行事の遠足。今年の二学年はハイキングだった。あの時の行動から、決して悪い人ではないのだと思う。氷川さんと同じ班になった俺は、彼女の意外な一面を知った。

✳︎

 俺たちの班は、他の班と比べてかなり遅れをとっていた。氷川さん以外の女子二人が、かなりキツそうだったのだ。

「きゃっ」

 女子二人が後ろにバランスを崩した。なぜ二人が一度にバランスを崩したのか、一番後ろにいた俺だけには分かった。

「氷川さん、危ないだろ。先に声かけなよ」

 氷川さんが、ヨウともう一人の男子から罵声を浴びる前に先手を打った。両手で女子二人のリュックを掴む彼女は、そのまま奪い取り、自分の両肩にかけた。

「氷川さん……持ってくれるの?」

 女子の一人が遠慮がちに聞いても、氷川さんは肯定も否定もしない。俺たち五人は顔を見合わせた。彼女はなぜそんなに喋らない?

「氷川さんは元気そうだけど、まだ距離あるから無理しない方がいいよ」

 俺は氷川さんからリュックを二つ預かると、一つは自分で持ち、もう一つは男子に手渡した。

✳︎

「白雪くーん、ファイトー」

 よく通る高い声が響いた。校舎を見上げると、校庭に面した窓の一つから、顔を出して手を振る先輩の姿があった。自習なのだろうが、周囲を全く気にしない様子の先輩に、俺は頭だけで会釈をした。

 先輩に気を取られたその一瞬に飛んできた球。慌てて手を伸ばすも、球はミットをすり抜けていってしまった。ちょっと面倒だけど、女子の方へ転がってしまった球を取りに行くしかない。そして拾い上げようとかがんだ、その時だった。

「姫! 危ない!」

 高い悲鳴のような声が響いた。自分が呼ばれたことはなんとか認識し、顔を上げると、白く丸い物体が突然目の前に現れた。



 ぼんやりとした意識の中。ゆらゆら心地よくて、そのまま柔らかいものに包まれた気がした。



 俺はゆっくりと目を開けた。理由は単純明快。

「腹減った……」

 寝返りを打つと、これでもかと言うくらい眉間に皺を寄せる氷川さんの姿があった。

「うわっ、どしたの」

 反射的に起き上がると、カーテンが開けられた。

「目が覚めたのね。君、気絶してたのよ、覚えてる?」

 保健医にそう言われると、白球が目の前にある、という風景が蘇った。

「その子が保健室まで運んできてくれたのよ。気分が悪くないのなら大丈夫だと思うけど、心配なら医者に診てもらうといいわ」

――え、氷川さんが運んだ? 聞き間違いじゃないよな。

「いえ、大丈夫です。もう授業に戻ります」

 氷川さんに状況を確認したくてうずうずしていた。先生がいないところで、真偽を確かめたい。

 保健室を出てすぐの角を曲がると、俺は足を止めた。

「氷川さん、あの、さっき先生が言ってた……氷川さんが俺のこと保健室まで運んだって、本当?」

 だとしたら相当恥ずかしいのだが……わざわざ保健医が嘘をつくはずもなく、氷川さんも首を縦に振った。

――まじか。

「のボ、ル」

「え?」

 沈黙が訪れた。彼女が何か言ったような気がしたが、空耳だろうか。そう思って教室に戻ろうと、片足を動かした時だった。

「ごめんなさい!」

 驚いて声が出なかった。初めてと言っても過言ではないくらい、まともに聞いた氷川さんの声は、細い糸が張りつめたようで、やけに俺の耳に残った。彼女は俯いたまま続けた。

「わ、たしなの、あのボール、打ったの……。勢いよく飛んで、その先に、その――」

「俺がいたってことか」

 コクコク、と全力で肯定された。

「私、焦って……すぐ、運ばなきゃ、て」

 自分のせいだと罪悪感を感じ、ずっと付き添っていてくれたらしい。少しすれば先生は、恐らく先に教室に戻りなさいと声をかけたはずだ。しかし彼女は、頑なに保健室に居座ったらしい。

 寝てた時間は三十分ほどだそうで、ソフトボールが終わる頃だ。

「ふっ」

 腹筋が痙攣間近で抑えきれない。目に涙が溜まる。

「はははっ。氷川さん頑固すぎでしょ。しかも、俺そんな簡単に持ち上がるの?」

 氷川さんを見ると、顔を真っ赤に染めていた。

「わ、私、その、馬鹿力で。でも、白雪くんを、お、お姫様抱っこくらい……なら」

――ん?

「……お姫様抱っこ?」

 意外と頑固、力持ちに加えて、たどたどしくも必死に説明する内容に、爆弾が混ざっていたような気が――。

 授業終了を告げるチャイムが鳴った。俺たちが教室に入ると、早速クラスの注目を集めた。

「いよ、オヒメサマ!」

「もう俺お前のこと愛せる!」

 予想の範囲内ではあるけど、こいつら好き勝手に言いやがって。

「うっせえよ。あと、女子! 俺の体重聞いて驚くなよ! 実は……」

「いやー言わないで」

「姫に負けたらショック」

 やいやい言いつつも、収束が見える――見えたのに。

「てか、氷川の腕力やばくね? お姫様抱っこって」

「ほんとにねえ。人って見た目によらないなあ」

 まずい。俺よりも氷川さんの方が、からかいの標的になっている。ちらりと横目で彼女を見ると、顔は真っ赤で、今にも泣き出しそうなほど、目には涙が溜まっている。

「ぉ前らさあ、いい加減にしてくれよ!」

「え……姫?」

 俺は自分に注目を集めた。これでいい。ヨウに抱きつきながら、自虐的にこう言った。

「いい加減にしてくれよ。そんなに言われたら俺……本当に姫として、ヨウに嫁にもらってもらうしかなくなっちゃうじゃんかー」

 教室が笑いに包まれた。

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